「淵の森」問題が教えるものは?

  「淵の森公有化の件で草の根会派に物申す」について
  (みんなで決めよう!流れを変える市民の会)
  「淵の森」隣接地買収の問題は、私たちにとって、極めて大切な問題をなげかけています。
 もちろん、「緑を保全することに、誰も反対はしないだろう。」と指摘しているとおり、緑を保存することに誰も異議はないはずです。「が、今回は問題が多すぎるのだ。」と東村山市民新聞紙上(HP)で敢て異論を公表したのは、緑を「どのような方法で」「誰が主体になって」残していくのか、これが議論されないまま、「さあ、税金だせばいいでしょう!市長さん答えなさい」式のやり方は論外です。
 しかも、東村山市の税金を使った買取を主張しているのが、所沢市に住む宮崎氏と安田・所沢市議を中心とする人達であることも納得がいきません。

 東村山市に住んでいるものなら、八国山緑地がどのように守られてきたかについて、少しくらいは知っています。八国山を歩けばすぐ気がつきますが、南斜面を登りきると、いきなり松ヶ丘の住宅が眼前に広がります。東京都東村山市側で八国山保存の動きが進んでいるとき、西武不動産など業者が北側斜面を開発するのを所沢の人達、埼玉県側が何もしなかった結果が、見るも無残な今の姿です。安田市議はご存知でしょうか?

 私どもは、東村山市民新聞でもナショナルトラストについて少しだけ触れておきました。結論的にいえば、この方式しか一般市民が参加できる雑木林保存のやり方はないだろうと思います。そして、その流れを「財団」や宮崎氏とは別に、東村山市内でいま始めるべきだ、という思いをこめての異論ですし、キャラクターの東村山市への開放についても、雑木林を残しつつ、多くの方々が親しめる「緑地」に八国山をしていくべきではないかという思いからの問題提起です。普通に言えば「ムラおこし」です。逆説的異論を放ったのだということが読み取って下さる方も、いらっしゃるのではないか、と考えて、「水木しげる」氏のことも敢て紹介しておきました。

 好き嫌いはありますから、宮崎氏個人ついてあれこれ人物評をする必要はないと思います。しかし、税金を最後はあてにするやり方や行政を引っ張り出そうとする宮崎氏の今回のやり方、そして前回の「淵の森」自体の買収のやり方は賛成できません。税金には限りがありますし、なんでも行政頼りというのはアナクロニックな手法です。
 「淵の森」に関しては、保存の動機は、間違いなく「宮崎氏個人」から出たもので、彼はTV取材に対して「隣接地が買収できなければ引っ越すしかない」と語っているのを実際に聞いて、やはりそうか、と愕然としました。自分自身の事情が最初もそして最後もそうなんだ、ということを再確認しました。「淵の森」の件は全部やはり宮崎氏にお任せするしかないと思います。ご本人もそうするほかないことは、よくわかっているのではないでしょうか。

 「流れを変える市民の会」さんは、「おそらく、宮崎監督は明らかに『淵の森の保全』と『狭山丘陵のナショナルトラスト』とを分けて考えていると思います」と指摘されていますが、何をどう分けているのでしょうか?

 私どもは、八国山の北側斜面のようにはさせないために、自分たちの住む東村山の緑を今以上減らないようにしていくには、何ができるか、ということではないでしょうか?、狭山丘陵全体を考えるという、あまり大上段に構えることは、やり方としてはもろ手をあげて賛成というわけにはいきません。
 「流れを変える市民の会」さんは、「そもそも発想の出発点が間違っていると私は考えます。市民の意思はどこに、と問いかけていますが、市民の意思は『なんとか淵の森を保全して欲しい』と考えていると言ってよいのです。」と言われます。
  が、淵の森程度の雑木林は東村山市内では、どんどん減っています。保存したくても、なんともできない、どうにもならない場合があります。税金はもっとこっちに使ってほしいという方々もたくさんいます。
 「淵の森」問題が私たちに教えているのは、有名人頼みでもなく、税金頼みでもない東村山市民の緑を残す流れを今つくっていくことだと思います。
 そのように今いちど読み直していただければ幸いです。

 最後にいつもの「辛口」をひとつ。自分に対する批判をかわす盾として、「淵の森」隣接地問題に必死にしがみついているような方がいるのも、動機不純がむき出しになっていて実に見苦しいですよね・・・。


戻る
戻る