・ 先日、「土楽」の福森さんのやっていることを、
野次馬のように見てて、こんなことを思いました。
同じことを、「できる」と思ってる人と、
「できない」と思っている人とでは、
「できる」可能性がぜんぜんちがうと思うんです。
いや、ぼく自身もそうだったからわかるんだけど、
「できない」と思っていることを、
がんばってやった時期も、ないわけじゃないんです。
でも、そういうときっていうのは、
とにかく苦しくてね、出来もよくなかったりするんです。
まったく新人のころは、ひとつの文章を書くのにも、
眉をしかめて、苦吟して、息を荒くしていました。
そして、たいしたものは書けませんでした。
そのころは、「できる」と思ってなかったんですよね。
「できなきゃ」とか思っていたのかなぁ。
やがてそのうち、いつのまにか、
ぼくは「できる」ことをしているんだ、
と、わかるようになっていたんです。
「できる」とわかってするようになってからが、
本職というものなのかもしれません。
「できる」と思っていたことが、やってもやっても
「できない」という場合もあるでしょう。
でも、それでも、
「できる」と思ってるから「できる」んですよね。
そうすると、「できない」ようにも見えて、
最後には「できる」、というようなことが、
とても楽しみになってきます。
いつか必ず「できる」と思いつつ、
なかなか「できない」なんてことが、おもしろくなる。
こうなってくると、「楽しむ」ようになります。
「できる」がわからないと、「楽しむ」はありません。
「楽しむ」が上手になると、
いつも「できる」ことばかりになります。
なぜなら、「できない」に決まってることは、
「できない」のだから、しなくなるからです。
奇跡を祈るんじゃなく、奇跡のようなことも
「できる」とわかっているんですよね。
遠くから近くから、「ほぼ日」に来てくれて、
ほんとにありがとうございます。
野次馬のように見てて、こんなことを思いました。
同じことを、「できる」と思ってる人と、
「できない」と思っている人とでは、
「できる」可能性がぜんぜんちがうと思うんです。
いや、ぼく自身もそうだったからわかるんだけど、
「できない」と思っていることを、
がんばってやった時期も、ないわけじゃないんです。
でも、そういうときっていうのは、
とにかく苦しくてね、出来もよくなかったりするんです。
まったく新人のころは、ひとつの文章を書くのにも、
眉をしかめて、苦吟して、息を荒くしていました。
そして、たいしたものは書けませんでした。
そのころは、「できる」と思ってなかったんですよね。
「できなきゃ」とか思っていたのかなぁ。
やがてそのうち、いつのまにか、
ぼくは「できる」ことをしているんだ、
と、わかるようになっていたんです。
「できる」とわかってするようになってからが、
本職というものなのかもしれません。
「できる」と思っていたことが、やってもやっても
「できない」という場合もあるでしょう。
でも、それでも、
「できる」と思ってるから「できる」んですよね。
そうすると、「できない」ようにも見えて、
最後には「できる」、というようなことが、
とても楽しみになってきます。
いつか必ず「できる」と思いつつ、
なかなか「できない」なんてことが、おもしろくなる。
こうなってくると、「楽しむ」ようになります。
「できる」がわからないと、「楽しむ」はありません。
「楽しむ」が上手になると、
いつも「できる」ことばかりになります。
なぜなら、「できない」に決まってることは、
「できない」のだから、しなくなるからです。
奇跡を祈るんじゃなく、奇跡のようなことも
「できる」とわかっているんですよね。
遠くから近くから、「ほぼ日」に来てくれて、
ほんとにありがとうございます。