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Thu, March 26, 2009 stanford2008の投稿

桜井淳所長から東大大学院人文社会系研究科のH先生への手紙 -神学研究の方法 24-

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H先生



具体的な研究への視点を記してみます。


【研究の方法論】

研究の方法論は、『ユダヤ教の精神構造』(本欄バックハンバー参照)から読み取れます。重要な留意点は詳細にメモしておきました(本欄バックハンバー参照)。もちろん大変難しいことですが、繰り返し熟読吟味し、強い意志と問題意識の中でその研究の方法論を換骨奪胎すれば、具体的な研究テーマを見つけることができると確信しました。


【いくつかの問題意識1】

「旧約聖書」(原典はヘブライ語で書かれた46冊からなる書)で最も重要な部分は、モーセ五書ですが、その中でも特に重要なのは、「出エジプト記」(関根正雄訳『出エジプト記』、岩波文庫、1969)と受け止めています。いっぽう、「新約聖書」(原典はギリシャ語で書かれた27冊からなる書)で最も重要な部分は、4名による4種の「福音書」(塚本虎二訳『新約聖書福音書』、岩波文庫、1963)と受け止めています。ユダヤ教徒の間では、聖書と言えば、「旧約聖書」だけですが、キリスト教徒の間では、「旧約聖書」と「新約聖書」を意味しており、その解釈をめぐり、いまでも議論されているようです(同上、p.392)。私もこの問題を考えたいと考えています。


【いくつかの問題意識2】

「新約聖書」の「ヨハネ福音書」のヨハネは、12使徒のいちばん弟子の元漁師のヨハネと考えられていますが、イエスに洗礼を与えた長老のヨハネという解釈もあり、前者の説が優位ですが、まだ、確実なことは言えない段階のようです(塚本虎二訳『新約聖書福音書』、岩波文庫、p.412(1963))。「ヨハネ福音書」が流布されたのが紀元120-140年(同上、p.412)とされていますが、もし、書かれてすぐ流布されたとすれば、歴史的記録を吟味してみると、弟子の元漁師のヨハネの年齢は、少なくとも105-125歳となり、いっぽう、長老のヨハネの年齢も、誕生時期から推定するに、126-146歳となり、当時、それほど長生きできるとは思えず、両者とも年齢的な矛盾が生じてしまいます。しかし、死亡時期を記した歴史的記録を尊重して、書いた時期と流布した時期に40-60年のズレがあるとすれば(紀元60-80年頃に書かれた)、矛盾は解消します(と言うのは、紀元80年頃に「ルカ福音書」が書かれており、紀元85年頃に「マタイ福音書」が書かれているため、この頃に「ヨハネ福音書」も書かれたとすると都合がよいが、手元の文献には、前二者の記載はあるものの、「ヨハネ福音書」の記載はありません)。私はこの疑問にこだわります。


【いくつかの問題意識3】

聖書の解釈は、自然科学の知識ではなく、高度な神学哲学を理解していないと、正しくできません。私は、物理学と社会科学の研究をしてきましたが、「旧約聖書」と「新約聖書」とも、聖書を物理学で解釈すると、いたるところで無理が生じ、受け入れがたいことが少なくありませんが、そこは物理学で解釈するのではなく、飛躍になりますが、神格化して無条件に受け入れなければならず、受け入れるところから、つぎの教えにつながって行くのです。私は、その意味で、歴史実証学と聖書解釈学の両者を尊重した学問を進めたいと考えています。強い問題意識を持って聖書を熟読吟味すると、矛盾が明確に浮き上がってくるため、研究テーマを定めることが、それほど難しいとは感じていません。


【いくつかの問題意識4】

歴史実証学と聖書解釈学から離れますが、聖書を生み出したユダヤ人の歴史を3700年遡って吟味してみましたが、世界第二次大戦中に発生したナチスドイツによるユダヤ人大虐殺(ホロコースト ; ユダヤ教の儀式に出される焼肉のことをこのように呼んでいます)については、明確な理由と原因が出てきませんでした。特に、大虐殺には、いくつもの矛盾点(利用された毒薬の即効性への疑問等)があって、何が真実か、また、よく分かっていない部分があるように受け止めています。これは現代史の問題ですが、検討に値すると受け止めています。


【いくつかの問題意識5】

歴史実証学と聖書解釈学から離れますが、聖書を生み出したユダヤ人が、パレスチナを占拠して1948年にイスラエルを建国し、それまでパレスチナに住んでいたパレスチナ人(ユダヤ人やアラブ人)をイスラエルの領土内の特定の自治区であるパレスチナ自治区(ヨルダン川西岸地区とガザ地区)に追いやりましたが、ユダヤ人の歴史を3700年遡って吟味してみましたが、過去に彼らがされたことをそのまま、パレスチナ人に報復しているように受け止められます。これは現代史の問題ですが、中東の政治と経済を含め、検討に値すると受け止めています。


【いくつかの問題意識6】

神の国がなぜ核を保有(イスラエル)しているのか(本欄バックナンバー参照)、また、これから保有(イラン、さらに、その兆候は、シリアにも表れています)しようとしているのか、これは現代史の問題ですが、世界の核拡散の問題まで含めて、検討に値すると受け止めています。


【いくつかの問題意識7】

比較宗教論の観点から、ユダヤ教、ヒンドゥー教、儒教、仏教、キリスト教、イスラーム教の基礎事項や経典は、ひととおり勉強しますが、必要最小限に留め、歴史実証学と聖書解釈学を基にした聖書哲学神学哲学の追究に徹したいと考えています。


桜井淳

Thu, March 26, 2009 stanford2008の投稿

【事務所報告】桜井淳所長の最近の講演内容-現代科学技術論シリーズ(1)地球環境悪化防止の政治学-

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Thu, March 26, 2009 stanford2008の投稿

桜井淳所長から親しい友人のX先生への手紙 8-未確認飛行物体の存在が信じられない最大の要因-

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X先生



唐突ですが、地球は大きく、太陽は比較にならないくらいさらに大きく、太陽を楕円の焦点として、多くの恒星や惑星や衛星からなる太陽系は、日常生活の感覚からすれば、考えられないような、あえて言えば、無限に近いくらい大きな体系と受け止めることができます。しかし、宇宙全体から見れば、太陽系など、ほんの点か、ちり程度の大きさにすぎず、宇宙には、無限数に近い恒星や惑星や衛星が存在しており、その中の地球だけに高度の思考力を有する生命体が存在し、高度の文明を構築したとなると、考えられないことの無限大に近い数の乗数の値分の一くらいの発生確率になり、自然の偶然による不思議さを感じます。だからこそ、地球以外にも、高度な思考力を有する生命体が存在し、地球以上に高度の文明が存在しても受け入れられないほどありえないことでもないように思えます。実は、この話は冗談ではなくて、真面目な話です。しかし、だからと言って、すぐに、世の中でおもしろおかしく論じられているような未確認飛行物体の話と結びつけられるのは、筋違いというものです。私が、世の中のその種の議論を受け容れられないのは、常識的な伝統的物理学にこだわっているためだけではなくて、情報の内容に原因があります。報告された情報の大部分は、地球上の人間の発想に基づくもので、たとえば、発見された生命体の大部分は、まさに、人間に近い形状をしており(頭があり、胴体があり、二本の手があり、二本の足があり、顔には、二つの目があり、鼻や口までありますから・・・・・・)、言語で話しかけてくる・・・・・・、そのようなことは、任意の惑星からの高度な思考力を持った生命体の一般的な存在ないし表現法とは限らず、あくまでも、人間によるところの地球の情報や価値に立脚しているとしか考えられません。どうして、ミミズのような形ではないのでしょうか、どうして、ムカゼのような形をしていないのでしょうか、人間に話しかけるのではなくて、音波を発するとか、もう少しバラエティに富んでいるように思えます。もはや、決定的に受け入れられないのは、 CNN.co.jpが3月23日に配信した、「1987年から1993年にかけて英国防省で記録された未確認飛行物体目撃証言約1200件」のうちに、「宇宙人に話しかけられた」という女性の報告です。その女性は、「英南東部ノリッジで1989年に、宇宙人と遭遇した。犬の散歩中、近所の運動場で飛行服姿の男性に声をかけられた。"北欧系"のなまりで、別の惑星から来たと話していた。女性は約10分間の会話で"すっかり恐ろしくなり"、あわてて帰宅した。その途中、木の向こう側から大きな光る物体が真上へ上っていくのが見えた」となっていますが、宇宙人が人間に分かるような言葉を話すわけがないでしょう、いわんや、その言葉が、"北欧系"の英語であるはずもありえませんが、みな、この種の情報であって、冗談の種にもならないものばかりです。物理学者は、地球が特別な存在とは考えておらず、地球以外にも地球以上の文明が存在してもありえないこととは思っておらず、ただ、もうすこし違った形の生命体であり、違った言語らしきものでの表現をするように想像しています。



桜井淳

Thu, March 26, 2009 stanford2008の投稿

桜井淳所長から親しい友人のX先生への手紙 7-四国在住の人が足摺岬と室戸岬を間違えるだろうか?-

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X先生



毎月、黙っていても郵送されてくる『日本原子力学会誌』を熟読しています。掲載内容から判断して、もはや学術誌には分類できず、原子力学会の"広報誌"に格下げになってしまっています。まことに残念です。それに、毎号のように間違いが見られます。原因は、おそらく、執筆者の知識不足と注意力のなさ、それに、編集委員のチェック能力のなさでしょう。私は、これまで数回ほど、編集委員会に、誤りを正すメールを送りましたが、最近は、あまりのレベルの低さに、注意しても何も改善されないことが分かったため、無視することにしています。まことに残念です。原子力の安全性とか温暖化対策における原子力の役割とか、表面的には、賢そうな議論をしていますが、実際には、間違い箇所の意味を検討してみると、執筆者が非常に基礎的なことを理解していないことが分かります。たとえば、温暖化ガスの二酸化炭素の濃度と排出量の区別ができていないとか・・・・・・。最近刊行された『日本原子力学会誌』(Vo.51,No.2,p.102(2009))には、「高知県東洋町前町長田嶋裕起氏を訪ねて」と題し、「東洋町は、高知市から足摺岬を経由し、四国の南海岸を徳島県とり県境まで約3時間半走ったところにある穏やかな町で、ポンカン(柑橘類)とサーフィンが有名らしい。車窓から見た町は、国道を挟んで美しい海岸と民家や畑に分かれていた。反対派や取材の報道陣がこの静かな町に入って来たと思うと、胸が詰まる思いがした」と記載されている箇所が有ります。書いた人は四国電力㈱松山支店の河田朱実氏(p.33)です。たとえば、水戸在住の私が東洋町の位置や周囲の地理的特徴を知らなくても、東洋町が高レベル廃棄物地下貯蔵所候補地の名乗りを上げるまで、まったくの無名の町であったため、他人から責められるようなこともないでしょうが、四国の愛媛県在住の河田氏がとなりの県の高知県の東端にある室戸岬と西端にある足摺岬を間違えるとなると(引用文中の足摺岬は間違いで、正しくは室戸岬)、うっかりや記憶違いでは済まされず、本当は、中学生でも知っている日本の基礎的な地図に記された地名さえ記憶していなかったことになり、それも、現地を訪れ、車窓から交通標識や地域案内の表示も目に入ったものと推察されますが、それにもかかわらず、間違えるとなると、・・・・・・、もう、救いようがありません。人間というのは本当に分からない生き物です。



桜井淳

Thu, March 26, 2009 stanford2008の投稿

桜井淳所長から親しい友人のX先生への手紙 6-鉄製とステンレススチール製の車両はどちらが丈夫か-

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X先生



鉄と綿のどちらが重いかというやり取りは、誰しも子供の頃の記憶にあるでしょうが、それは、真面目に、大人の感覚で考えれば、単位体積当たりの重さ(密度)で比較しますから、答えは、明らかに、鉄になります。しかし、子供の質問には、もちろん引っかけになっているのですが、"陽"には、比較の条件を示していないために、単位体積で比較する必要はなく、いくらでも綿を集めれば、綿の方が重くなるため、答えは、綿と言っても正しいのです。このことは、物を比較する場合には、比較条件を明確にしておかなければならないということを示しています。では、大人の会話で、鉄と紙は、どちらが丈夫か、という質問に対し、同じ幾何形状であれば(たとえば同じ厚さ)、鉄と答えるでしょうが、ナイフ(ピストルで撃ってもよい)で鉄0.1mm厚と紙10cm厚を突き刺した場合、どちらが阻止能が高い(丈夫)かと言えば、紙になります。重要なのは、その物質の材質的特性だけでなく、産業現場での利用の仕方、すなわち、幾何形状の情報が重要になってきます。私は、特に、1980年代後半から1990年代半ばまで、もちろん、その後も、独新幹線ICE脱線転覆事故(1998)や営団地下鉄日比谷線脱線事故(2000)(時速約30kmの対向車両の片方が脱線したため、もう片方の車両の側面をこすった結果、車両の側壁だけでなく、骨組み構造材まで完全に剥ぎ取られてしまい、乗客5名が死亡したが、もし、ラッシュ時であれば、数十名の死者になっていたものと推定され、車両の脆弱性が証明されました)の時にも、強調しましたが、新幹線や在来線の車両とも、①鉄からアルミニウムやステンレススチールへ変更しての高速化のための軽量化(軽量化すると強風・突風の影響を受けやすくなります)、②エネルギー効率改善による経済性向上、③塗装やり直し不要のためにメンテナンスフリー化、を目的に、従来の鉄製車両をアルミニウム製車両やステンレススチール製車両に変更した時のメリットとデメリットを考察しました(『新幹線「安全神話」が崩れる日』、講談社(1993)、『新幹線が危ない!』、健友館(1994))。そして、構造材に、アルミニウムやステンレススチールを採用して軽量化するだけで、脱線を想定しない車両構造設計では、十分な安全性が確保できないことを警告しました。そのことは、まことに不幸な出来事でしたが、営団地下鉄日比谷線脱線事故とJR西日本福知山線脱線転覆事故(2005)で証明されました。鉄とステンレススチールの金属学的特性が近いことくらい子供でも知っています。車両を鉄からステンレススチールにすることが悪いのではないのです。そのことは、繰り返し、2冊の著書で説明してありますから、ぜひ、読んでください。①軽量化と②脱線を想定しない構造設計が悪いのです。車体設計において、まったく同じ幾何形状にすれば、鉄からステンレススチールに変更しても、車体重量または構体重量(車両重量には台車が含まれますが、車体重量または構体重量には含まれません)は、当然ですが、ほぼ、同じになります。台車は、強度の関係から、普通、鉄のままにしてあります。よって、車体を軽量化するにはどうしているかというと、幾何形状を変更したり、構造材の厚さや数を減少したりしなければ、絶対に、達成できません。ステンレススチール製車体に問題があるという意味は、脱線を想定した構造設計をすることなしに軽量化するため、構造材の厚さと数を減らしているためです。いまは、昔と違って、コンピュータシミュレーション等の採用によって、計算の合理化や最適化は、達成できるでしょうが、それでも、同じ安全性レベルを保ちつつ、従来の半分(安田浩一『JRのレールが危ない!』、p.22, 金曜日(2006))まで軽量化できるほど、構造設計は、単純ではありません(すべての車体が半分に軽量化されているわけではなく、2割、3割のものもあります)。いまでも私にメールしてくる鉄道マニアの中には、以上のようなことが理解できておらず(その表現からすると、冗談やいたずら目的とも思えず、本気でそのように理解していると解釈できますから、救いようがありません)、哀れでなりませんが、解決策は、そのような方々には、どこかの大学の大学院工学研究科機械工学専攻で、特に、材料と構造設計について、勉強してもらう以外にないでしょう。国土交通省航空・鉄道事故調査委員会による通称「JR西日本福知山線脱線転覆事故報告書」には、車体構造材の接合法の改善等の重要性を提言していますが(国土交通省は脱線実験の予算も計上してあります)、当然であって、何もそのことは、事故後に、認識できることでなく、事故の10年以上前に出版されていた私の2冊の著書の中で警告しており、行政側とメーカーとJRが私の警告を真摯に受け入れていれば、運転士・乗客含め死者107名も出さずに済み、半減することは可能でした。その事故はJR西日本の無知の記念碑となりました。JR西日本どころか、日本の鉄道関係者の無知の記念碑とでも言えましょう。鉄道関係者の安全認識は私よりも明らかに10年以上も遅れています。私は、国土交通省航空・鉄道事故調査委員会、国土交通省鉄道局、車両メーカー各社、JR各社、私鉄各社に、真摯な気持ちと親切心から、"安全論"の出張講義に出かけたいと思っています。鉄道各社には、JR西日本福知山線脱線転覆事故のようなことは、二度と起こしてもらいたくないからです。



桜井淳

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