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2009-03-31

文学の風景

 村上です。

 遅ればせながら僕視点のゼロアカ道場第五次関門のレポートをお送りします。

 少し長いのでご注意頂ければ幸いです。


 97人から始まったゼロアカも、とうとう残り3人です。思い立って東さんのブログを確認してみたらこういう記述がありました。

他方、書類選考を突破したかたは、絶対に欠席しないでいただきたいと思います。ひとり合格する裏で、ひとりが落選しています。最後まで迷って落としたかたもいるので、必ず出席でお願いします。

http://www.hirokiazuma.com/archives/000377.html

 引用した記述は当たり前にすぎるルールでありマナーについてのものなのですが、感慨深いものがあります。その感慨とは、プレゼンでさんざんゴーストがどうのこうのいいまくっている僕ですから、こういうことをいいだすと「またかよ」と思われるかもしれませんが、結果的に僕らを送り出してくれることになった94人の存在の残響をひしひしと感じる、ということです。何よりも僕らは彼らのおかげでここにいる、そう思えてなりません。そしてそれはゼロアカのみには留まりません。僕は、このような「見えないもの」に報いたいと、ずっと思ってきました。自力で輝くことができる太陽のような星がある一方で、月のように照らされなければ見えない星があります。このように世界に満ち満ちた「見えないもの」、僕が彼らの道行きを照らす案内人になることができれば、これほど嬉しいことはありません。

 だらだら御託を述べましたが、さらに御託を述べます。僕の記憶が確かなら新橋で行われたゼロアカ第五次関門打ち上げ二次会の移動の際に「また一万字レポ期待してる」と誰かに囁かれたように思うからです。誰に言われたかはうろ覚えです。実は今回は全体的にうろ覚えです。驚くほど僕の記憶力は衰えている。恐らく話の時間軸もめちゃくちゃだと思います。だから話半分に読んでいただければ幸いですが、前回の文フリレポは固有名出しすぎでどうも各方面にご迷惑をおかけしたようなので、今回はなるべく自重していきたく存じます。なお、秋成の詳細なレポートがあがっていたりしますので実は僕はもうやらなくていいんじゃないかとか思いもしたんですが、まあ恒例行事だと思ってやっぱり頑張ることにしました。今回は前回よりも長いです。あと私的要素もガリガリ入ってます。というわけで文体も変わります。原稿用紙140枚からの昇竜、余裕でした。



 ―――第五次関門はいつから始まっていたのだろうか。


 もちろんそれは第四次関門が終わったその瞬間からというのが論理的には正しいだろう。けれどその象徴である同人誌を単行本にする作業を、発売まで数えれば3月まで引っ張っていたようなものなので、11月に終わってしまったはずの一日限りのお祭りの記憶は、既に遠近法において機能不全を起こしていた。今も目に焼きついて離れないあの風景は、とても素晴らしいものだった。僕はあの風景へ向けて歩いていきたいのだとはっきり自覚したのだった。それは既に2008年11月9日という固有の時間軸から抽象されたひとつの夢のようにすら思われた。

 それから後、時間を見失って停止し続けていたように思われたゼロアカ界隈も、やはりこの風景へ向けて少しずつ動き始めていたことは間違いない。結局傍観者を貫いてしまった僕ではあるが、たとえば阿佐ヶ谷で行われたイベントは間違いなくその一つであって、当然のようにその準備はほとんど年始から行われていた。そしてそのイベントはつつがなく終わり、それと同期する形で文フリ本の編集と第五次関門の動画撮影が進み、あとは本番を待つだけと思いきや藤田効果によってGEISAIゼロアカイベントの場として拓けていった。2月の下旬からゼロアカというものは急激に加速していった。藤田さんが村上隆さんに見初められたり坂上秋成が黄色くなっていたりしている他方、僕は時間に取り残されていっていた。幽霊がどうのこうのいっている僕であるが、幽霊とはまさしく僕のことだった。

 なんでそんなことになっていたのかというと、2月末の僕は精神的に終わっていたからだった。ネットからも消え去り、リアルの友人との交渉も断ち切り、部屋に引きこもっていた。流行り病にやられてぶっ倒れていたともいえるのだが、それは本質的な理由ではなかった。僕の精神が終わっていた理由は、会社を辞めようとしていたからだった。それはかなり決定的な挫折で、進行中の仕事を投げ出すことも、そのことによって同僚や上司にも迷惑を掛けまくることは明らかだった。罪悪感にさいなまれ、人に合わせる顔なんて持ち合わせていないとしか思えなかった僕は、鬱々と自分の世界に閉じこもっていた。僕は会社にいかなくなった。上司には慰留された。僕はそれすら聞きたくなかった。対話を拒否したまま消えてしまおうと本気で思っていた。でも時間は何も解決してくれなかった。もうすぐ一年になるはずだった禁煙も終わりを迎え、すっかり僕はニコ中に戻っていた。そんな最悪の心理のなか、第五次関門のプレゼン動画を撮影する日がやってきた。その日は例の阿佐ヶ谷イベントの翌日で、少し寒く、パラパラと小雨が降っていた。

 時間だけはあったはずなのに、あのプレゼンのために捻出できた実質的な時間は一日だけだった。様々なことを考えはしたが、構想にまったく材料が追いつかなかった。阿佐ヶ谷イベントの相談を確か――イベントの一週間前くらいにしたはずだったが、その際に終電を失ったやずやさんとみねおくんが僕の家に泊まりにきたことがあった。その頃は比較的やる気のある社畜だった僕は翌日きちんと起きるために眠りについたが、彼らは夜を徹してそれこそ第五次関門を射程にいれた議論をし続けていた。そのときに聞いていたことが残響のように頭の中に存在していたのかもしれないが、僕ははじめ文化論をやろうとしていた。僕は80年代に生まれたわけだが、その僕が育った80年代から現在のゼロ年代までを概観するようなプレゼンをしようとしていた。そしてそこで中核となる人物は当然のように村上春樹――といっても僕が使おうとしたのは『ノルウェイの森』だったが――で、作品だったら『新世紀エヴァンゲリオン』――それは美少女ゲーム以上に僕を規定した作品だった――で、世紀をまたいで『世界の中心で、愛をさけぶ』と、なんだか微妙に関係があるようなないような連中を軸にして、物語の生理みたいなものを明らかにしようとしていたのだった。だがそれはあまりにもやずやさんの構想の範疇内に過ぎたし、そもそもそれをバランスよく語りきるだけの準備は明らかに存在しなかった。だからそこでやろうとしていたことの本質だけを取り出して別のアプローチをする以外にはなかった。結局残ったのはゴーストというアイディアで、僕はずっと妄想していたアスキーアート文学論にそれを接合することしかできなかった。そのとき僕が見ていたのはこの「やる夫は無力なようです」だった。

 このシリーズは本当に身につまされる傑作ばかりで、例えば最初期にあたる「やる夫が自分に向き合いきれなかったようです」でやる夫が「マッチ一本分でも意味のあることをしようとしてるやつを……/お前らが笑うな………………」と叫ぶ様子には、最初に読んだときには号泣してしまったし、今見ても目頭が熱くなる。ここにあったのは記号と文字の羅列ではなくて明らかにやる夫の「声」だった。やる夫について書くために開いたサイトで、僕は確かにやる夫に励まされていた。マッチ一本分以上の意味が溢れていた。僕はやる夫について書くことが何かとても美しいことであるかのように錯覚していたのかもしれない。それは本当に「信仰」に似ていた。別に僕はやる夫スレを作るわけではないが、しかし、彼について語ることで彼の物語をさらに増殖させることができる。そして僕はそれが正しいと考える。僕のやっていることはどうしようもなく自己言及だった。そのことは、撮影が終わった瞬間からイヤというほど痛感する羽目になる。EeePCプレゼンシートを入れた僕は、移動中もずっとそれの手直しをしていた。内容にばかり気がいっていて、どう話すかの展開はまったく疎かにしていた。話したいことを詰め込んだ原稿は作っていたが、とても7分に収まるものではなかった。当日撮影を担当した鍛冶さんに「もちろん練習してきましたよね?」と聞かれ「ええそれは一応」と答えてしまったが、どう考えてもそんなはずはなかった。僕はうそつきだった。案の定、撮影における語りはとんでもない早口になり、それでもなお喋ることができたのは半分程度のものだった。「やる夫とか筒井さんや村上さん分かりますかね」と言われ、分かるはずがないという当たり前に過ぎる前提を僕はずっと失念し続けていた。土下座して取り直しをお願いしようとも考えたが、そんな交渉をする余力など存在していなかった。たまたま偶然BOXの入り口ですれ違った太田さんの「頑張ってね」という声の記憶が苛むように鳴り響いていた。せっかく声をかけて頂いたのに気の利いた応答ができなかった。なぜかいらっしゃった佐藤友哉さんにもまともな挨拶ができず、お茶を出してくれた櫛山さんにお礼のひとつもいえなかった。何から何まで終わっていた。

 ところが、帰り際に鍛冶さんが「これ、もう見ましたか?」といって渡してくれた、3月の発売を控えすでに刷り上っていた文フリ本が、僕のエネルギーを少しばかり回復してくれた。BOXを出て地下鉄へ乗る道すがら、僕は、はやる気持ちを抑えきれず本を箱から出してめくり始めた。自分の書いたまともな文章が全国的な商業流通に乗るということは初めての経験だったし、また、参加者の贔屓目にはなってしまうけれど、あの日の熱狂をまるごとパッケージングしたような厚さと小さい文字の詰まり具合には眩暈のような興奮を覚えた(実際同人誌より小さい版型になっている)。そして何といっても書き下ろされた東さんと太田さんによる評価である。もちろん既に点数化されていたとはいえ、自分の仕事に対して具体的な――そしてほとんど過分なまでの――評価を頂けたことには、麻薬的な快感があった。それはあの日の風景の続きであると同時に、これから目指すべき風景を指し示していた。とはいえ――もしもこれを先に読んでいたら、と思わずにはいられないありがたすぎる「批評」もそこには含まれていた。それは僕らの仕事があまりにもニコ動に依存しすぎており未来はあるのか、そして僕らにこれ以外の引き出しがあるのか、という指摘だった。この問題をそのまままるごと引きずってしまったようなプレゼンをしてしまった僕は、結局ずっと自己言及をし続けていることをありありと思い知らされたのだ。

 プレゼンを変えてもいいか、という問いに対し鍛冶さんからは、大筋が変わらなければよい、という答えを頂いた。僕のすべきことは、いかにして現状の展開から万人に普遍的な枠組みを取り出すことができるか、ということに思われた。とはいえ、それを考えている暇もなかった。見ないでいた現実と戦わなければいけなくなったのだ。僕は慰留を試みる上司と再び会うことになった。退職願は既に提出していたが、固く上司の机に封印されていた。辞表を胸ポケットに潜ませながら働いていた僕は、そもそも辞表は偉い人が書くものだという常識も知らず、結局しまっていたそれを書き直す羽目になったのだからまったくもって格好がつかない。本当に死んでしまいたいような気持ちだった。上司は僕に週末まで考えるようにいった。猶予が与えられた。もちろん僕は辞めるつもりでいっぱいだった。というよりも続けていける気がしなかった。そういう話になったのは実際に上司と話しているうちに僕の心情も解放され、それに伴ってなんだかさっきまでの重りがなくなったかのような晴れやかさが出てきていたからだった。しかし、晴れやかだろうがなんだろうが、辞めるからにはもう辞めるのであって、僕が決断を下せないのはたんにいわれのない未練にすぎなかった。これだから決断主義ゲームはいやなんだ。永遠に決断を先送りにすることができたらどんなに幸せなことか。もちろんそんな世界は存在しない。そんなこんなで決まりきった問題に答えを出すだけという迷いようがないはずの作業を終わらせることができないまま期限の日曜日を迎えた。それは奇しくもGEISAIが行われたあの日曜日だった。

 僕が呆けている間の数日間に現実が急加速していた。この記述もようやく冒頭まで時制を巻き戻すことができる。お台場の熱狂は共有できなかったが、超高速でアップロードされたYOUTUBEの動画は何が起こっていたかを伝えてくれた。もちろん直前の藤田さんや東さんのブログは読んでいたので何か凄いことが始まっているという予感はあったのだが、現実に大変なことになっていた。よくもまあこんな無茶を、ということは思わずにはいられなかったが、それ以上に彼岸の賑やかさにあてられていた。もちろん対岸の火事ということもできるかもしれない。実際坂上秋成は脛毛を燃やしていた。そして大体のことが既に終わってしまっているのだ、と把握した頃には日曜日自体が終わりかけていた。僕は辞職の意を綴ったメールを既に書き終わっていたが、いまだ送信できずにいた。スカイプをつないで友人たちに最後の相談というか鼓舞みたいなものをやってもらったりしていたがじきに彼らは興味を失って新しい東方体験版をプレイし始めた。もたもたしているうちに0時をまたぎ、決断の先送りなんていう最悪の選択肢をとりかねない雰囲気すら出てきた。ネガティヴなパワーが足りないと思った僕はやずやさんに電話をかけた。彼はNHKをやめたという辞職の先輩だったので、彼の話は今の僕にとって非常に重要な後押しになってくれるのではないかと思ったのだ。そうして電話は繋がり、狂乱のGEISAI打ち上げがまだ続いていることを察知しつつ、結局は自分の意思で辞めるしかないということを諭されていたらなぜか東さんが電話を代わってきた。特殊な情報源からのリークによってなぜか僕の窮状をいち早く確認していた東さんに「知ってる知ってる」といわれた僕はまるで世界から監視されているかのような錯乱状態に陥りかけたわけだが、じきに東さんの至言によって腹を決めることになる。それはこういう感じのことだった。「君は重要な問題を見落としているわけだが、続けようが辞めようが後悔はするに決まってるじゃん。後悔しないようには生きられないんだよ。だったら好きな方に生きるしかない。まあ来週第五次関門があるけれども、もしかしたら君もサクっと敗退するかもしれない。それでも好きな道を行くしかないじゃん」いやはやまったく、なんというかかんというか、ゼロアカ道場に入門していよいよ一年が経ち、道場というよりも単なるサバイバルゲームであるなどともいわれたりしていたこともあったが、東浩紀というひとは本当に道場主というか、師匠なんだな、という実感をあらたにした。まあ実は状況はもっとカオスなことになっており、結果的に僕はその激流の中で携帯電話スカイプで実況中継しながら残りワンクリック状態で待機していたやっぱり退職しますメールの送信ボタンを押したわけだが、ルナティックなGEISAIの狂乱に同期するような形で僕のほうもちょっとしたコップの中の嵐に溺れていたのだった。後のことは覚えていない。いや覚えていたかもしれない。ただそれは既に決断したあとだというのにまだ決断していなかった頃の気分だけが過去から流れ続けているような不可思議な雰囲気であって、決定的に終わってしまったもう繰り返すこともできない僕の人生のもう一つのルートが別れを惜しんでいるかのような、そんな気がした。

 さて新しい朝がやってきた。今日からは自由人なのだなと思った僕に残された時間は地味に多いようで少なかった。最優先でやるべきことはせいぜい今度こそは7分にきっちり当てはまるプレゼンの原稿を作ることくらいのものだと考え込んでいたわけだが、しかし、冷静に考えてみるとどうもネタが被っているらしいみねおくんとの差異のようなものをきちんと打ち出していかないと巻き込まれてグダグダになってしまう可能性は高かった。(そして実際なった。)また吹っ切ったように見えて僕の心中も何やかにやで落ち込んでいたため投じうる力などほとんどなかったようなものだった。安否を心配する友人たちの連絡を全力で無視しながら現実逃避に僕はフリーペーパーとかを作っていたのだが(ちなみに第五関門の日に手渡しで微妙に配っただけなので持っている人は奇遇すぎ)、時間は前後するが、その絡みで連絡を取っていた友人のS氏から「ゼロアカプレゼン見ましたよ」と電話で連絡が入り震え上がる。そりゃあ撮影したのだから見られるに決まっていた。「村上君はプレゼンゼロ点だったね」という評価を皮切りに厳しいコメントが連打、むしろ乱打されるなかそれでもまあ「個人的には二番目にいいと思った」という謎の激励がカットインされたことによってなんとか倒れずに済んだ。ちなみにS氏の評価一番は坂上だった。この時点で僕の中で坂上が当日の仮想敵になること決定、だったがプレゼン動画を見たら自分の出来のボロボロさもあいまって僕の落ち込みがストレスでマッハになることも確定的に明らかだったので、友人フィルターを通じて要約的に把握することに努めた。また別の友人であるkkやら先輩やらもまたプレゼン動画を見ていたのでその関係で連絡してきたが、彼らもまたO氏と似たようなことをいってきた。ただ人間が少し入れ替わっていて彼らは一位やずや二位村上的なことを言ってくるのでまた二位かよ、と思ったがこの微妙な安定ぶりに少し気を良くしてきたのも嘘ではなかった。そしてkkがしきりにみねお動画とさいが動画を見ろ見ろうるさく言うので仕方なく見た。一発撮りの緊張のハンパなさを理解していた僕が思った感想はパワーポイントをせめて用意してきておいて本当によかったということだった。ともあれとにかく動画がアップされたことの効果はバカに出来ず、いろんな人から連絡が入ってきた。そんな奴の一人がO君だったわけだが、ゼロアカ動画を見て興奮を抑えられなくなった彼は本当に思わず僕に連絡を取ってしまったらしく、ほとんどの連絡が退職したことによる「生きてる?」系メールだったのに対し「村上ゴースト論に倫理を見た」的な謎の文句を打ち出してきた彼には思わず会わずにはいられない気持ちになり、夕方から深夜まで飲み明かしながらその話ばかりをした。もちろん話したことの大半は忘れてしまう運命にあったわけだが、着実に僕の中のあやふやな部分を潰すことにその議論は寄与していた。観戦希望を出していた彼は連絡が来ないので落ちたと思い込んでいたが話の途中にS氏から電話で「当選しました」と連絡が来たことから単純にまだ発表されていなかったことが判明し、実際彼も当選していた。その翌々日は金曜日の前の日だから木曜日、S氏と直接会ってプレゼンの最後のブラッシュアップをすべく話に付き合わせた。話は深夜にまで及び、終わった頃には金曜日になっていた。僕は昼間に間違って飲んだチューハイのせいでひどい頭痛に襲われていて本当に終わった状態だったが、議論は非常に実り多いものであり頭痛ごときで中座していられるものではなかった。S氏の坂上評価の中枢は個別のジャンル群たちの上層に「政治」を置くことによって状況分析をしたところだったのだが、そこからの派生でもっぱら社会や制度について議論をまとめることがここでは行われた。その過程でクラウスやアレントの話を詰められた――というかむしろ僕がレクチャーを受けていただけともいえるわけだが――ことも極めて重要なことだった。ニコニコしすぎていたらみねお君にやられてしまうだろうという危惧から、なんとかして少しでも外部に出ることが最重要課題だった。ごく狭い下馬評では坂上・やずや・三ツ野との争いが明らかのように思われていたが、僕にとってはネタ被りこそが最大の問題だった。

 帰宅すると2時を回っていた。僕はここから大急ぎでプレゼンシートの書き換えを始めた。友人のM氏を叩き起こして表紙イメージなどのまともな素材を作成してもらいながら僕は必死で翠星石の画像を探し続けていた。その成果は当日のプレゼン参照であるが内容以前に翠星石の画像探しで4時を回ってしまったときにはさすがに自分の行動の無駄さ加減に絶望し天を仰ぎM氏は普通に「俺今日仕事なんだけど」と言っていた。そんなアホなことをしつつも段々とプレゼンシートが出来上がってき、朝の6時付近(多分)にM氏が眠りに落ちてからは一人でイラレと睨めっこする時間が続いた。考えながらイメージ画像を構成していたので効率は悪かった。それが終わったら読み上げ原稿のブラッシュアップが待っていた。今度は無理やり7分に詰め込むような読み上げをするわけには絶対にいかない。思い切って内容を削った上でまとめていき、録音ソフトを利用して読み上げ確認してみると4分半で終わってしまった。これでは短すぎる。しかも大分ゆっくり喋っていることは聞きなおしてみても明らかである。動画を撮影したときには猛烈な早口でしかも半分も喋れていなかったというのに嘘のようである、というかいかに無駄が多いことをやっていたかということが痛感された。とはいえこれでは短すぎる。僕は慎重に記述を追加していく。なんども録音しては修正し、録音しては修正し、ということを繰り返す。喫煙のしすぎか徹夜のせいか、ほとんど毎回しゃべっている途中でえづいてしまい見苦しい録音になってしまい自分でもイヤになってくるが、ラップタイムを見るのには関係ないと言い聞かせて作業をする。ほとんど最終形が出来上がる頃には正午を回っていた。――7分。喋っている分にはこれほど短いと思える時間も、喋っては修正し、録音しては確認するというリフレインの中においては、驚くほど長い時間として僕らを苛んだ。16時集合ということがいわれていたのでもう遊んでいる時間はなかった。最後の形はできたものの、どうしても7分を20秒前後オーバーしてしまい、切るところも見つからず困っていたが、これはもう移動中に赤を入れるしかないと割り切って作業をここで切り上げる。EeePCプレゼンシートを移動しきちんと表示されるかどうかを確認した後大急ぎで風呂に入り身支度などをする。読み上げ原稿も印刷しほとんど準備は整ったかのように思われていたが、実は最後に重大な問題が残っていた。帰宅してネットを巡回したところ、まさしく今日の日付で更新されていた東さんのはてなダイアリーが、僕に衝撃を与えていた。そこには、当日の公開査問第二部がシンポジウム形式、というよりかはバトルロイヤル形式で行われるということが書かれていた。審査員は興味のある門下生にしか質問をせず、門下生が議論に割り込むのは自由だがやる気のない門下生は延々と喋る機会のないまま終わってしまうかもしれないという。まさにサバイバルである。僕はこの瞬間まで勝手に「シンポジウム形式はやらない方向性になったのだな……」と思い込んでいただけにダメージはでかく、しかも他の人のプレゼンを又聞きの形でしか把握していなかったために、クリティカルにヤバいと感じていた。門下生には既にこの方針は通達済みですとの東さんのお言葉があったが恐らくきっとこれはGEISAIのときにでも仰られたのに違いなく、既に僕は情報戦で遅れを取っていたのだった。ちなみにそのGEISAIの日といえば前述の電話をしたわけだが、その際には実はみねお君とも会話をしていて、彼は我々のネタかぶりがヤバいねといいつつ恐ろしいことを言っていたのだった。それは「村上くんのプレゼン動画はダウンロードして何十回も見たよ」みたよ、みたよ、みたよ、みたよ……。敵を知り己を知らば百戦危うからずとはいったものである。もちろん僕もこの会話から恐らくみねおくんが周到な僕対策をしてくるのに違いないと思い込んだ上でメタゲーム的にニコニコ外の話題をなんとかして掴もうと考えるようになったのだが、ここで重要なのはむしろそこではない。そう、ダウンロードである。僕は大慌てで自分以外の全員のプレゼン動画をダウンロードEeePCにぶち込み、それを起動して移動しながら一夜漬けどころではない付け焼刃を始めたのだった。会場までは約一時間ほどかかるため、これらは絶好の準備時間となった。電車で同乗した人たちには奇異の目で見られただろうが背に腹は代えられなかった。動画を等速や倍速で見ながら読書ノートを作っていた。結果的に多い動画で4回は目を通すことができたので、なんとか戦うことができるだろうという程度の安堵を手に入れることができた。同時に読み原稿の赤もある程度は入れていった。赤ペンをジャケットの胸ポケットに入れっぱなしだったのだが、そのまま本番に臨んでしまったのは自分で動画を見てから初めて気づくことになる話。

 電車を乗り継ぎテレポートにつく。空は灰色の雲に覆われてどんよりと湿った匂いを醸していた。集合時間にはまだ一時間以上も余裕があったが、僕は道に迷いやすいので不安は消えなかった。tokyo culture cultureがzeppの2階にあるため非常に分かりやすい立地になっていた。既に並んでいる人たちがいることに驚いたが、下のライブに並んでいる人たちだった。一般入場をロープで禁じていた二階は、ガラス越しに急ピッチでセッティングが進められているのが伺えた。見知った講談社BOXのスタッフたちの顔が見えたので入ろうとしたところ扉が開かず、もしや入り口が間違っているのかと思いすごすごと下に降りていき、そちらにも結局入り口がなかったことを確認し途方にくれたところでやずやさんから「今、入ろうとしてたでしょ」と電話が入る。「もう少し頑張れば扉が開くよ」彼は会場に一番乗りしていたのだ。しょんぼりと階段をあがって上に戻り、さっき拒否された扉に少し組み付いてみると確かに開いた。入り口を開けるために苦労するという発想はなかった。配線がいたるところに露出した会場はサイバーな空気を演出しつつも、全体としてはお台場的なオシャレ空間であることを全力で主張していた。軽くスタッフの人たちに挨拶しつつ、左手の座席に陣取っていたやずやさんと挨拶を交わす。彼は背広だったので、今日はカッチリ決めるぜという雰囲気がムンムンしていた。僕もジャケットだったが、背広で来ればよかったと瞬間的に思った。すぐに右へ習いたくなってしまう。同じ境遇の人間の悲しいところでさっそく戦況について話し出す。「今日の第二部とかどうなりますかね、東さんのブログ見ました?」「え、いや見てない見てない」「なんかバトルロワイヤルだそうですよ」「マジすか、見る見る」とか、「そういえばみねおくんが村上くんのプレゼンについてブログに書いてましたよ」「うおぜんぜん知らない、今見ていいですか」「どうぞどうぞ」「うおマジだ」、などとイーモバ搭載のやずやマシンがギュンギュン活躍する。「これはみねおくんのプレゼンが恐ろしい予感がしますね」「プレゼンとか変えてきました?」「ちょっとだけ絵を増やしました」「うわ、なんか増えてる」などと微笑ましい会話をしている横で、会場に設置された巨大なスクリーン群にはやずやさんのプレゼンがテストとして映し出されていた。喫煙衝動に駆られた僕はわざわざ煙草を吸いに下までいく。後から気づくのだが実は入り口のすぐ横に灰皿があったのでそこで吸うことができたのだが、ゼップに来るといつも下で煙草を吸っていたのでついついそちらに行ってしまっていた。そして下に行くということは増え続けるゼップの客の列を眺めるということである。それはそれは恐るべき長さであっていったい誰がイベントをやるんだ、と思ったが調べる気はなかった。不安定そうだった天気はとうとう我慢しきれずにポツリポツリと雨粒を落とし始めていた。会場に戻ると人が増えていた。ひとりは雑賀壱、今日も完璧なネクタイ具合である。何やら動画のプレゼンを完全に放棄したプレゼンを用意してきたらしく、いわく反則、「とてもここではネタバレできませんよ!」という鉄壁のガード具合を見せていた。ひとりは「いやーネタ被りヤバいね」と登場したトシヒコ・ミネオ。「いやーあの情報を叩き込んで読者を当惑させる戦略には感心したよ!」と僕のプレゼン形式を大いに参考にしたプレゼンシートと絶対に7分で話しきれるはずのない8000字原稿を携えて堂々出陣。ひとりは三ツ野氏、情報難民だったのでぜんぜん知らなかったがウェブで既に入念なほかの人たちのプレゼン分析を打ってきた彼はやずやさんと同様にスーツで登場、後ろの方の席に陣取って静かに本番の時を待っていた。残り三名を待ちながら軽快に「実は会社をやめてさ」「えっうっそマジで? ところで僕もゼミの友人が……」的なトークをBOXから支給されたお茶を片手にしていたところ、入り口から剣呑な空気をまとったYOSHIKIが現れた。いや、髪を金色に染め上げてグラサン装着の坂上秋成その人だった。「YOSHIKIYOSHIKI!」と金色ならぬ黄色い声を上げる雑賀壱。X JAPAN好きをゼロアカプロフでも公言している僕から見ても確かにその雰囲気はYOSHIKIに似ていた。どこか病弱そうなところまで(実際高熱だった)。会場がスーパー☆ラルク登場の興奮さめやらぬ中、椅子に腰掛けながら鷹揚な態度をとっていた僕に坂上が「お前はなんでそんなにプロデューサーっぽい雰囲気かもしだしてんだ」とつっこんだ。中尾彬呼ばわりの次は業界人呼ばわりだった。すかさず合いの手を入れる雑賀壱「なんか登壇者っていうより関係者っぽいですよね!」確かに驚くほどリラックスしていた。余裕なんてどこにもないはずだが、久々に大勢の人間とコミュニケーションできることが嬉しくてしょうがなかったのかもしれない。そんな調子で早速秋成とCLANNAD談義を始める。そう、すっかり記述するのを忘れたが前日深夜から始まったプレゼン作成作業は全て録画したCLANNADをかけながら行われたのだった。(というかこの一週間はコードギアスCLANNADを見るために消費されていた。)前日の夜に前期を見終わった僕はこの夜はAFTERを頭から流し、きっちりこの日に放送された最終回に追いつくことに成功していた。秋生と早苗の光を回収せずに渚が生きてるルートにいったことに対し怒り心頭だった秋成に僕は「あれは最高だったよ」といった。

 作業は同時並行的に進行する。スタッフがニコ動と同期放送するための準備をし、こちらは順番にスライドをスクリーンに映し出すチェックをする。合間を縫ってスケジュールが配られると、なぜか閉会間際に「藤田氏に特別賞授与」という謎のイベントがあることを目ざとく発見しつつ、なんとも凄いもんだなと思っていたのだがもっとひどいことになるのは先の話である。坂上がPCを立ち上げチェックを待っていたわけだが、てっきり本番もホワイトボードで行くと思っていたので驚いた。結局ほとんどの人がPPを導入していたわけだ。そこで巻き起こるイラストレーション論争。確かペイントで作成したらしき自分の図柄のあまりのしょぼさに自虐的な坂上がプレゼン長者のやずやさんと比較を開始する。やずやプレゼンのエレガントさ(僕は特にページが回転して次にいく辺り)に一堂感嘆。流れで僕も自分のプレゼンネタバレ始めるとがぜんゴーストが話題の中心に。坂上「いやぶっちゃけゴーストってなんだかんだで腑に落ちないんだけど」雑賀「私もここだけはきっちり対策打っておきました!」ときっちり読んできている面々に恐々としつつも本番用の図を利用してみゅんみゅん解説する。それだけにはとどまらずやずやさんとかみねおくんまで加わって一挙に空間の主導権をやる夫が握る展開に。いったいこれはどういうことなんだと思いつつもまさにこれがゴーストということだよなあとか思いながらそうはいいつつもやはり不思議さを拭えずにもいた。なお最終的に坂上は理解したらしい。そんなこんなで映像チェックも済み、いよいよ手持ち無沙汰になる面々。原稿の読み上げ練習を始める坂上の姿を見ながら、つられるようにほかの人たちも読み上げの練習に向かう一方、僕はどうにかして茶々を入れてやろうかと思っていた。が、やっぱり悪いなと思って自分でも読み上げの練習を始めたところ、だいぶゆっくり読んだにもかかわらず6分30秒くらいで終わったことに驚愕し、これは余裕だなとタカを括る。死亡フラグだった。

 一般入場時間が近づいてきたので席の移動を指示される門下生たち。いつのかまにか斉藤氏がやってきていたので、これで筑井さん以外は揃ったことにはなるが、集合時間は回りかけていた。入り口から左手だったのが右手奥の方に移動する。ステージ上には有線マイクが数本と大きく名前が書かれた紙が垂れ下がっていた。発表に備え各自のマシンはそこに設置された状態になっていた。残りの荷物を待機席の背後に置くようになっていた。門下生席は後ろの壁にこれまたやはり大きく名前を刻印した紙が張られており選挙のような匂いを感じた。じっさい、これは選挙でもあるのだ。門下生席にはステージの映像を放送する小型モニターがついており、無理な体勢を取らなくても発表を見ることができるようになっていた。ハイテクだなーと思いながらぼうっとしていると東さんが会場入りした。一気に会場の空気がどよめく。各位がそれぞれコミュニケーションをとり始めるわけだが、とりあえず僕も「会社やめました」と報告。にこやかに「ああ、やめたんだ。やっぱり自分が楽しい道を選んだほうがいいよ」とお言葉を得る。そこに秋成がやってきてまたまた始まるCLANNAD談義。「秋成はCLANNADの最終回クソだったらしいっすよ」「ええ?僕は凄くよかったよ」「だって秋生・早苗をスルーしてるじゃないですか!」「いやでもそれはもう汐を救うことが秋生や早苗の願いでもあってさ……(僕)」的なサークルが出来上がっているのを遠目からみんなが冷ややかな目で見つめていた気がする。いったん来賓用の控え室に戻った後、また現れた東さんが座席に座った我々に今すぐできるアドバイスをしていく。凄く要約すると「できるだけゆっくり喋るのがいいと思うよ」とのことだった。我々「それだけっすか!」東さん「いやいや、今すぐできる効果的なアドバイスだと思うよ」実際そうだった。「まあ村上くんとかプレゼンは超早口だったから、あれはヤバいよね」といわれたので「今回はきっちり絞ってきました」と返事。「あと村上くんは話してる途中にシニカルな笑いとかが挟まったりするからそれは絶対にやらないほうがいいよね」……よく言われます。一方GEISAIの夜に東さんに「お前のあのプレゼンは何なんだ、あのままだとお前終わりだよ、とりあえずPPは絶対使え」的な叱咤を受けて一発奮起したみねお君が「読み上げ原稿とか8000字もってきましたよ!」といったようなことをいうと「いやお前どんだけ早口で読むつもりなんだよ」「余裕っすよ余裕!」「(俺がどれだけシンポジウム経験あると思ってるんだ……)」といった感じでラブリーにコミュニケーションしていた。そうこうしているうちに筒井先生、村上先生が到着し、それに付き添う形で東さんも控え室に戻っていく。いよいよ本番が近づいてくる。

 一般入場前後には、さまざまなゼロアカ関係者がやってきていた。特に記憶に残っている一人はしろうとさんだったが、彼は熱心で非常にはやくから――まだ空が暗くなる前だろうか――会場についていた。立派なカメラを持参してきていた彼は後に東さんに「プレス扱いでいいんじゃないか」といわしめる勢いだった。会話こそしなかったものの、会場にはさまざまに見知った人たちがやってきており、みねお君は超速で反応して話をしにいっていた。また赤い彗星ことフェニックス藤田さんが目の前を横切っていったのも忘れられない。彼はこちらをちらと一瞥しただけですっと右方のはしっこに陣取っていった。不敵な笑みに何か感じさせるものがあったことは確かである。そんな感じでがーっと会場がお客さまで埋まっていく中、我慢できなくなった坂上が煙草を吸いに行くのを目ざとく捕まえて連れ煙草。先客に最初からずっとお世話になってる講談社のカメラマンさんもいたりした。わざわざBOXの櫛山さんがやってきて僕に声をかけてくれた。「編集部でも好評でしたよ!がんばってください」あの内容でマジか、と思いながらもいよいよテンションがあがる僕だった。我々はここではバトルロイヤル・シンポジウムに備えて「とらドラ!」の話をしたりしていた。なぜかこの話題はひっぱられ席に戻ったあと三ツ野さんも「ねえ、とらドラって最後どうなるの?」と疑問を口にすることになる。I said「大河と竜児がくっつきます」うわあ。「そろそろ始まりますので門下生のみなさんはお席にお戻りください」と鍛冶さんが出張ってくるのに応じて秋成は吸いかけの煙草を折った。いつしか――夜の帳はすっかり落ちて、美しい夜景が展開していた。お台場に点灯する輝きを壁紙にして、いよいよ、ゼロアカ道場第五次関門の火蓋が切って落とされる。

 第一部は各位のプレゼンから始まる。残念なことにこの様子はニコニコ動画で中継されなかったため今のところ確認することができないが、ラディカルな改変が目白押しとなったきわめて必見の代物になったと思われる。筒井さんの「若者が新しいといってきたことをそれは昔からあった、というのが老人の役割」という発言に、後の厳しい展開が予見されていたのかもしれない。ステージから見てほぼ真正面に位置する審査員席。取り囲むように充溢した満場の客席。恐るべきプレッシャーがかかる先陣を切るのはやずややずやこと廣田周作である。大筋をプレゼン動画と同じくするも鳥などのアクセントの表現にさらに工夫を加えてきた彼の発表は、僕にとっては、むしろその内容よりも態度に溢れた気迫にこそ魅力があった。ステージのみに当てられたスポットライトに加え、連打されるカメラのフラッシュに照らされ、一瞬でも気を抜かば発表者は場に魅入られてしまうだろうところを、彼は圧倒的な気迫でねじ伏せるように戦っていた。東さんにはむしろそれを焦りの現れとして取られてしまい評価としては減点されてしまったが、立場の違いか角度の違いか、少なくとも僕の方から見たときやずやさんの姿というのは間違いなく神々しく映っていたのだった。彼が切り開いた回路を押し広げるように三ツ野さんもそれに続く。三ツ野さんの発表の特徴はその等身大的なところにあって、強さよりも「弱さ」にスポットしたものである。だから僕が考えるにその発表は彼自身の喋り方とか態度とかいったもの、つまり共感性みたいなものと非常に密接な関係があって、その点からいえば非常に正しい喋り方をしていたように感じる。それは叩きつけるような荒々しさや、傷つけるような鋭さを排除し、あくまでも自分の中にあるフラジャイルなものを基点にした内省によって外部と接触していこうとするような態度で、撮影された動画の時点からもそうだったけれど、穏やかで、好感を覚えるものだったように思う。さて待望のみねおプレゼンであるが、これはもう一秒間に一シートかと思わせるようなサブリミナル戦法だったわけだ。まあその点だけで見れば非常にヤバく、用意してきた原稿も間違いなくところどころワープしまくっていたわけで凄まじいことになっていたわけだが、ワープしつつきっちり彼の中でのゴースト=単独性批判である柄谷のページだけは外さずに喋っていたところにやるなあ、というか、こんちくしょう、と思った。発表自体もまとまりに欠けたぶん一発では全容を把握するのが厳しい難易度だったと思うが、逆にところどころで会場の笑いをゲットしつつ、またふんだんに採用された画像によって――たとえばミクコスをするかがみんの絵など――印象レベルで存在感を発揮していたことは間違いない。そんなこんなしているうちに遅れていたちくいさんも到着し、欠員なく門下生が発表できそうな運びになった。

 で、僕の番である。自分の番ともなると怖気づいて時間稼ぎをしたくなるが、無意味などでサクサクと歩いていく。壇上の風景は思った通りに眩しい。光の下に無数の人の顔。文フリで見た光景と近似しているが、今回はそのすべての視線がこちらという一点に向けられている。一礼をしてセッティングに移る。プレゼンは撮影時と同様にスタッフが残り何分かをボードで教えてくれるのであるが、はなからそっちを見る気はさらさらなく、携帯のストップウォッチ機能でタイミングを見るようにしていた。というのも断続的な残り時間に目が奪われると絶対にペースがかき乱されるのが間違いなかったからだ。ということを考えながらマシンをスリープから回復させるとさっそくパワーポイントバグっていた。もとの通りにスライドを復帰させるのに手間取り、たまらず「少々お待ちください」とコメント。正直こうなることはわかりきっていたが対策もなかった。とはいえやはり本番ともなると緊張するもの、元の画面に戻すのに予想よりかかったことによって心的余裕がなくなってしまった。本当はもっと会場を見渡しながら喋りたかったがその余裕もなく、原稿をガン見しながらぼそっと「村上裕一でございます」といった。さてその発表であるが、読み方自体は準備してきたよりもさらにゆっくり喋ることを心がけた。このことは後の筒井さんの日記などを参照するにだいぶ功を奏したようであるが、実はそのせいで見事に原稿が間に合わなくなった。6分で読み終わっているべきところが5分30秒でまだ読み終わっておらず、スタッフが終了のフリップをあげた時点でまだ30秒分の発表が残っていた。鍛冶さんが許容していたロスタイムは10秒程度だったが、もうそのことは考えず、フリップも無視して喋ることに徹したが、それでも最後の一部分をごりっとカットすることになった。ただそのカットの仕方は自然だったのではないかと思う。おかげで最後だけ急激な早口になることは防げたはずだった。そんなこんなでなんとか喋り終えステージを降りた。後から教えられて知ったことだが、なぜか僕の発表だけ映像が小さくなっており、その分割を食っていたらしい。そんなことに気づく余裕はなかった。もっとも途中で出したエクセルの表とかはもともと読めるはずのない小ささだったので、それは期待してなかった。印刷して配ることが許されていたのだが期限は昨日までであって、当然そのときには出来ていなかったデータであった。

 放心して席に戻る。実は会場が満員になっていたため門下生席の対面も客席になっていて、なんの巡り合わせか僕の目の前には例のS氏と後tokadaさんが着席していた。いやーこれは気まずいと思ったがそれは相手も一緒だろうか。戻ってきたS氏にはやる夫の説明が甘かったことを指摘されたが、後は野となれ山となれといったものだ。ということで次の発表は雑賀氏であるが、これがまさかの紙芝居で一同驚愕。内容も動画から大きく転換したDOLL論ということでさらなる驚きを誘ったわけだが、彼女の場合はその発表の都合上、ステージの机の前にスタンドマイクを置いてそこでパフォーマンスすることになったので、なんというか、門下生の中でもっとも輝いていたことは間違いないように思われた。またマイクの調子が悪いので発表中にガンガンスタッフに割り込まれてその調整で時間がとられたりしてほとんど正確には発表時間が計測されていなかったように感じる。アナログとはいえ特殊な発表形態だったゆえの苦難だろうか、いずれにせよ立派な発表で、きっちりまとまっていた。ただ内容の具体性が乏しかったことが弱点といえば弱点だっただろうか。イラストがふんだんに施されたスケブによるプレゼンは聴衆の記憶に残っただろう。次はちくいさんであるが早速の機材トラブルで先に斉藤さんをやることになる。ところが斉藤さんもまさかの機材トラブルを発症し、東さんの提案で急遽五分間の休憩を挟むことになる。さっそく客席へ旅立つみねお君。壇上ではちくいさんたちが必死の復旧作業。僕は目の前の知人たちとなんとなく会話。S氏「かなりよくなってたよ!」よかった。館内禁煙だがトイレの横には煙草の自販機が実装されていた。別に買いにはいっていない。五分なんてあっという間に過ぎ去ってしまう。

 ということでちくいさんのプレゼンから再開。こちらも動画とほとんど同一のプレゼンということで新味はないのだが、特筆すべきはこの淡々とした喋りであって、動画の段階からかなり安定していたところが目を引いた。ただでさえステージ上で多くの視線を浴びるというのに、遅刻に加えて機材トラブルということで立て続くアクシデントが与えるプレッシャーの強さを考えればこれはただごとではなかった。きっちり「とらドラ!」の動画も再生することに成功しやることはやったぜという感じで終了。一方、やることはやったぜな前者に対し斉藤氏はさらなる機材トラブルに見舞われ、東さんからも「そうであれば無しでやるしかないでしょう」と指示が入る始末。けっきょく映像が本編でなかったのでもってきたフリップを利用して雑賀さんと同系統のプレゼンをすることが出来たが、これは不完全燃焼といわざるをえないかもしれない。がこれまた動画を踏襲した内容だったのでまあクリティカルかどうかは判断が分かれる。いろいろごちゃごちゃしたが、最後を飾るのが坂上秋成である。秋成もいっていることは動画と一緒だが、PPを使うにあたってだいぶ文字情報が増えたのがよかったのかもしれない。が、なんか機材トラブルの影響は門下生の席のモニターになども及んでいて既にこちらからはプレゼンがまともには見れないような状況だった。おかげで主要な概念装置である「フォーム」が聞き取れなくて手持ちのメモには「ストーム」と書いていた。ストームって何だ、とは僕が聞きたい。筆記に夢中だったので秋成のプレゼンの印象が逆にないのだが、まあでも後の東さんの評価を見るに立派だったのだろう。それは動画のときから既にしてそうだった。こうして第一部が終わりを迎えた。

 雨がさんざめく中、10分間の休憩が始まる。超速攻で外に煙草を吸いにいくニコ中は僕ばかりでなく、喫煙所は大盛況を示していた。このわずかな十分に様々な人が声をかけてくれた。まず元長さん、ではなくその友人であるSさんがわざわざ応援にきてくださった。「元長は入れませんでした」「なんですって」と驚愕しつつもなんとか期待に報いたく思う。またkkくんやS氏などがやってきて「順当にいけば大丈夫っしょ」と適当な労い。さやわかさんと出会い「いやーもうなんか喋り間に合わないしオワタですよ」「いやいや落ち着いててかなり印象よかったですよ」と慰めてもらったり。入江くんが現れて「いやーがんばってくださいよ見守ってますあはは」といつものテンションでエール。早稲田文学のK氏も来ており会話する。基本的に喋りの評価はよかったのだが、これがいったい第二部でどう転ぶかはまったく未定の状況だった。白石さんからは「本出したよん」ということでお知らせをもらったりした。喫煙所マジ知り合いばっかりだな。確かこの辺で秋成に煙草を分けたりしたような記憶があるがそろそろ定かではない。そんなこんなで短い休憩は終わり、いよいよ本番に突入する。

 その第二部であるが、ほぼ全てが動画で配信されている以上、これについて全体的かつ詳細に語る必要はもはやほとんどないだろうから、記憶に残っている部分だけを記述していこうと思う。ニコニコ動画での配信が始まるということで観客はみな僕らの後ろの巨大スクリーンを見ながら状況に参加することになるわけだが、いちおう審査員席に併置する形でモニターが存在していたので、我々も普通にしながら中継を確認することができた。ということで始まった瞬間の映像というのは溢れかえる藤田コールだった。これはかなりの異空間といわずにはいられないだろう。しかしながらこのようなコメントに対する意識も、ステージと審査員席の間に漂う異常な緊張感の前にだんだん機能不全に陥っていく。笑いの余裕があったのは最初だけだったし、そもそも僕にはそんなものなかった。なんといってもいきなり東さんから「今のところ僕の一番は坂上」宣言が飛び出し一挙に背筋が凍る。そこからのエリアルコンボで当然東さんの質問は坂上へ飛び、しかも彼が定義した概念に対する質問だから容易には口も挟めない。いったいどうやって割り込もうかなどと考えつつだんまりを決め込んでいるとこちらから見て左奥の方から謎のコールが。最初は何をいっているのか全く聞き取れなかったが、この異常に癇に障る五月蝿い感じの割り込みにこの時点でブチキレ気味になり、赤い男がステージに上がってきたのを見て状況をようやく把握した。この事態に当たっての僕とみねお君のブチ切れ具合は動画参照としても、後から知ったのは実はこの割り込みが実は仕込みで他の登壇者の多くは予めこの展開を知っていたということだった。まあ、だからどうだって感じだけど、僕らはガチだったということばかりが際立つ話である。いいかえると「必死だな」ということだ。そりゃあ、必死だったよ。そんな感じで僕らの知らない筋書きに入っていた乱入劇は幕切れした。そんな一瞬の切断のせいでいろんな気分が麻痺していたのだが、村上隆氏によるみねお君への質問攻勢が一気に危機感を回復させる。柄谷行人を中心にめぐっていたのでなんとか介入できるかとおもいきやその辺は三ツ野さんに先んじられてしまう。とはいえそれは「なるほどこのリズムか」とちょっと勉強にもなったりした。人の話に割り込むということは難しい。また同様に割り込んだ話を着地させることも難しい。割り込みの失敗を繰り返しつつ、村上隆さんにはこともあろうに逆質問なんかしてしまった僕の反省である。またハルヒネタで筒井さんの質問というラッキーなたなぼたをゲットしたのに「消失はきっちり完結してないからダメです」「それは物語を続けるための要請ですね」みたいにあっさりと終わってしまいチャンスを生かせていないこともかなりダメージとして蓄積していた。東さんからは「みねお君や村上くんのネタは視野が狭いけどどうなの?」とか、登壇しているちくいさんからは「ぶっちゃけ売れそうにないんですけど」とかめった打ちになり、これはいったいどう立て直したらよいものかと起死回生を狙い続けていた。どう考えてもどの審査員の興味も引けておらず、東さんは坂上を取るだろうから審査員はやずやさんに行くとして、もう僕は観客点で行くしかないと確信していた。それですら、壇上の進行を考えればきっちり主張が通っているちくいさんやら斉藤さんやらのことを考えると厳しさをひしひしと感じる状況だった。残り時間も刻々経過し、客席に目をやると知人たちが退屈そうにしている。満身創痍もいいところだ。質問が差し向けられていない割には喋れているという程度。しかしながら面白いことに、ボロボロの体ではあったが、割合、心は折れていなかった。開き直ってはいなかったと思う。なんでだろう。多分、麻痺していたんだろう。一矢報いる機会は訪れる気がした。そしてその機会はやってきた。東さんがゼロ年代の批評の奇形性を指摘し、なんとか広くやっていかなければいけないわけだが、それについてやずやさんから一人ずつ簡潔に答えていってほしい、と差し向けた。これは素晴らしいチャンスだ。というのも確実に一回マイクが回ってくる。ことでバシっと何かいうことができれば一気に空気を掴むことができるかもしれない。とはいえここで長尺を取ることは禁物だ。コメントは短いほどいい。高速で頭を回転させながらその番を待つ。その辺をきっちり認識しているやずやさんが「みんなに読んでもらえる本を作るために村上春樹を取り上げた」と明快に答える。さすがである。しかし次のマイクである三ツ野さんがまさかの応答失敗。これは予想外の展開だった。直前のみねお君に長尺を取られる可能性ばかりを考えていたが、やはり本番の舞台には魔物が潜んでいた。横で並んでいたときには気づけなかったが、動画にはその瞬間の痛恨の表情が刻印されていた。そこにきて筒井さんが預かってしまい、マイクを回す話がいきなり中座してしまう。いやー困ったと思っていると、直前でマイクが止まったせいかフラストレーションがたまっていたのかもしれないみねお君がマイクを奪って口上をぶち上げる。これが予想どおりに長尺を取るが、話し方が僕との差異を弁ずるものだったためにいい具合に喋る機会をゲットすることができ、形式的に見るとうまいことマイクが移動している感じになった。面白いのがこの辺で僕がアツくなってしゃべりが急加速しているところである。「web2.0総表現社会が」うんぬんいっていたが、筒井さんの顔を見た瞬間に一気に状況を悟って「そうひょうげんしゃかいが……」と露骨にスローになっていたりする。落ち着かなければならない。「でもそりゃ君、感情移入しすぎじゃない?」と冷ややかなみねお君のつっこみが入る。瞬間的に頭がパーン。映像を見るとこのときの僕の不機嫌ぶりは露骨なほどであるが、それはまあ、図星を突かれたからだろう。けれどその図星が、後の発言につながってくる。三ツ野さんと東さんの間の長い、抜き打ちのような問答が終わり、太田さんからの質問が放たれる。それは実は、東さんのテクニカルな質問を捨象すれば、後にも先にもこの査問で与えられた唯一の僕に向けての質問だった。それは、ゴースト論の状況下でものづくりは進むのか、そのような論を読んだ十代はものづくりをあきらめてしまうのではないか、という問いだった。間違ってもこの質問を予め想定した上で答えを用意していたなどということはなかったが、答えは自然と浮き上がってきた。一番絶望した人に向けて書きたい。それはもう、本当にそれしかなかった。実はゼロアカというのは僕のその認識の醸成に一役買っている。というのは、もうソースを失念してしまったのだが、いわゆる藤田さんのザクティ革命に対してこのようなリアクションがあったはずなのだ。それは、藤田さんがやっていることはザクティという安価なハンディカムを使って単純に有名人に突撃したり、あるいはそこらへんのやつとカラオケしたりしているのを撮影して、それをyoutubeニコ動にあげているだけのことに過ぎない。それだけでこれだけの旋風を巻き起こしている。それは、その効果と比較すると非常に参入コストが低いゲームに見える。しかし――とりわけ今となってはさらに明らかだが――だからといってザクティを使って「俺が」「俺も」とみんながみんな動画をあげまくるような、そんな状況にはなっていない。これほど簡単に見えるのに。そのことは結局「俺はこんなこともできない」という風に表現格差を拡張していく。その間隙を埋めるためにいかなる方法がありうるのか、それは色んな方法があるとしかいえないだろう。けれど、それこそ十代に人生のカーブを切らせるのは、ひどく些細なきっかけではないだろうかと思う。ほんのわずかに背中を押してもらうだけで人は前に進めるのではないか、と思うのだ。僕だってゼロアカというものにどれだけ背中を押してもらったものか。僕はそんな火になりたい。導火線に着火するもの。先行きを照らす松明を点すもの。冷えた体に血を通わすもの。命を先に延ばすもの。「――それは凄くよく分かりますね。それはある種、東さんの直系だと思いますよ」と、太田さんは言った。


 さて、後は実質的に終わったようなものなのだが、話題になった「原稿用紙何枚かける?」問題があった。とち狂った秋成が5〜60枚書けると口走ってしまい、僕はとりあえず前例を持ち出して場をしのぐ。が、冷静に考えてみると12000字とかいったので普通に、原稿用紙30枚レベルであって、割と危険なレベルのことをいっていたことに後々気づく。そして最後になったやずやさんもその方針で一次関門で8000字(!)書いたことをいいつつ6000字くらいがいいとこじゃないか、と答える。こうして見ると速筆が揃ったのかもしれない。あとは筒井さんのいい話や村上隆さんのいい話が続き、50枚問題が尾を引いて最後にまた東さんがそれについて秋成に質問をぶつけて、口頭諮問が終了となった。

 雨は降りしきり、風はより強まっていたが、煙草を吸うためには外に出なければならない。つい先日まで禁煙していたはずなのにこの常習振りは本当にひどいなと思っていたが、まあストレスフルな局面を終えたのだからそんなことは気にしなくていいだろう。これで全部終わったのだ。後は天に運を任せるしかない。荒れ模様だしひどい展開になるのかもしれないが、有利か不利かももう分からん。その辺にいた友人知人とまた放心したようなトークを続けるわけだ。まあ上位二人は決まったとして六分の一か……とかそんな露骨なことはおそらく考えていなかっただろう。脳の99%をシステムアイドルプロセスが占有しているような状況だったのだし、まあどう転んでもしょうがない、という割り切りの方が正確だったのに違いない。そこにきて比較的優位のはずの坂上が立っているわけだが、それを所与のものとして僕が「お前は確実っぽくていいよなあ」と詰ると奴は「いや、そんなことないっしょ」とシビアな回答。当然だよな、と思う。もし逆の立場だったとしてもとてもそんな風には答えられない。疲れきった秋成が弾けるように口走ったのが「ぶっちゃけ俺とお前とやずやさんで通りたい」という発言だった。「奇遇じゃないか」と僕はいった。僕もそう考えていたのだった。というかもちろんそこには上位二人は確実に彼らだという想定があって、そこに自分を滑り込ませただけにすぎない。とはいえ――思えばそんなことをついさっきまで友人知人には言われ続けていたような気もする。曰く妥当、曰く順当。普通にいけばこの三人辺りだろうというような下馬評を囁かれ続けていたように思う。だがどうしてそんなことを信じることが出来ようか。もしも今回のこれがひとつのギャンブルだとすれば、僕らは絶対に自分にベットしなければならない。自分にベットするからには勝たなければならない。だが、そこに因果関係はない。勝敗は賭金と無関係に存在する。全力を尽くすつもりでいた。やれることはやったと思った。だがそんなことはみんな同じように思っているに決まっているのだ。先が見えない暗闇の中でライトを照らし続けているようなものだ。後は受け入れるしかないだろう。トンネルの出口は、急に、突然に現れる。

 わずかな審議時間に結果は決定し、門下生が席に戻ると、審査員方が姿を現した。審査方法について再び説明が入る。ゼロアカはここまで常に、枠より多い人数を取ってきたが、ここにきて今回はそれがないということが明言される。4人目というキセキを期待することはもうできない。顔を上げていられなくなった僕は机の上に突っ伏していた。もしかしたらこのまま閉幕まで倒れ伏しているのかもしれない。そうしたらそのままずっとそのままでいるのかもしれない。そうしたら俺は泣くのかな。それとも平気な顔をしてスタスタと立ち上がって歩き出すのかな。まあでもそれもいっか。会社もやめてゼロアカも落ちて全部がゼロになっちゃったけど、それはそれでいいのかもしれないと、本当にそう思っていた。去年の3月1日から始まったゼロアカ道場。そのときも今と同じく何ものでもなかった。職もなかったし、名誉もなかった。だとすれば単にそれらがリセットされるだけだ、と。いや、それでも残るものは確かにあった。一年は長いようで短く、短いようで長かった。仕事の合間を縫ってゼロアカに挑んだ。三時間で空の境界も読んだし、KOBO CAFEにアポなしで乗り込んで撮影もした。オフィシャルに東浩紀劣化コピーという名指しもゲットしたし、同人誌も500部売った。色んな人と出会ったし、別れた。身に余る賞賛も受けることが出来た。楽しいことよりはつらいことの方が多かったけれど、つらいことを乗り越えた後の風景を見ることができた。――あの風景。荒野の先に広がる、あの素晴らしい風景を見ることができた。そのとき、僕はふとCLANNADのことを思い出す。

 アニメーションCLANNADの最初のお話は、伊吹風子についてのものだった。風子は、本体が病院で意識不明状態のままだった。ただその精神が受肉して学校の中を走り回っていた。彼女の望みは姉の結婚式を祝うこと。そのために、より多くの人たちと友達となって、その友達みんなに姉の結婚を祝ってもらおうとしていた。それはまだ風子が元気だった頃、友達をたくさん作るからもう心配いらないといって登校して――事故にあって、それを果たせないままでいた彼女の無念だった。彼女は自分で彫ったひとでの置物を毎日配った。贈り物をすることで、みんなと友達になろうとしたのだ。最初は変な子だと思われて敬遠されていたが、岡崎や渚といった人物たちと出会うことで、彼らの協力を得てひとでを配っていく。だが風子の身体がどんどん衰弱していく。それに伴って、人々は風子という存在を認識できなくなっていく。最も近くにいたはずの岡崎たちすら、風子が見えなくなってしまう。後にはひとでの置物が残るだけ。それは思い出ですらない痕跡だった。ずっと傍にいるのに風子の存在を認識できない岡崎たち。だが、自分たちが誰のために結婚式を行おうとしていたのかを問い直すことで再び風子のことを思い出す。これは奇跡ではない。奇跡は、誰も風子のことを覚えていないのに、ひとでを渡されたみんなが結婚式に集ってきたという、その風景にあった。「こんな風景を待ち焦がれていた奴がいたんだ。こんな日を目指して頑張ってた奴がいたんだ。たった一人で、公子さんへの祝福を集めた奴が」――かくして風子は完全に消え去ってしまう。けれど――「いつのまにか、校内はその女生徒の話題で持ちきりとなっていた。純粋で、一生懸命で、校内を走り回る。そんな女の子のイメージだった。そして、いつからかみんなが待っていた。その女の子が目覚める日を。俺も間違いなくそのひとりだった。そして、その日はいつか――」



 ……そんなこんなで、嵐に呑まれるような時間が過ぎていった。



 ステージに上ることになったのは、僕、やずやさん、秋成の三人だった。そして村上隆氏からその尖り具合に格別の評価を得たみねおくんが特別賞を得る。一応、その様子も音声で聞くことができる。それぞれの思いのもとに第五次関門は閉じた。色んな人たちが僕のために喜んでくれた。まるで自分のことのように。Sさん、Sくん、Oくん、Hさんとは恥も外聞もなくハグしてしまった。元長さんも終わった後にわざわざ駆けつけてくれた。入江くんもまるで自分のことのように興奮して祝福してくれた。櫛山さんは打ち上げに出れないからとわざわざやってきて「感動しました」といってくれた。ゆんゆんも「おめでとう」といいにきてくれた。みねお君には「頑張れ」といわれた。ちくいさんには「よかったじゃん」と。ここに書ききれないくらいいっぱいの人から声をかけてもらった。ろこさんは僕の通過に泣いてくれたらしい。ばべのれの杉田さんは僕に賭けてくれていたらしい。五次関門のことなんてひとつも言わなかったのに、生中継を通じて僕を応援してくれていた友人たちがいたらしい。本当にみんな、ありがとうございます。僕が、そんなネットワークの結節点にいるということが、とても嬉しくてしょうがなかった。僕らは、繋がっている。外の風雨は激しくなる一方だった。傘なんて持っていなかったけれど、傘なんてなくても大丈夫だと思った。打ち上げ会場は遠くてさんざん道に迷ったけれど、Kさんや入江くんが横にいたし、そんなこと何でもなかった。

 それはとても賑やかな、とてもとても賑やかな打ち上げだった。通過者の三人は奥の席で東さん筒井さん村上さん秋元さんらと同席することができた。最初のうちはそこで色々貴重な話を聞き続けていたけど、そのうち何だか夢見心地になってしまい、喫煙の名目で離れたところにいってしまった。何だか面白いことに、僕は延々とみんなから「声がいい」「声がいい」といわれ続けた。というかそれしかいわれなかった。プレゼンとか討議とか、そういうのは何にもなくて、東さんからも「いやー、声がよかったよね」みたいなことをいわれた。太田さんは「滑舌悪いよ!」と付け加えた。柴山さんは「いやーでも控え室でもみんな声がいい声がいいって言ってましたよ」と言っていた。なんか分からんが声質で得したらしい。喜んでおこう。よろこんでおこう……。そんな風に脱力していたら、見かねた東さんが「やー、まあ誠実な受け答えしてたよね。それがよかったんじゃない。まあネットのこういう話題をやっていく人っていうのはなかなかいないし、君がこれをやっていくことで世界を粛々と変えていくしかないんじゃないの」と。それから加えて「あと君のその謎のシニカルで斜に構えた感じはずっと能力を評価されてこなかったから腐っちゃってのものだと見られるんだけど、まあここまでくればなんとかなるんじゃない」とも。ニコニコしながら本当によく見ている人だなと思った。まあ、翌朝まで続く長い打ち上げで僕の話題が前景化するのもここまでのものだ。なんか会場はいったいどういう基準でやってきたのか謎の参加者で満ち溢れ、BOXのスタッフたちよりもフットワーク軽く飲み物を運ぶ村上隆さんの姿にBOXの人たちはてんてこ舞いになり、煙草を吸うために手前にやってきた筒井さんは坂上と「新人賞は運みたいなものだから……」的な話を続け、そうかと思えば煙草が無くなったので二人で雨の中やる夫の話をしながら買いに行ったり、あやおさんからは「年賀状送ったけど帰ってきたんだけど!」といわれて住所を確認したら正しかったり、記念写真を撮ろうということで大集合してフラッシュの嵐を受けたり、そうはいいつつ概ねをはしっこの席でまったりと過ごしながら、入江くんのもってきた謎の複雑な図解に満ち溢れたラカンのセミネール原書が話題を呼んで、ふらんす乞食のくせに坂上が仏語読めないことが発覚し逃げ出すのを尻目に東さんがフンフン読み下して余裕を見せ付ける他方、着替えた藤田さんが「あの扱いはないっすよ!」と抗議したところ「あの空気はしょうがない」と真っ当なリプライが帰ってきたり、次の思想地図の展開についてカウンターの一角が盛り上がったりしていた。早い段階で筒井さんと村上隆さんはお帰りになられていたが、ほとんどが生き残っていた打ち上げは、中途半端な時間に追い出されてみんながタクシーに乗りながら次の飲み屋に移動するも、その飲み屋も二時間弱で追い出されさらなる転住を強いられ、その過程で泥酔者が続出し、雨は一向に弱まらず、生き残った奴だけがついてこいというべきサバイバル打ち上げに移行し、タクシーを使うものもあれば始発を使うものもいて、人々は新宿に集っていったが、着実にその数を減らしつつも、まだまだその勢いは衰えを知らなかった。閉鎖的に行われるはずの最終関門を前にした最後の祭りは、夜が明けても火を絶やさないでい続けていた。そして――時は飛んで、3月25日19時53分。

「村上さんですか? 講談社の太田です。最終関門の概要が、ついさっき固まりました――」



 幽霊がゴーストになる。その素晴らしい光景の前に、人間はもはや歯車に過ぎないのかもしれない。けれどそれは、たった一つのピースをも欠け得べからざる調和において存在するものだった。勝者もいる。敗者もいる。協力者もいる。裁定者もいる。傍観者もいる。けれどその風景は、僕がいなければ――君がいなければ――彼/彼女がいなければ、存在しない風景だった。誰しもが結節点で、誰しもが中心だった。人の数だけ存在する視座から認識が展開し、世界は作成され、物語は繋がっていく。その風景のために生きることができたなら、キセキは――






 ――僕はですね、村上裕一くんを

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