中東の時計がくるくると10年逆戻りした感がある。だが、本当に現実は逆戻りしているのか、それとも和平進展への準備期間なのか--。
イスラエルで右派主導政権が発足した。新首相になった右派政党リクードのネタニヤフ党首は96~99年にも首相を務め、時の米クリントン政権としばしば険しく対立した。米国のネオコン(新保守主義派)の支持も厚いタカ派の政治家だ。
99年のイスラエル首相公選で敗れ、一時は政界引退も決意した。この時の落選は、クリントン大統領がネタニヤフ氏の対抗馬を強く支援したのが一因とされる。クリントン政権と同じ民主党のオバマ政権に対して、ネタニヤフ氏はある種の警戒感を持っているかもしれない。
タカ派の首相に加え、外相には極右政党「わが家イスラエル」のリーベルマン党首が就任した。アラブ系住民の排斥さえ唱える同党首の外相就任で、中東和平はさらに遠のいたという声が出るのも無理はない。
しかし、和平進展を絶望視するのは気が早すぎるだろう。中東問題は必ずしも図式的には動かない。一例を挙げれば、かつて国防相として悪名高いレバノン侵攻(82年)の陣頭指揮を執ったシャロン元首相は、二十数年後にガザからのイスラエル撤退という歴史をつくった。
「強硬派」だからこそ可能な決断がある、ということだろう。「安全」重視のイスラエル国民は、弱いイメージの指導者を支持しない。その点、ネタニヤフ氏は米国を仲介とした対パレスチナ交渉(98年)でも、したたかな交渉ぶりを印象付け、弱いイメージとはほど遠い。
それから10年。再び首相になったネタニヤフ氏には和平への柔軟な決断を期待したい。イスラエルとパレスチナの「2国家共存」について、ネタニヤフ氏は賛否を明言していないが、共存こそ和平の基本であることは確認しておく必要がある。
安全保障を重視するのは国家として当然だが、強硬策には反動が伴うことも承知すべきだ。イスラエルは昨年末からのガザ攻撃で、非人道的な白リン弾を使った疑いがある。ユダヤ人入植地や「分離壁」の建設などは長年、国連や国際機関からも批判されてきた。こうした行為が過激主義を助長し、イスラエル自身の安全を損なう悪循環をもたらしていることを自覚しなければならない。
注目されるのは、核開発を続けるイランにネタニヤフ首相が強い警戒感を示したことだ。イランとの対話に前向きなオバマ政権へのけん制でもあるだろうが、イラン攻撃の可能性も含めて中東がきな臭くなったのは間違いない。オバマ政権の積極的で賢明な中東外交を望みたい。
毎日新聞 2009年4月2日 東京朝刊