行政の最終的な責任を内閣総理大臣が負ってますんで

3月24日、衆議院本会議にて森喜朗元総理大臣と麻生太郎総理大臣。(産経新聞)
――政府側は昨日局長に内閣官房副長官を充てるとする原案を党側に示しました。

ああ、人事局長ね。

――はい。党案は、専任ポストとすべきという意見が大勢ですね、今日の会合でも了承が見送られています。……

ああ、このことに関しては、少なくとも、行政改革に反しないこと。それから、行政の最終的な責任を内閣総理大臣が負ってますんで、この人事に関して総理大臣の意向、っていうものがきちんと反映されること。このふたつです。それが基本です。

――そのためには、内閣官房副長官であるべきだという風にお考えでしょうか。

総理大臣自らやるのが一番でしょうね。

――…………

おたくの会社の人事も社長がやってんだぜ。最終的には(笑)

――行政改革の観点という風に言いましたが、すると一人ポストを増やすというようなことのが行政改革に反するというようなニュアンスになるんだと思いますが?

と。……と、御社ではそう思うんじゃない?

――総理…………

(笑)……イヤ、御社ではそう思うんじゃない?って。御社というと、どこの社だか分からない、ようにわざわざ言ってんだから(笑) 
あの、基本的には新しいポストを作って、それに対して、何、高給を払うというようなことになるというのは避けるべきだと思います。

――あの、調整が難航していますけれども、あくまでも今月中に閣議決定という考えに変わりありませんか。

当然です。

(記者が名乗ったことに対して名前を秘書官に尋ねている? よく聞き取れず)

――党側で専任のポストを設けるという意見が多数あるんですが、そのような考えはないと。

ありません。……専任ポストってのは、一つはポストを増やすという意味だね?

――はい、そうです。

――あの、総理、行革の観点から言いますとですね、麻生内閣になって総理と官房長官らの秘書官が一人ずつ増えていますが、このへんのあたりの整合性というのはどのようにお考えでしょうか。

それは、全然、全然、意味が違います。行革という意味とは違うと思います。

麻生さんのべらんめぇ日記/3月25日 ぶら下がり取材夜
残るは内閣人事局長の位置付けという事になります。人事・組織の再配置に関する強い権限を持つ官房副長官級のポストを官房長官直属のもとに新たに設置せよという意見もあれば、官房副長官級をまた一人増やすという事は行革の精神に反するので事務の副長官に兼務させよという意見もありますし、官房副長官のクラスにせずともその下の大臣政務官 (内閣危機管理官) 級で良いのではないかという意見まで千差万別です。どれを選択しようとも、必ずクレームがつきます。

官僚主導から内閣主導へ、という事で始まった改革ですから、最終的には内閣の長である総理がお決めになれば良い事だと思います。

「公務員の政治的中立」なる言葉が人事院から発せられる事がありますが、「人事行政の公正」という文言はあっても「公務員の中立」なる言葉は憲法にも国家公務員法にも出てきません。

あらゆる政権から中立した公務員なる存在が生まれたとしたら、シビリアンコントロールの効かない軍隊のようにシビリアンコントロールの効かない公務員が出来るようなものです。国民の総意によって選出された国会議員によって構成される時の政権に忠実に仕え、政権が変われば次の政権に忠実に仕えるという事が公務員の責務なのです。独立公務員を作るような誤解を与える文言は厳に謹んでいかなければならないと思います。

人事制度の公正性とは、公務員が「成績によって採用され、能力と実績によって昇進をする」という誰にでも平等に適用される物差しをしっかりと作る事を意味します。時代の変化や世界の変化に従って取り組むべき課題は変わりますし、それが解決できる人材を登用するという事は政府がなすべき使命です。従ってこういう人材を採用し育成したいという事は、正に内閣主導で行われなければなりません。

甘利明公式サイト/国会リポート153号より抜粋 強調引用者


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by floppy_smile | 2009-03-26 01:07 | 首都で | Trackback
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