「産後うつに関する情報がないのが不満だった。ないなら自分から発信していこうと思った」。04年にウェブサイトを開設し、産後うつ病の体験を掲載した。サイト会員数は全国に約4000人。現在は「産後うつ専門のカウンセラーになりたい」と、大学院でも学ぶ。
産後うつ病はホルモンバランスやストレスが影響し、出産3~6カ月後に約1割が発症するという。育児や家事の気力が減退し、母親失格と自己嫌悪に陥ったり、自殺を考えてしまう。出産直後の「マタニティーブルーズ」と混同されがちだが、より重症だ。
96年に長男を出産。アトピー性皮膚炎で全身が血まみれになり、泣きやむことがなかった。1歳でぜんそくも発症し入退院を繰り返した。心身ともに疲れがたまり、長男が3歳になった時、テレビで流れる日本語が「突然外国語のように聞こえた」。テレビの故障かと思ったが、新聞の文字も読めなくなり、日常の記憶も途絶え始めた。気が付くと、包丁を握り締めていた。「私はおかしい」とぞっとした。
「パニック障害」と診断され、福島市内の精神科病棟に入院した。入院中、産後うつ病を紹介した本を見つけ、自分の症状とそっくりだと思った。3カ月後に退院してからは、夫(37)が「好きなことだけしていて」と言ってくれたため、家事や育児を任せ、自宅の離れで静養した。
インターネットを通じて主婦仲間ができ、新たにサイトを設けることになった。ウェブサイト作成の経験は全くなかったが、通信講座で学ぶうちに熱中し、03年にはウェブデザイナーに。「夢中でやっていたら、いつの間にか回復していた」という。
04年、産後うつ病を支援する市民グループ「ママブルー」を設立。出産や育児体験を紹介するウェブサイトを設け、体験記を漫画化した「ママブルーになっても大丈夫。」も発行した。07年に「ママブルーネットワーク」と改称し、自助グループと育児サークルの運営も始めた。09年夏のNPO法人化を目指す。「子育て中の母親は病院に行く時間がない。外出しなくても済むように、携帯電話のメールによる相談窓口も始めたい」と話す。
日本では投薬治療が中心で、心のケアを行うカウンセラーが少ないと感じた。07年に福島学院大の大学院に入学し、産後女性を専門にした臨床心理士を目指している。4
月から中学生となる長男の育児もこなし、「息子と一緒にいられることが楽しい」と話す。
「私が発症した時は、日本ではまだ厚生労働省が研究を始めたばかりで、病気を確かめようもなかった。ママブルーのサイトを見て、産後うつがどのような病気か知ってほしい」【今村茜】
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■人物略歴
仙台市出身で、福島市丸子在住。全国で3番目となる産後うつ病支援の市民団体を設立し、現在は「ママブルーネットワーク」代表。夫と長男の3人暮らし。06年に「内閣府女性のチャレンジ賞」「県民子育て支援大賞」を受賞。福島学院大大学院で心理学を学び、11年3月に修士課程修了予定。
毎日新聞 2009年3月31日 地方版