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今まで述べてきた論理に関する国語能力の卒業試験をしてみましょうか。。
時間はかかっても、かまいません。 ヒント 文章中「しかし」そのものはありませんが、これと同様の意味の逆接の接続詞は存在します。 問 障害福祉年金と児童扶養手当との併給を禁止することが憲法第25条に違反するかについて論じた次の文章の( )内に、下記AからFまでの文のうちから適切なものを選んで入れて文章を完成させたとき、1番目に来るものと4番目に来るものとの組み合わせ(順序は問わない。)として正しいものは後記1から5までのうちどれか。(司法H13 3問) 「憲法25条の「健康で文化的な最低限度の生活」の具体的内容は、その時々における文化の発達の程度、経済的・社会的条件、一般的な国民生活の状況等との相関関係において判断決定されるべきものであるので、同条の趣旨にこたえて具体的にどのような立法措置を講ずるかの選択決定は、立法府の広い裁量に委ねられており、それが著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用と見ざるを得ないような場合を除き、裁判所が審査するのに適しない。 そこで検討するに、児童扶養手当は児童の養育者に対する養育に伴う支出についての保障である児童手当の萌芽として制定されたことは否定できないが、関係法律の趣旨から判断すると児童扶養手当は、母子福祉年金を補完する制度として設けられたものとみるのが相当であるところ、(1)ことからすると、(2)ということになる。そして、(3)ところ、(4)ことは明らかであり、このような場合(5)ので(6)。」 A 母子福祉年金は受給者に対する所得保障である公的年金の一種である。 B 障害福祉年金も受給者に対する所得保障である公的年金の一種である。 C 同一人に同一の性格を有する2以上の公的年金が支給されることになるべき、いわゆる複数事故において、それぞれの事故それ自体としては支給原因である稼得能力の喪失又は低下をもたらすものであっても、事故が2以上重なったからといって稼得能力の喪失又は低下の程度が必ずしも事故の数に比例して増加することはない D 社会保障給付の全般的公平を図るため公的年金相互間における併給調整を行うかどうかは、前記の立法府の裁量の範囲に属する。 E 児童扶養手当は児童手当とは性質を異にする F 障害福祉年金と児童福祉手当てとの併給調整は憲法第25条に違反するとはいえない 1、 AC 2、 BD 3、 CE 4、 DF 5、 EA
昨日の問(再掲載)
次の(1)から(6)までの空欄に後記アからクまでの文章のうちから適切なものを選んで入れると、公共の福祉に関する議論となる。(1)から(6)までの空欄に入れるべき文章の組み合わせとして正しいものはどれか。 学説の内容には立ち入らず、オウム返しの術および「しかし」に着目して解答せよ。 学生A:憲法第12条、第13条は人権が公共の福祉と調和する限度で尊重される旨定めているから、人権は公共の福祉によって制限されると解すべきだ。 学生B:それはおかしい。(1) 学生A:では、君の考えでは人権は無制約ということになるのか。 学生B:そうではない。(2) 学生A:そうした場合、憲法第12条、第13条の性格はどうなるのか。 学生B:(3) 学生A:それはおかしい。(4) 学生B:しかし、君の考えでは、憲法第22条、第29条の「公共の福祉」が特別の意味を持たないことにならないか。(5) 学生A:(6) 学生B:そうではない。人権制約の態様ないし程度を考える際に人権の性質上の差異を十分に考慮すべきだ。 ア 憲法の定立する法原則は、社会生活のあらゆる領域において全面的に尊重され実現されるべきだ。 イ それでは「新しい人権」の憲法的根拠を失わせることになって不当だ。 ウ 憲法第22条、第29条が特に「公共の福祉」による制約を認めているのは、政策的考慮に基づく人権の制限を認めた趣旨と解すべきだ。 エ 社会生活の中での各人相互の利害関係の調整から生じる、人権の内在的制約があると解すべきだ。 オ そうすると、財産権の内容が法律によって定められることになって不当だ。 カ 人権一般に関し公共の福祉による制限を認めると、人権を保障した意義が失われる。 キ そうすると、移転の自由に対しても広範な制約ができることになるが、それでよいのか。 ク 憲法第12条、第13条は、国民に対して倫理的な指針や心構えを示したものにすぎず、人権制限の根拠規定ではないと解すべきだ。 1 (1)ア (6)オ 2 (2)カ (5)キ 3 (3)ク (4)ウ 4 (4)イ (2)エ 5 (5)オ (1)カ ヒント 憲法13条は、プライバシー権などの新しい人権の根拠条文。 憲法22条は、移転の自由の話し 憲法29条は、財産権の話し 答えは4です。 全員正解。 では、簡単に解説をします。 簡単な解説というのは、小学生にも分かる「理」でなければなりません。 (1) について。 学生B それはおかしい。(1) この場合、学生Bの発言「それはおかしい」の「それ」が何を指すかが急所です。 「それ」は、「人権は制限される」を指します。 だから、(1)には、そのオウム返しで「人権は制限されない」という言葉が入ります。 すなわち、(1)に入るのは、カです。 (2) について 学生B そうではない。(2) この場合、学生Bの発言「そうではない」の「そう」が何を指すかが急所です。 「そう」は「人権が無制約」を指します。 だから、(2)には、そのオウム返しで「人権は無制約ではない」という言葉が入ります。 すなわち、(2)に入るのは、エです。 (3) について (3)は、学生Aの「憲法第12条、第13条の性格はどうなるのか」という質問への解答です。 だから、(3)には、そのオウム返しで、憲法12条、13条の「性格」について述べた文が入ります。 すなわち、クが入ります。 さて、次に「しかし」の意味について、お話しをします。 学生B しかし、君の考えでは、憲法第22条、第29条の「公共の福祉」が特別の意味を持たないことにならないか。(5) 「しかし」で会話が飛躍します。 「山に行こう」「しかし、海水浴に行くと約束したじゃないか」 という会話と一緒です。 「しかし」の前は、山の話。 「しかし」のあとは、海の話です。 すなわち、この問題に置き換えれば、「しかし」の前は、憲法12条、13条の話。 しかしの後は、憲法22条、29条の話です。 (5)について 学生B しかし、君の考えでは、憲法第22条、第29条の「公共の福祉」が特別の意味を 持たないことにならないか。(5) (5)には、1人芝居のオウム返しの術で、「憲法22条、29条は、特別の意味を持つ」という言葉を入れればいいです。 だから(5)に入るのはウです。 また、「しかし」に着目した解法もあります。 「AしかしB。C.」のBが「憲法第22条、第29条の「公共の福祉」が特別の意味を持た ないことになるのはおかしい」という趣旨ですから、Cには「憲法22条、29条は、特別の 意味を持つ」という言葉が入ります。 以上、小学生でも分かる、「オウム返しの術」により以下の結論が出ました。 (1)カ (2)エ (3)ク (5)ウ 以上から答えは4です。 国語力があれば、司法試験の学説問題を解くために、法律知識が不要であることをご確認ください。 バズさんのいうとおり「例え中身がわからなくても、解答を導くのは十分可能」です。 というか、法律知識で考えるより早く解けます。 なお全部の正解順はカエクイウキです。
国語の問題については、「オウム返しの術」という解法があります。
ぼくが命名しました。 「オウム返しの術」の基本原理は以下のとおりです。 A「今日は天気がいいね」 B「ドライブでもいくか」 A「海がいいか」 B「刺身のウマイ店知ってるよ。」 会話はこのようにすすみます。 A「海がいいか」 B「ドライブでもいくか」 A「今日は天気がいいね」 B「刺身のウマイ店知ってるよ。」 これでは、会話になりません。 このように、会話というのは前の言葉を受けて、それについて他方がしゃべるのです。 つまり、話し手の気持ちをカッコ書きで表現すると、最初の会話はこうなります。 A「今日は天気がいいね」 B「(天気がいいから)ドライブでもいくか」 A「(ドライブだったら)海がいいか」 B「(海と言えば)刺身のウマイ店知ってるよ。」 Aの「天気」をBで受けます。 Bの「ドライブ」をCで受けます。 Cの「海」をDで受けます。 問 次の(1)から(6)までの空欄に後記アからクまでの文章のうちから適切なものを選んで入れると、公共の福祉に関する議論となる。(1)から(6)までの空欄に入れるべき文章の組み合わせとして正しいものはどれか。(司法H14-8) ただし、学説の内容には,なるべく立ち入らず、オウム返しの術および「しかし」に着目して解答せよ。 学生A:憲法第12条、第13条は人権が公共の福祉と調和する限度で尊重される旨定めているから、人権は公共の福祉によって制限されると解すべきだ。 学生B:それはおかしい。(1) 学生A:では、君の考えでは人権は無制約ということになるのか。 学生B:そうではない。(2) 学生A:そうした場合、憲法第12条、第13条の性格はどうなるのか。 学生B:(3) 学生A:それはおかしい。(4) 学生B:しかし、君の考えでは、憲法第22条、第29条の「公共の福祉」が特別の意味を持たないことにまらないか。(5) 学生A:(6) 学生B:そうではない。人権制約の態様ないし程度を考える際に人権の性質上の差異を十分に考慮すべきだ。 ア 憲法の定立する法原則は、社会生活のあらゆる領域において全面的に尊重され実現されるべきだ。 イ それでは「新しい人権」の憲法的根拠を失わせることになって不当だ。 ウ 憲法第22条、第29条が特に「公共の福祉」による制約を認めているのは、政策的考慮に基づく人権の制限を認めた趣旨と解すべきだ。 エ 社会生活の中での各人相互の利害関係の調整から生じる、人権の内在的制約があると解すべきだ。 オ そうすると、財産権の内容が法律によって定められることになって不当だ。 カ 人権一般に関し公共の福祉による制限を認めると、人権を保障した意義が失われる。 キ そうすると、移転の自由に対しても広範な制約ができることになるが、それでよいのか。 ク 憲法第12条、第13条は、国民に対して倫理的な指針や心構えを示したものにすぎず、人権制限の根拠規定ではないと解すべきだ。 1 (1)ア (6)オ 2 (2)カ (5)キ 3 (3)ク (4)ウ 4 (4)イ (2)エ 5 (5)オ (1)カ ヒント 憲法13条は、プライバシー権などの新しい人権の根拠条文。 憲法22条は、移転の自由の話し 憲法29条は、財産権の話し
再掲 昨日の問題。
問 次の文の後にA〜Gを並べ替えて続けると意味の通った文章になるが、その順序として最も妥当なものはどれか。 「建築とは何かという問は、困難な問いである。ドラッグと電子テクノロジーの出現によって、「すべてが建築」である状況が出現して以来、この問は以前にも増して、一層困難なものとなった。」 A 物質の特権性は失われたのである。 B 物質が特権性を失った時に建築に何が残されているだろうか。 C 「物質的な構築である」という定義から物質が取り除かれた結果、構築だけが残った。 D しかし、「すべてが建築」であるという状況が出現し、物質的なものと非物質的なものが等価であるという状態が出現することによって、物質は建築にとってもはや決定的な要件ではありえなくなった。 E それゆえに人間の関心は構築自体へと向かい、構築そのものの是非が、そして功罪が問われはじめたと考えてもいい。 F 物質化されていること、すなわちフィジカルであるということを、建築にとってほとんど決定的な要件とみなすことが可能であった。 G 「すべてが建築」となってしまう以前には「建築とは物質的な構築である」という定義が可能であった。 1 D→C→G→F→B→E→A 2 D→E→C→A→B→G→F 3 F→D→C→A→B→G→E 4 G→E→C→B→A→D→F 5 G→F→D→A→B→C→E 答 5 コメントで、解答をいただいたすべての方が正解でした。 この手の問題は、どういう経路で答えに辿りついてもよいのですが、上記の問題を「しかし」に注目して、解説してみます。 「しかし」が含まれるDの文の要旨 物質は建築にとってもはや決定的な要件ではありえなくなった。 Dの前は何かを探しましょう。 「物質は建築にとって決定的だ」というのがあるはずです。 Fです。 ではDの後を探しましょう。 「(物質が建築にとって決定的でないから)こうなります」となります。 上の「こうなります」を探しましょう。 Aです。 したがってF→D→Aとなります。 「F(しかし)D、A」で完成なのです。 選択肢 (再掲載) 1 D→C→G→F→B→E→A 2 D→E→C→A→B→G→F 3 F→D→C→A→B→G→E 4 G→E→C→B→A→D→F 5 G→F→D→A→B→C→E 答え 5 このように、全文を読むまでもなく、解答を導き出すことができます。 建築とドラッグと電子テクノロジーという何だか訳の分からない言葉に惑わされる必要は全然ありません。 これが、論理のつながりを知ることの学習上の効果です。
さて、本稿では、国語能力を磨くこと自体が目的ではないから、適当にはしょって重点だけをやりましょう。
文章の読解の方法は、「試験に勝つしくみ」(PHP研究所)というところに書いたのですが、この本はすでに絶版となっています。 そこで、その内容を、さわりだけ、かいつまんでご紹介しましょう。 ぼくが、堀木先生から習ったことのうち、最も重要な事項の1つが逆説の接続詞の使い方です。 「しかし」という言葉に代表される言葉による論理のつなげかたです。 AしかしB。C と、続く文章の構成の仕組みです。 これを知ることは、こと大学受験においては、魔術的な得点力のアップを産みます。 Aを否定し、Bを強調することが「しかし」の役割です。 したがって、単に「AしかしB。C」という単純な文脈においては、この文章の主題はCに現われます。 というか、なぜ、「しかし」という言葉を使うのかといえば、わざわざ、Aという反例を挙げ、これを否定することによりBを強調することに目的があります。 だから、その後に続くCは、Bを発展させた形の意味内容が続きます。 このパターンは、憲法の判例によく現われます。 「なるほどA、しかし、B。C。」というパターンです。 この場合、Bに書いてあることを元にして判決(C)が下されます。 「なるほど人権は大事だ。しかし、規制には合理的な理由がある。したがって国が勝ち。」 という、憲法の学習者には、おなじみのパターンです。 もともと、論文の書き方の基礎は「起承転結」です。 これは、「A1、A2、しかしB。C。」という論理構成を意味します。 憲法に限らず、判例は複雑そうな外観をしていますが、実は単純な論理を組み合わせているにすぎません。 だから、国語能力があると、裁判所の言いたいこともよく分かるようになります。 国語能力を磨けば、テキストを読んでいても、「この部分は著者は少々手抜きで書いてるな」とか「この部分はかなり強調したいのだな」といったことが手に取るようにわかるようになります。 いわゆる「行間を読む」ことができるようになるのです。 では、以下の問題を解いてみましょう。 問 次の文の後にA〜Gを並べ替えて続けると意味の通った文章になるが、その順序として最も妥当なものはどれか。 「建築とは何かという問は、困難な問いである。ドラッグと電子テクノロジーの出現によって、「すべてが建築」である状況が出現して以来、この問は以前にも増して、一層困難なものとなった。」 A 物質の特権性は失われたのである。 B 物質が特権性を失った時に建築に何が残されているだろうか。 C 「物質的な構築である」という定義から物質が取り除かれた結果、構築だけが残った。 D しかし、「すべてが建築」であるという状況が出現し、物質的なものと非物質的なものが等価であるという状態が出現することによって、物質は建築にとってもはや決定的な要件ではありえなくなった。 E それゆえに人間の関心は構築自体へと向かい、構築そのものの是非が、そして功罪が問われはじめたと考えてもいい。 F 物質化されていること、すなわちフィジカルであるということを、建築にとってほとんど決定的な要件とみなすことが可能であった。 G 「すべてが建築」となってしまう以前には「建築とは物質的な構築である」という定義が可能であった。 1 D→C→G→F→B→E→A 2 D→E→C→A→B→G→F 3 F→D→C→A→B→G→E 4 G→E→C→B→A→D→F 5 G→F→D→A→B→C→E
日本語の読み方について考えてみましょう。
宿題となっていた「国語力」の養成の問題です。 ぼくが、学説問題をカモにしているその理由は、国語の読み方の基礎を知っているということにあります。 日本語の意味の解釈というのは、実に奥深い世界です。 ぼくが、最初にこの問題を深く考えたのは、1回目の大学受験に失敗した後の代々木ゼミナールの講義を受講してからです。 そこには、伝説の国語教師がいました。 堀木博禮先生です。 ぼくは、師からふたつのことを学びました。 1、日本語の意味の読解法 2、日本語の書き方 いま、ぼくは多くの本を書いていますが、読み手に分かりやすい文章の書き方の基礎はこの時期に習ったものです。 これは思考のリズムの問題でもあるのですが、この点は学説問題の解法とはあまり関係がありませんから省略します。 重要なのは、「日本語の意味の読解法」の方です。 言葉というものは、思考の道具でありまして、そこには論理のつながりが存在します。 文章は、書き手が「あることがら」を伝えるために書きます。 この「あることがら」を主題といいます。 しかし、主題だけをポンと提出しても、書き手には意味がわからないし、説得力もありません。 したがって、まともな文章を書くためには、論理の組み立てが要求されます。 この組み立ては、明示的になされないことも多いのですが、組み立てが表面に現れるケースがあります。 これが接続詞です。 まず、これに注目しなければなりません。 以下は堀木先生の言葉です。 「しかし」がどういうことに対して「しかし」であるのか。「だから」はなぜ「だから」といえるのか。「たとえば」以下の例示の箇所はどういう一般的命題を具体例で示しているのか。その一般的命題が示されている場所はどこか。 こういうように、常につなぎのことばの持っている役割を文脈の中で検討して文章を読もうとする態度を養うことが必要なのである。 堀木博禮
きりこさんが言うように、学説問題を簡単に解くことができたとしても、「でも、本番では本当にできるのだろうか。」という不安が生じることがあります。
あるいは、先輩受験生の「学説問題は苦手だ」の声に惑わされることもあります。 不安の素は、やはり「合格したい」という気持ちだと思います。 この心が「落ちたらどうしよう」に転化します。 この場合の心の持ちようは以下のように整理してください。 「合格したい」のは当たり前である。 →受かりたくなければ誰が受験勉強などするものか。 では、なぜ不安が生じるのか? →「合格したい」という気持ちが中途半端だからです。 本来、司法書士試験の、学説問題はちっとも難しくありません。 勉強を始めて3ヶ月でも充分に解けます。 しかし、中途半端に「合格したい」という気持ちがあると、心の自由さが失われて智慧が消えます。 だから、その仕組みを知って「自分は合格したい」と、素直な心で認めればいいのです。 というか、「合格したい」ではなく「合格する」と決意すればいいのです。 そうすると、不安が消えます。 雲が晴れて青空が広がる感じになります。 老荘思想では「欲は大きく持て。我欲を持つな」といいます。 試験に合格するという決意は、我欲ではなく、天に恥じるところはありません。 さて、以上が、学説問題に関する取り組み方、その姿勢の問題の結論です。 明日からは、技術編をやる予定です。
みんなにも参考になるから、初投稿のきりこさんのご意見をご紹介します。
はじめて書き込みさせていただきます。 昨日のokusama-yさんの回答、それから山本先生のアドバイスを読み、ちょっと気持ちが楽になりました。 というのも、今まで学説問題が苦手で、過去問でもなかなか正解できず、「あぁ、本番で学説問題がなるべく出ませんように・・・」と、もはや神頼み状態だったのです。 昨日のアドバイスを読んで、「ふむ、そんなモノかなぁ」と、さっそく学説問題だけ数問トライしてみたところ、とりあえずその数問は全部正解しました。 今まで、小難しく考えすぎていたようです。 一般的な常識と国語力、そして素直なココロで読めば、まさに「分かるんちゃう?」な状態になれるんじゃないかなーと、ちょっぴり悟ったような気がしました。 肩の力が抜けた感じです。 okusama-yさん、先生ありがとうございました☆ 今後も『読めば分かるんちゃう?』で頑張りまっす。 以上がきりこさんの投稿です。 以下は、ぼくからのお返事です。 初投稿ありがとうございました。 智慧は自由を欲します。 だから、学説問題が好きになると、それだけで正解率はグンとアップするように人間の心はできています。 「さっそく学説問題だけ数問トライしてみたところ、とりあえずその数問は全部正解しました。」 と、おっしゃっていますが、「とりあえず全部正解した」わけではありません。 それが、きりこさんの真の実力です。 苦手意識を取り払ったことにより、智慧が自由に動きはじめたのです。
初投稿のきりこさんより、昨日のokusama-yさんの回答を読んだところ、苦手だった学説問題がいきなり楽チンに解けるようになったという嬉しいお知らせをいただきました。
また、そのほかにも多数の投稿が寄せられましたので、okusama-yさんシリーズを続行しましょう。 そのうち、このブログをきっかけにokusama-yさんの名が全国の受験生に知れわたり、書店にokusama-yさんコーナーができるかもしれません。 さて、昨日の問のうち、「欲」という言葉がちょっと分かりにくかったかもしれません。 そこで、今日はこの言葉の意味を分かりやすくご説明します。 「まぐれ当たりでズバリ賞をいただいちゃった「読めば分かるんちゃう?」ですが、来年の本番でもそんな気楽な気持ちで挑めるか、実はとっても不安です・・・(><)」というokusama-yさんのお言葉を、ぼくは次のように解釈したのです。 1、一回目の受験は記念受験だった。 2、だから気楽だった。 3、よって、「読めば分かるんちゃう?」と思った。 4、しかし、来年は記念受験ではない。 5、なんとかして受かろうと思う。 6、したがって、「来年の本番でもそんな気楽な気持ちで挑めるか、実はとっても不安です・・・」と思った。 上記の方程式がokusama-yさんの心の中に成立したのではないかと思ったのですが、この点いかがでしょうか? ぼくの思い違いかな? 上記の、方程式の5の部分が、昨日「欲」と言った心の動きのことなのです。 1、記念受験→無心 2、受かるための受験→堅くなる という関係は成立していますでしょうか?
今日は、肝心の国語力をつけるための方法論を書くつもりだったのですが、予定を変更して、引き続きズバリ賞の「okusama-yさんシリーズ」といたしましょう。
きゃん(++) okusama-yさん あわわわ・・・思いがけず、ズバリ賞をいただいてしまいました・・・恐縮デス。 実は投稿した後、「それはビギナーズラックです、いい気にならないように」というお答えを想定していまして、それに対するコメントをあれこれ考えていました。(笑) ところで、「読めば分かるんちゃう?」タイプで臨むほうが自然と集中力が発生するとのことですが、この手の問題は時間をかけてもいいものでしょうか。 ちなみに今年の私はこの一問に6分かかっています。 私の計算では一問3分余で解かないと120分で35問は到底間に合わないのですが・・・。 きちんと学習して臨めば、見た瞬間反応できる問題、読んで考える問題と、時間の使い方に自然と強弱がつくようになるでしょうか? まぐれ当たりでズバリ賞をいただいちゃった「読めば分かるんちゃう?」ですが、来年の本番でもそんな気楽な気持ちで挑めるか、実はとっても不安です・・・(><) まず、時間の問題ですが、okusama-yさんの計算によれば、「一問3分余で解かないと120分で35問は到底間に合わない」とのことです。 ぼくも計算してみましたが、okusama-yさんの計算と一致しました。 とっても奇遇ですね(笑) 「きちんと学習して臨めば、見た瞬間反応できる問題、読んで考える問題と、時間の使い方に自然と強弱がつくようになるでしょうか?」とのことですが、結論をいえば、「なります。」 したがって、時間の問題は解消ですね。 普通に勉強していれば、午前の部で時間がキツイことはありません。 次が問題の部分です。 「まぐれ当たりでズバリ賞をいただいちゃった「読めば分かるんちゃう?」ですが、来年の本番でもそんな気楽な気持ちで挑めるか、実はとっても不安です・・・(><)」 ビギナーズラックというのは、どの世界にもあるのですが、その正体は「無心」というところにあります。 しかし、これがいったん崩れるのは「欲」が出るからです。 つまり、まだホンモノではないのですね。 「実はとっても不安」と思っていれば、心は萎縮して集中力が失われます。 たぶん、この段階の受験者の数は、ひじょうに多いと思われます。 問 あなたは「欲」の問題をいかに解決しますか? │<< 前のページへ │次のページへ >> │一覧 │最新 │ 一番上に戻る │ |