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グローバルな逆淘汰
スペンスの金融危機についてのエッセイが、PIMCOのサイトに出ている。彼の処方箋は、第一に金融システムのtight couplingを是正し、決済機能と仲介機能を区別して規制すること、第二に危機管理をルール化し、tail riskが生じた場合に自動的に発動できるようにすることだ。
これはもっともだが、規制強化だけで問題が解決するとは思えない。全世界の金融機関を厳重に監視することはできないし、やりすぎると彼らはオフショアに逃れるだろう。へたをすると、SOX法のように有害無益な過剰規制になる。むしろスペンスが重要な業績を上げた情報の非対称性の問題として、原理的に考え直したほうがいいだろう。
伝統的な金融理論では、商業銀行に代表される「間接金融」は投資家が情報劣位にある場合の古いシステムで、企業の財務情報が開示されれば投資家がリスクもリターンもとる「直接金融」のほうが効率的だということになっている。しかし今回の騒動でわかったのは、こういう区別は意味がないということだ。証券のリスクは開示されているが、大部分の投資家は何百ページもある目論見書を読まない。彼らは「ゴールドマンの組んだファンドなら大丈夫だろう」といったアバウトな判断で丸投げしているから、その信頼が裏切られると一種の取り付けが起こるのだ。
つまりこれは本質的には新しい現象ではなく、Akerlofの有名な論文に出ている「レモン」の問題が、数兆ドル規模でグローバルに出現したものと考えることができる。こういう逆淘汰の対策はよくわかっていて、基本的な考え方は、まともな業者とレモンが別の行動をとるself-selectionのメカニズムを設計することだ。その一例が、スペンスの提案したシグナリングである。
銀行は、本来は自分でリスクをとることによって「この融資先は大丈夫だ」というシグナリングを行なうしくみだ。格付け会社が役に立たないのは、彼らが自分でリスクを負わないため、評価対象の企業を過大評価して手数料をかせぐモラル・ハザードが発生するからだ。同じ問題は債券を起債するオリジネイターにもあり、貸付債権を売却したら自分はリスクを負わないので、リスクを過小申告するインセンティブをもつ。このようにインセンティブが歪んでいるかぎり、格付け会社を規制してもエージェンシー問題は解決しない。
これを解決する原則は、ウォーレン・バフェットのいう"skin in the game"、「身銭を切らないやつの話は信じるな」である。逆淘汰を解決する(本当のことをいわせる)には、エージェントにリスクを負わせることだ。たとえば格付け会社には債券を評価に比例して保有するよう義務づけるとか、オリジネイターには一定の劣後的な債権を保有するよう義務づける(かつてはそういう慣行があったらしい)などのルールが考えられる。日本のメインバンク・システムは、破綻した場合はメインバンクが劣後するという暗黙のルールによってシグナリングを行なってきた。
本源的な財務情報をすべての投資家に完全に開示させることは、可能でもないし必要でもない(ほとんどの投資家は開示されてもわからない)。重要なのは、「この会社は危ない」というシグナルを出さないと仲介業者自身がつぶれるしくみをつくることである。
これはもっともだが、規制強化だけで問題が解決するとは思えない。全世界の金融機関を厳重に監視することはできないし、やりすぎると彼らはオフショアに逃れるだろう。へたをすると、SOX法のように有害無益な過剰規制になる。むしろスペンスが重要な業績を上げた情報の非対称性の問題として、原理的に考え直したほうがいいだろう。
伝統的な金融理論では、商業銀行に代表される「間接金融」は投資家が情報劣位にある場合の古いシステムで、企業の財務情報が開示されれば投資家がリスクもリターンもとる「直接金融」のほうが効率的だということになっている。しかし今回の騒動でわかったのは、こういう区別は意味がないということだ。証券のリスクは開示されているが、大部分の投資家は何百ページもある目論見書を読まない。彼らは「ゴールドマンの組んだファンドなら大丈夫だろう」といったアバウトな判断で丸投げしているから、その信頼が裏切られると一種の取り付けが起こるのだ。
つまりこれは本質的には新しい現象ではなく、Akerlofの有名な論文に出ている「レモン」の問題が、数兆ドル規模でグローバルに出現したものと考えることができる。こういう逆淘汰の対策はよくわかっていて、基本的な考え方は、まともな業者とレモンが別の行動をとるself-selectionのメカニズムを設計することだ。その一例が、スペンスの提案したシグナリングである。
銀行は、本来は自分でリスクをとることによって「この融資先は大丈夫だ」というシグナリングを行なうしくみだ。格付け会社が役に立たないのは、彼らが自分でリスクを負わないため、評価対象の企業を過大評価して手数料をかせぐモラル・ハザードが発生するからだ。同じ問題は債券を起債するオリジネイターにもあり、貸付債権を売却したら自分はリスクを負わないので、リスクを過小申告するインセンティブをもつ。このようにインセンティブが歪んでいるかぎり、格付け会社を規制してもエージェンシー問題は解決しない。
これを解決する原則は、ウォーレン・バフェットのいう"skin in the game"、「身銭を切らないやつの話は信じるな」である。逆淘汰を解決する(本当のことをいわせる)には、エージェントにリスクを負わせることだ。たとえば格付け会社には債券を評価に比例して保有するよう義務づけるとか、オリジネイターには一定の劣後的な債権を保有するよう義務づける(かつてはそういう慣行があったらしい)などのルールが考えられる。日本のメインバンク・システムは、破綻した場合はメインバンクが劣後するという暗黙のルールによってシグナリングを行なってきた。
本源的な財務情報をすべての投資家に完全に開示させることは、可能でもないし必要でもない(ほとんどの投資家は開示されてもわからない)。重要なのは、「この会社は危ない」というシグナルを出さないと仲介業者自身がつぶれるしくみをつくることである。
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池田さんの今日のブロッグ記事「グローバルな逆淘汰」をみて、思わぬ偶然があるものだと少し驚くとともに、つまらない誤解が生じるといけないので、このコメントを書いておくことにします。
とうのは、日経に頼まれて正月用の「やさしい経済学」を書いたのですが、その最初の3回がアカロフとスペンスの話なので、池田さんの記事から無断で「アイディア借用」をしたのではないかと疑われたくないからです。
もちろん、そんなことはよくあることで、記述の中身は違いますから、盗作的な話は一切無いと思うのですが、正月に私の記事を見た読者は「あれ、これどこかで読んだ話と似ているな。そうだ、池田さんのブロッグから借用したのだ」とか想像されるのも、少しいやな感じがしますので、念のためこのコメントなった次第です。
今回の「やさしい経済学」は、「崩壊からの創造」(仮題)というタイトルで、
「私がここで試みようとすることは、「やさしい経済学」というこのコラムの趣旨に照らして、経済学者のなかで賢人といわれている人々、具体的には「情報の非対称性」という共通テーマでノーベル経済学賞(2001年)を受賞した3人の知恵を借用して道筋を探ってみることである。」
という趣旨のものです。最初にアカロフ、スペンスにも触れますが、もっも多く登場するのはスティグリッツです。池田さんが引用しているスペンスのエッセイは知りませんでした。私は、彼のEL-Erianとの共論文
”Growth Strategies and Dynamics:Insights from Country Experiences” の議論を参照しています。
池田さんの「グローバルな逆淘汰」の議論は示唆的なので言及したいのですが、原稿はもう書いてしまったのと、追加するスペースがないので、見送ります。
このような種類のコメントが採用されるのかどうか。もし、不適切であれば、ご遠慮なく削除してください。
以上です。
格付機関も、エージェント業務と投資家業務を両立させることはできるのでしょうか?常に自分の投資を正当化するようなエージェントになるような気がします。
結局、情報技術が発達するなかでは、エージェントの存在は縮小するのが必然ではないでしょうか?
私のブログにそんな権威はないので、ご安心ください。スペンス自身も今回の危機とシグナリングの関係にふれていないし、他でも逆淘汰との関係で論じた論文を見たことがないので、私の勘違いかなとも思ったのですが、今井先生と同じ意見とは心強いかぎりです。
ただ当ブログも、いろいろな専門家が読んでおられるようで、緊張します。
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