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特集
仙台ストリート物語
市民がつくりだしてきた都市空間

仙台には不思議なエネルギーがある。
歴史的な城下町の風合いや緑美しい街並みがあるかと思えば、斬新な施設があり、高度な先端技術開発のメッカとしての顔もある。
このまちには知れば知るほど感心するものがある。それは、「ふつうの市民」のパワー。
爆発的な熱気を感じさせるものとはちがう。尖ったヒーローがいるわけでもない。
しかし、いつのまにか都市を変え、社会に大きなインパクトを与えている。こうした市民のエネルギーを感じる空間、それは道である。
「緑」に彩られた杜の都仙台の道には、仙台の「NEW」を語るもう一つのストーリーがある。


杜の都の澄んだ空気を取り戻す 脱スパイクタイヤへの市民運動

それは昭和56年(1981)1月、
地元紙の河北新報夕刊に寄せられた一通の投書から始まる。
「仙台のまちは、なぜこんなにほこりっぽいのでしょうか。…」
“杜の都”を鋭く告発する市民の切なる声だった。
かつての冬の仙台
かつての冬の仙台。道路は粉じんが舞う“砂漠”と化していた。(河北新報社提供)

  どんよりとまちを包むスモッグ状の大気、車が走り抜けたあとには粉じんが舞い上がる。沿道の小売店は、店先の商品に降り注ぐ砂埃に頭を痛めていた。道行く人々は目を細め、手で口鼻を覆いながら、小走りに通り過ぎて行く…。呼吸器系を病む人もいた。
 「中国大陸からの黄砂では…」、「郊外の土が雪に付いて運ばれてきたのでは…」という声もあったが、明らかにこうした現象ではなかった。道路に轍(わだち)が掘られ、横断歩道の白線が消えてゆく。
 原因は、スパイクタイヤだった。
 当時、冬期間に市内を走る車の90%以上がスパイクタイヤを履いていた。雪道の少ない都心部では、特にダメージが激しく、舞い上がる粉じんも多かった。

スパイク全盛
スパイクタイヤ全盛時代の仙台の都心。この程度の積雪は冬期間でも数日しかなく、すぐに雪は融け、路面は次々と削られていった。
市政だより
市政だよりをはじめ新聞、テレビなどのメディアに多くの市民が登場して脱スパイクキャンペーンを展開した
あえて不便を選択した市民
 道路粉じんにはタールなどの発ガン性物質が含まれる。犬の肺からスパイクピンの一部とみられる金属物質が発見された。
 被害者が出てからでは遅い。環境問題に対する処方箋を市民は知っていた。危機意識が一気に高まりをみせ、町内会、商店会、学校、企業、マスコミ、弁護士、医師など、市民総出の「脱スパイク運動」が始まった。この運動はさらに全国の「雪国」へと広がっていった。
 しかし、安全で便利なスパイクタイヤ使用と健康への不安の板ばさみの中で、被害者であると同時に加害者でもある市民のかっ藤が始まった。
 冬道の安全性では、スパイクタイヤの制動能力はスノータイヤを上回る。かといって当時はこれに替わる性能のタイヤは商品化されていなかった。にもかかわらず、仙台市民はスパイクタイヤの放棄の決断をした。
シンポジウム
どのようにしたら美しい環境を取り戻せるか、市民と行政は繰り返し議論を重ね、自分たち自身の習慣を変えると言う結論を導きだした。
ピン抜き
市内各所にピン抜きセンターが開設され、根気強くピンを抜き続けた。抜いたピンを利用してゴジラを模したキャンペーンキャラクターを作り、子どもなど幅広い市民の共感と協力を訴えた。
 その第一歩がスパイクタイヤのピンを抜くことだった。共感した多くの市民がピン抜きに列を連ねた。市民は健康を守るため、不便を選択したのだ。
 市内では、冬道運転やチェーン掛けの講習会開催、滑り止め商品の開発、アイデアの提案など地道な努力が重ねられた。一方、タイヤメーカーにおいても商品開発が進められ、ようやく国産スタッドレスタイヤが登場した。初期の商品の性能は十分なものではなかったが、仙台市民はこれを歓迎した。効果は絶大であった。スパイクタイヤ装着率の減少とともに、降下ばいじん量も目に見えて減少していったのである。
 市民の投書を契機に始まった脱スパイクタイヤ運動は、平成2年の「スパイクタイヤの粉じん発生の防止に関する法律」の制定に結実した。スパイクタイヤは禁止され、北国の道にきれいな空気がよみがえった。

自らの習慣を変え、エコ市場を創造
 スタッドレスタイヤが単なる新商品として登場していただけなら、おそらく市民はこれまでどおりスパイクタイヤを選択していただろう。当面の利便性を優先しがちな我々は、環境問題を身近な問題として受け止め難い。エコ商品がなかなか普及しないのは、そこにある。
 環境問題の克服は、今世紀最大のテーマである。この難題に仙台市民はひとつの解答を出した。自らの生活を変えることで、需要そのものを変え、環境品質の高い商品の市場を市民の手でつくりだすことは可能である、という実証をしたこと。それである。
 2002年8月、仙台市はヨハネスブルク・サミット関連行事の「自治体セッション」において、スタッドレスタイヤというグリーン商品の市場形成事例を発表した。持続可能な社会形成の実現に向けた仙台市の挑戦はいまも続いている。
スパイクタイヤ
スパイクタイヤは、スノータイヤに高硬度の金属チップ(ピン)を約80〜200本あまり打ち込んだもの。このチップがタイヤ表面に約1〜2mm突き出して滑り止めの役割を果たす。
店頭
沿道の小売店は商品に降り注ぐ砂埃に頭を痛め、掃き掃除が冬の日課のようになっていた。市民はこうした現実に直面しながら”脱スパイク”に立ち上がった。

 

路面
雪や氷のない路面でスパイクタイヤを使うと、硬いチップが道路面を直接削る。路上の鉄製ふたの模様も削られてツルツルになった。白線は一ヶ月もしないうちに消えてなくなる。
グラフ

当時、 業界の先頭に立って脱スパイクに取り組んだ
林 宏 さん(当時(社)日本自動車タイヤ協会技術部長)

「仙台市民も行政も環境や健康に対する意識が高く、タイヤ業界も一丸となってスタッドレスタイヤの開発に取り組みました。こういう成功事例はなかなかない。脱スパイクタイヤ運動は世界に誇っていいと思います。私も後世に残る仕事をして誇りに思っています。」
(現在、ジャパンライトアロイホイールアソシエイション事務局長)

■環境都市づくり
仙台市環境局環境管理課
Tel:022-214-8218
FAX:022-214-0580
http://www.city.sendai.jp/kankyou/soumu/

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