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2009年04月02日

クソゲーの定義について考えてみた

今回のお題はクソゲーっす。



んじゃ始め。




我々プレイヤーが「これはクソゲーだ!」と感じる時の状況ってどんなんだろう?ってのを真剣に考えてみた。



1、本体の電源を入れる。
2、発売会社&製作会社のロゴが表示される。
3、オープニングデモが始まる。
4、タイトル画面が表示される
5、ゲームをスタートする




ゲームを始めるまでの一連の流れ。レトゲではオープニングデモがないものも多いが。ゲームをスタートする前に、先入観でクソゲーだと感じてしまう状況を考えてみると、



タイトル画面がすべて英語



だった場合か。
いわゆる洋ゲー。日本語一切なしのモロ移植。タイトル画面で「これはヤバイ」的な。メジャーなところではスペランカーがその代表例か。電源を入れた瞬間(入れる前から)にクソゲーと感じとったニュータイプな人もいるかもしれない(いるのか?)。

ちなみにスペランカーを開発したのはアメリカのブローダーバンドという会社。調べてみると、クソゲーと名高いバンゲリングベイやカラテカの開発にも携わっておられるので、なかなか興味深い会社である。





次に、ゲームをスタートしてからクソゲーと感じてしまう項目を挙げてみた。とりあえず作品のゲーム性云々以前の話。あくまで私が感じる状況で。



1、キーレスポンスが悪い
2、ロード時間が長い
3、敵のエンカウント率が異常に高い
4、バグが多い




まずキーレスポンス。いわゆる操作性。
そのままの意味だが、コントローラーのキーを押したとき、ゲーム画面上の自キャラの動きにどのくらい素早く反映されるか?ということ。操作性が悪いと爽快感が失われ、ストレスが溜まる原因に発展。特にリアルタイムで自キャラを動かすジャンルの作品の最重要項目かと。キャラが異様にカクカクした動きのアクションゲームはツライ。同じような現象として、処理落ちによってカクカクしたりする場合もある。まあプレイヤーの思い通りに動くってことは当たり前の話。その当たり前なことができていない場合、クソゲー化する恐れがある。



次はロード時間。ROMカートリッジでは思いもしなかった項目。
ロードとはROMから本体のメモリー上へと読み込むことで、これはPSやSSやりだしてから思い知らされた人も多いと思う。RPGで言えば、セーブファイルからゲームを再開する、フィールド画面から戦闘画面へ移行する、マップ間を移動するときなど。ロード時間の長さはストレスの原因になり、結果クソゲーの烙印を押される。知っての通り、カートリッジよりもCD(DVD)の方がロード時間が長い。しかし、「摩訶摩訶」のように、ROMカートリッジなのに移動や戦闘の画面切り替えに10秒くらいかかるクソゲーも存在するので安心はできない。実際、摩訶摩訶ってカートリッジの中にCD入ってるのでは?と疑ったほどだ。個人的にはPSの「新スーパーロボット大戦」が辛かった。ユニットがデフォルメされていないスパロボだったが、戦闘移行のロード時間には閉口。Gセンチュリーの生産時のロード時間も長さにもイライラしたものだが。同じような項目として、ターン制のシミュレーションゲームの敵の思考時間も挙げられるかと。



次にエンカウント率。
敵との遭遇確率のこと。これも説明不要だと思う。
ゲームシステムやストーリーのデキ以前の問題である。異常にエンカウント率が高いRPGはテンポが悪くなりストレスが溜まってしまう。前述したロード時間との合体技が発生するとクソゲー率が高まる可能性はさらに上昇すると思われる。エンカウント率の調整に失敗すると、めでたくクソゲーの仲間入りってことだ。



バグに関しても特に説明はナシ。
しっかりデバッグしておかずに出荷された作品は、ほぼすべてクソゲー呼ばわりされてる。ドラクエ9の発売が延期されたのもデバッグが原因なようだ。完全な状態で発売されることを願おう。




とりあえず作品の世界観、ストーリーやイベント、BGM、SEなどをはぶいたものを考えてみた。これら以外にもたくさんある。よく言われるのが「難易度が高すぎる」というもの。たとえば当たり判定がおかしいとか、途中セーブができないとかもこれに該当する。




一般的にクソゲー扱いされやすい作品を振り返ってみると、洋ゲーやキャラゲーでエンカウントする確率が高い。もちろんすべての作品がそうじゃないことはわかっているが。

アニメや漫画などの作品をゲーム化したキャラゲーは、どうもゲームシステムがオザナリになる傾向がある。世界観やストーリー、キャラなどは考えなくていいのだから、その分ラクなはずなのだが。・・・いや、逆に世界設定が決められている方が作りにくいものなのだろうか?。たしかにリアルタイムで連載されている場合、キャラを自由にパワーアップさせたりはできなくなるが・・・。個人的にはゲームギアの幽々白書が最悪だった。面白かったものを挙げてみると、キャプツバや、カードバトル時代のドラゴンボール、スパロボ、WSのギャザビ2、GBAの鉄腕アトムとか。らんまもそれなりに面白い格ゲーだった。それでもキャラゲー全体を見渡してみれば、良作はごく一部なのかもしれない。




クソゲーと一般的に言われている作品でも、実際は違う場合も多い。
前述したバンベリングベイやカラテカなんてのも、とても独創的な作品だった。バンゲリングベイはあの独特のラジコン操作に共感できなかった人がクソゲー扱いし、独創性を評価した人が良作と呼ぶ。ただ、独創性に優れた作品=面白いかというと、それは必ずしもイコールではないのがツライところ。っが、少なくとも名作と呼ばれる作品の表面だけをパクって製作されたクソゲーよりは評価できることは間違いない。

カラテカのキャラの動きなんかも、よく見てみると、とても滑らか。攻撃モーションが1パターンしかないイーアルカンフーのキャラの動作よりもとても好印象だった。いろいろな一撃死が用意されている点では面白かったので、いいとこバカゲーってとこだと思う。

スペランカーにしてもあの軽快な操作性は特筆に値する。アーケード版では落ちても死なないそうだが、それではあの緊張感は生まれない。スペランカーより操作性が悪く、ダラダラしたクソゲーなんて山のようにある。

FCのキングオブクソゲーと呼ばれる(?)たけしの挑戦状も、とても自由度の高い独創性のある作品だ。タイトル名を考えてみてほしい。つまり、このゲームはたけしからの挑戦状なのであって、プレイヤーを楽しませることを目的とした作品ではないということになる。謎解きは難解すぎて攻略本無しではムリ&ラストダンジョンの超絶的な難易度も、たけしからの挑戦なのだから納得できる・・・まあ、このような解釈をしている私がおかしいのかもしれないが。




このように、クソゲーに定義なんて存在しないのだ。
そもそも定義なんてあったら個性なんてものが無くなることと同意。上記したように、プレイヤーがその作品に共感できれば面白いと感じるし、逆に共感できなければクソゲーと呼ぶ。それだけの話である。

ただ、難易度が高い=クソゲーという方程式は見直さなければならない。ライトな方は、難易度が高いだけでクソゲー扱いしてしまうかもしれないが、敷居が高いってことは、それだけクリアした時の達成感を感じることができるのである。

それでもフォローのしようがないほどのクソゲーに出会うこともあると思う。激しい破壊衝動に駆られる場合もあるだろう。中古ショップに持ち込んで千円未満の買い取り価格ならば、おもいっきり投げつけてフラストレーションの解消に貢献してもらおう。人生を無駄使いさせられたことに対する代償ってヤツだ。



おしまい




勢いで書きなぐりました。
できるかぎりフォローしてみたんだけども(汗)。
posted by ふうのしん at 13:15 | Comment(3) | TrackBack(0) | ファミコン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする