伝統を電気で鳴らす革命、三味線かとう

Category: お店, マガジン, メイカー, , 工芸士, 技術者 2009年3月10日

近代的絃楽器と伝統的絃楽器。そのコントラストを楽しみたいと、先週に続き訪ねたのは、「三味線かとう」です。同店があるのは、路面電車が往来する東京の下町、荒川区。淡い懐かしさ漂うこの界隈に、チトシャンベンベケとあの三味線の音が響きます。でも、その音、実はフツウの三味線の音とはちょっと違う。何と、その音には電気が通っているのです。エレキ三味線? うーん、何やら色物的な響きですねー。ところがどっこい、同店には、蒼々たるプロの三味線プレイヤーたちが顧客として名を連ねる。さあ、一体どうしてでしょう?
訪ねた人:加藤金治
場所:三味線かとう
取材:鈴木 ”スズ” 隆文、谷津田良之

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この辺りは、情緒が残っていていいですね。生まれたのもこちらなんですか?

はい、そうです。僕は(1947年)荒川区に生まれて、荒川区で育ちました。この辺一体というのは、職人ばかり住んでいたところなんです。僕の父も職人です。父は三味線の棹の職人でしたね。

三味線職人といっても、分業化されているんですね。加藤さんも専門があるんですか?

僕は三味線の革張りの職人です。父から「革の張り替えの方が儲かるゾ、お前、革張り職人になれ」そう言われて、中学卒業後すぐ革張り職人さんに弟子入りしました(笑)。

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中学卒業して、即仕事、それも職人ですかー。想像つかないですね。

15歳でしたから、何も考えず、職人になった。来る日も来る日も技術修得の修行、仕事ですよ。

きっと大変だったんでしょうね。

でも、ラッキーだったのは、丁稚奉公した先に、本がいっぱいあったことです。それで、ヘッセの『車輪の下』を皮切りに、読書というものをしはじめた。そうしたら、いろいろ世界が広がって、考えさせられるわけです。「一体、自分はこのまま、三味線の革張りだけして一生を終えてしまっていいのだろうか?」とかね。それで職人をしながら定時制の学校に通う気にもなったんです。

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そうだったんですかー。ところで職人としての修行は何年続いたんですか?

7年間です。その後、僕は22歳で旅に出ました。2年間、ヒッチハイクで野宿して日本中を歩き回る旅です。お金なんか持たずに、行く先々でときどき住み込みのアルバイトをしながら、行き当たりばったりで旅を進める。その日見た夕日が綺麗だったら、「よし、今日はここで野宿しよう」、そんな感じ。あれは、もう一種の馬鹿ですよ(笑)。でも当時は、カニ族っていって、そういう人たちが日本中に結構いたんです。

カニ族?…ですか。

60年代から70年代くらいには、 お金なんか無くても30キロの荷物を背負って長旅している人たちがいたんですね。僕にとってあの2年間は、無駄な時間、それも「珠玉の無駄な時間」と言っていいでしょうね(笑)。何に役立っているかわからないけど、あの2年間の経験での蓄積というのは、その後の人生に大きな影響を及ぼしていると思いますね。

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なるほど。三味線屋さんなのに、何だかロックっぽい自由さを感じると思ったら、そういうことされていたんですね。その辺りがエレキ三味線を生むことにも影響をしているんでしょうね。

実際には、わからないですけどね。エレキ三味線自体は、元々、ある三味線奏者のライブ演奏を観たのがきっかけでした。彼は、スタンドマイクで音を拾って、他の楽器と競演をしていた。しかし、三味線の音がどうも他の音に負けてしまっている。それでどうにかならないものかと、自らエレキ三味線の研究開発に乗り出したんです。お店をはじめたばかりの話だから、1989年のことですね。

美しい三味線の生の音をあえて電気音に変えようとしたのはどうしてなのでしょうか?

それが違うんです。実際には、生の音を綺麗に鳴らしたいがために電気を通したというのが真相なんです。つまり、ギターだとか、ベースだとか、ドラムだとか、そういう現代の楽器と共演しようと思ったときに、従来のようにスタンドマイクからエアーで音を拾っていると、三味線の音として聞こえないんです。

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というと、どういうことでしょうか?

バチで叩くアタックの音ばかりがマイクで拾われてしまって、ツーンッという三味線独特の残響音が聞こえない。他の楽器というのは、ラインで音を拾ったり、ドラムなんかは元々音が大きいでしょ。そういう楽器と同じ舞台に立つには、どうしても電気を流してラインで音を取る必要があったんです。だから、エレクトリック三味線の命題というのは奇をてらった音を出すことではなくて、「いかに生の綺麗で繊細な三味線の音に近づけることができるのか」なわけです。試行錯誤の末これができたお陰で、和太鼓の林英哲なんかとも三味線が一緒の舞台に立てるようになったんですよ。

ああ、そうでしたか。それは一種の革命ですね。

ある意味では、伝統を未来につなぐということをやっているわけですね。それでも、伝統の三味線を後世に!なんて想いはサラサラないですけどね(笑)。でも、自分が楽しむためにも未来的なことはやっていきたい。

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なるほど、「未来的なこと」、何となくですけど、わかるような気がします。

例えば、このポスターにある三味線のライブイベント。これは未来的な試みだと自負しています。出演するメンバーも錚々たる人たちなんですよ。上妻宏光君は有名でしょ。それから木乃下真市本條秀太郎といった具合です。みんな三味線の世界では超一流の人たちですよ。

えっ、このこんな有名人が集まるイベント、加藤さんが企画制作しているんですか? 「職人さんが」と言ったら失礼かもしれないですけど、イベントの企画制作を……。

はい。直接的には商いに結びつかないから、妻には「そろそろ、やめたら?」と言われるんですけどね(笑)。実は僕は、若い頃に劇団に参加していたこともあって、舞台づくりは割と慣れているんですよ。仕事以外の時間で、役者をやっていたんですねその経験が役に立っているんです。後、参加者は基本的にはウチのお客さんです。

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なるほどー。仕事以外のこともやっておくものですねー。でも、やっぱりロックだなー。それに、それだけ一流の人たちが納得できる音をつくれるというのは相当なものなんでしょうね。てっきり色物系、ユニークなものづくりをしている方かとばかり思って訪ねてきたんですけど、本当に失礼しましたっ!

まあ、でも僕は、場当たり的にやってきたことが多いですからね。何も考えずにその場その場に対応して、実戦で試して、その成果をものづくりに活かして、ということを繰り返しやってきた結果が今に集約されている。そいういう意味では、若き日のカニ族の経験が役に立っているのかもしれません(笑)。

素晴らしいこと、幸せなことだと思います!

いや、でも本当にそうだと思います。裕福な人でも自分が何をしていきていきたいのかが見つけられない人は、生きていていてつまらないでしょうしね。過酷で貧しかったりする環境であっても、自分が何をしていくべきか、夢を見つけられた人は幸せだと思います。僕にとっては、それが興奮しながら取り組めるものづくりだったり、舞台づくりだったりするわけです。でもその代わり、イベントが終わった後は大変ですけど…。昨年は、翌日から地下鉄の階段が登れなくて、焦りました(笑)。

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