会社説明会レポート

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朝日新聞主催会社説明会 記者部門

  • 主催者あいさつ
  • 仕事紹介
  • 講演「報道の仕事と意義」

主催者あいさつ

朝日新聞社は今年、創刊130年を迎えましたが、この間、時代は大きく変わりました。いま私たちが目指しているのは、総合情報企業としての朝日新聞社です。とはいえ、事業の中核が新聞事業であり、最も大切なのが新聞作りであることは全く変わりません。インターネット時代を迎え、紙媒体の危機が叫ばれています。先日、創刊130年を記念した特集ページを掲載しました。このなかで、スタジオジブリのプロデューサー鈴木敏夫さんは、こんなことを言っています。「文章だって本当はみんな、紙で読みたいに決まっている。読みたくなるような紙面作り、という原点に立ち返れば、新聞は必ず残っていくと思います」。この言葉に私たちは大変励まされています。スピードではネットに劣るかも知れませんが、問題の分析力、ニュースの解説、埋もれた問題を掘り起こす調査報道ではどんなメディアにも負けない。新聞には、まだまだそういう力があると思っています。朝日新聞社は、新聞事業のほか、私たちの強みを生かした新たなビジネスに挑戦していこうとも考えています。インターネット、携帯電話を使った情報発信などです。記者には、これまでのように新聞の記事だけを書くことだけではなく、ネットや携帯にも情報発信し、さらにはビデオカメラで動画を撮ることも求められるようになってくると思います。新聞記者の仕事も少しずつ変わってきているわけですが、この機会に、朝日新聞記者の仕事がどういうものなのか、理解していただければと思います。

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仕事紹介

一般記者

昨年夏の北京五輪とパラリンピックの担当でした。北京では中国政府が仕立てた障害者訓練施設の取材ツアーに参加しました。政府が障害者支援をしっかりやっていることを見せようとするわけです。ただ、我々は宣伝を書くわけにもいきません。別の記者が、地方で障害者が苦しんでいる状況を取材したので、その対比で掲載し、現状をあぶり出すようにしました。パラリンピックの取材は意外と面白かったです。日本の中小企業が作った人気の車いすの話や、オスカー・ピストリウスという、南アフリカの両足義足の陸上選手の話などを書きました。この選手、片足義足の選手よりもダントツに速いんです。間近に見ていてとても感動しました。
私はふだん、社会グループの遊軍でメディア班を担当しています。遊軍とは、警視庁や省庁の記者クラブに所属するのでなく、機動的に動く記者のことです。ふだんはテレビや雑誌、新聞業界などを取材していますが、大事件があると、事件現場や関係者宅に取材に行きます。興味を持った対象があれば、担当以外の記事を書くこともできます。
メディア班の日常ですが、何もないときは午前10時すぎには出社。その日のスケジュールに合わせて取材し、午後7時ぐらいに原稿を出し、そのチェックをするのが9時半くらい。原稿を取り替えたり、新しい情報を書き加えたりして、最も遅い版の締め切りまでいると午前1時半ぐらいになります。泊まり勤務があると、そこから3時半まで働いて、仮眠を取って、翌朝7~8時に起きて1日働くということもあります。
自分が書いた記事で少しでも世の中が良い方向に進んだとか、知られていなかった事実を伝えることが出来たと思えた時が、一番やりがいを感じます。政府が設けた中小企業向け緊急保証制度の対象に出版業が入っていない、という話を昨年12月に書きました。出版会社の社長さんから「資金繰りがつかなくて年末には倒産を考えないといけない」と悲嘆にくれるメールをもらい、それを手がかりに取材しました。この記事が影響したのかは分かりませんが、その後、政府は出版業を対象に追加しました。
大きな問題提起ができるニュースにするにはどういう切り口を見つけるか。それが難しいところですね。

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校閲記者

校閲センターは東京本社に60人、大阪本社に30人ほど勤務しています。朝刊と夕刊でローテーションを組み、面担制といって、1人1ページを担当します。朝刊の勤務時間は、夕方から翌日午前2時ごろまで。夕刊は、朝からの勤務を終えて特集面のチェックをし、夕方に終わります。月に1回ほどは泊まり勤務で不測の事態に備えます。
校閲記者で採用されても、一般記者として、地方総局や編集センターを経験することがあります。校閲も編集局の一員ですので、記事がどう取材されて出てくるのか、というところを経験するのです。本人の希望が最優先ですが、20代の体力があるうちに、総局で取材のイロハ、編集センターでニュースの扱い方を勉強します。それらの知識は、再び校閲に戻って記事を見るときに役立てるという意味があります。
校閲の仕事は、取材した記者が書いた原稿を、新聞ができあがるまでに読むこと。数時間のうちに、すべて商品として出せるまでにすることです。
「校」とは校正という言葉が一般にありますが、原稿の見出しを含めて誤字脱字をチェックします。言葉使いは「朝日新聞の用語の手引」というルールブックがあり、それに漢字の使い分け、外来語の表記などが決まっています。それに合わせた形で原稿を整えていく。「閲」は固有名詞や数字など。昔は百科事典を使っていたが、今はインターネットでも事実関係を調べています。校閲の仕事の比重は「閲」が中心になっていますね。
昨年6月、岩手・宮城内陸地震がありました。夕刊当番として出社途中の時間帯でした。最初は被害がよく分からなかったのですが、一気に原稿が出稿されはじめ、30分くらいで全部読んで、自治体の名前に間違いがないか、そういったところをチェックしました。大変でしたが、バタバタで作った紙面をきちっと仕上げることが校閲のだいご味です。
間違った情報を世の中に出さないことが、社会的使命だと思っています。06年のドイツ・ワールドカップで、中田英寿選手が引退を表明した試合がありました。記事には「ピッチに寝転がって顔をタオルで覆った」という風に書いてあったのですが、実際は、対戦相手のブラジル選手と交換したユニホームでした。私はその試合をテレビで見ていたので間違いに気づき、指摘することができました。
新聞は、政治・経済の硬い話から芸能・スポーツまで、いろんな情報が載っている。新しい知識を得て、それを別の紙面で役に立てることができる。そのサイクルを回していくことができるのが校閲の面白さだと思います。

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写真記者

写真センターは100人くらい人員がいます。内勤のデスクを除くと、約60人がカメラマンとして働いています。拠点は東京、大阪、名古屋、福岡、札幌の各本支社。総局駐在として、仙台、京都、神戸、小倉にも1人ずつカメラマンがいます。入社後に一般記者として地方総局も経験します。私は1年目に広島総局に行き、1年間、警察を担当して記事を書きました。
写真センターは、国会から経済、スポーツ、芸能人インタビューなど、あらゆることに首をつっこめる部署です。ふだんは、一般記者とインタビューや現場に同行することが多いですが、「地球異変」というシリーズは写真センターが始めました。写真をメーンに、いろんな現象を切り取っていこうと企画立案したものです。
朝日新聞社は航空機2機とヘリを4機所有し、羽田、大阪、福岡空港に機体を置いています。火事や地震などがあれば、そこから飛び立って上空から写真を撮ります。潜水班もいて、海水汚染といった取材をします。
日勤の出勤時間は、午前8時出、10時出、午後2時出があります。泊まり当番もいます。常に誰かが出勤し、24時間態勢でカバーします。
カメラマンの仕事は、何よりも現場にたどり着き、締め切りに間に合うように写真を撮ることです。昨年5月に中国で四川大地震が発生した日、私は北京にいました。その日のうちに「四川に行ってくれ」と連絡を受けました。省都・成都の空港が閉鎖されていたため、重慶という街に飛び、そこから夜中に車を走らせ、翌朝たどり着き、写真を夕刊に掲載することができました。北京五輪で北島選手が金メダルを取ったときも、ゴールから4分後に夕刊の締め切りが迫っていました。ガッツポーズを見届け、パソコンにデジカメのカードを差し込んで送りました。
写真記者は現場に行くことが基本ですが、そこで色々な人に出会えることに、やりがいを感じます。その人に対して自分が何かできるというわけではありませんが、自分自身、良かったなということが多いです。昨年末、中国の広東省で、米国系靴工場を解雇された中国人夫婦の写真を撮らせてもらったのですが、夫婦で働いて月6万円の収入ということでした。お金持ちや、ゴミを拾って暮らしている人にも会ったことがあります。自分の人生の、何か糧になっている気がしますね。

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