最近の金融危機をめぐる報道で、「モラル・ハザード」という言葉がよく出てくる。新聞ではたいてい(倫理の欠如)と補足しているが、これは誤訳である。この言葉は保険用語で家の燃えやすさなどの"physical hazard"(物質的危険)と対になる概念で、Slateの記事にも書かれているように、moralは「倫理的」という意味ではなく"perceptual or psychological"という意味だ。つまり"moral hazard"は、保険に入ったことで防火を怠るなどの「心理的危険」のことである。
モラルハザードは重要な問題ですが、事後的には救済がPareto improvingになるので、事件が起こってから議論するのはまずい。ミネアポリス連銀のスターン議長も、"in the middle of a great deal of turbulence is not the time to try to teach somebody a lesson about too big to fail"といっています。
モラル・ハザードという言葉は悩ましい言葉だ。
"リスクテイクせず慎ましく生きている"庶民からすれば、大金を"濡れ手に粟"のように掠め取るように見える、リスクテーカーたちの蹉跌を攻撃するのにうってつけの言葉だからだ。
十数年前の住専国会の頃を思い返してみよう。
本来、経済合理性に基づいて解決しなければならない問題が、道徳性を帯び、当事者だけでなく周辺部の政治家や、マスコミ、"経済評論家"など本来関係のない者達を引き込んで神学論争に陥ってしまった。
そして、迅速な解決と行動が必要なときに政治と行政の機能不全をもたらしてしまった。
下記の言葉を思い出した。
流転の果て 2008-09-16 / Books
>(日本の)危機のもっとも重要な局面(アメリカの今ぐらいの時期)に自民党政権の崩壊と非自民連立政権、さらに自社さ連立政権と政治が混乱したことが致命的だった。
>著者も名指ししているように、自民党に寝返った武村正義氏が論功行賞で蔵相になったことが、でたらめな金融行政の引き金になった。彼がやった2信組と兵銀の処理は順序が逆で、「EIEの高橋治則の貯金箱」といわれた2信組に公的資金を注入し、大蔵官僚2人が高橋の接待を受けていたことが判明して、銀行局の準備していた破綻処理のスキームがめちゃめちゃになってしまったのだ。
>政局が混迷を続け、社民党の首相や蔵相が出てきて、政治が脳死状態になってしまったからだ。
>95年ごろは大手銀行のほとんどがリーマンと同じような状態だったが、大蔵省は「分割償却」を奨励して実態を隠し、「奉加帳」で日債銀を延命し、そして2000億円がパーになった。
日本の昨今の政治情勢からすれば、この時と同じ状況がこの1,2年のうちに起きるだろう。
また、瀕死のアメリカ金融機関に日本の銀行・証券各社が資本提携すると言う。
その事を考えれば、今、"モラル・ハザード"の言葉の意味を真摯に考え予め、手を打っておく必要はないだろうか?
もし、今回と同じことが数年後の日本に起きた時、無意味な神学論争に明け暮れ、本当の意味の国益が毀損されないためにも・・・
これは間違いで、本文とも矛盾しています(訂正しました)。本文の「保険によって保険事故が補償されることが、被保険者のリスク回避行動を阻害する」という説明が正しい。国立国語研究所が誤訳をオーソライズするとは、何をかいわんやです。
この種の食い違い(英語表記の日本語的解釈感覚ずれ)はほかにも複数ある気がしています。
以上
http://homepage3.nifty.com/hon-yaku/tsushin/kotoba/katakana.html
http://blogs.wsj.com/economics/2008/05/13/stern-credit-headwinds-to-weigh-on-economy-beyond-2008/
>ズルを抑止するには、ズルのリスクを極限まで高めること。割に合わない行為だと自覚させるしかないでしょう。
>再度申します。私は「金儲け」は肯定します。しかし犯罪は絶対に許してはならないとの立場です。
当たり前のことを力説する、増沢 隆太とは何者?
しかし、全体にあまりにもレベルの低い言説に驚くばかりです。「東京工業大学特任教授」??
速攻の早業恐れ入ります。
で、結局、元をたどれば異常なほどの超低金利も一種のモラル・ハザードを生む遠因になるような気がします。借り入れコストの低さは一種の保険の役割を果たすでしょうから。リスキーな商品が盛んに取引されたのもそのせいでしょう。
池田先生ご自身の『ハイエク 知識社会の自由主義 (PHP新書)の99頁に、
「他人の目を盗んで怠けたり悪いことをしたりする行為を経済学で「モラルハザード」と呼ぶが、日本人にはあまりなじみのない言葉だ。日本のように同質的な社会では、〜」
とあり、或る程度広い意味でお使いになっているようにも拝見します。
(揚げ足取りのようで申し訳ないです、たまたま目に入ったものですから。いつもクリアな論説に感服しています。)
他方、定義によって「社会全体のモラルハザード」などというものは存在しない。
経済学でいうモラル・ハザードだ、と先生がおっしゃるなら、或いはそうなのだとも思いますが、でも、少なくとも「怠け」はちょっと違うように思います。
ブログ本文のご説明にもあるように、元は保険についての話ですよね。エージェントについて言うときも、リスクの分担が無いために過度に(余計に)危険なことをする、ということを指すものと理解しています。怠け、という話は、既にここからだいぶ転じた使い方だと思うのです。
まあ、「社会全体のモラルハザード」とか言うのよりはよほど元に近いのは理解しますが。
厚生省は薬害エイズ問題が起きた時、患者(国民)の健康を守るのではなく、自分たちが所管している製薬業界を守った。
また、昨年C型肝炎が問題になった時にも、患者(国民)の健康を守るために行動を起こすのではなく、大切な名簿を地下倉庫に放置していた。
彼らは一義的に国民の健康を守る義務がある筈なのにその責務を怠ったのだ。
法律上の強制監督措置だけではなく,"行政指導"と言った方法でも製薬会社に対する防止措置を取れた。
しかし、これをオコタッタ。
これは「エージェント(厚生官僚)がプリンシパル(国民)の利益に反する行動をとる」ことだからモラル・ハザードではなかろうか?
今、投資銀行の経営者や従業員のモラル・ハザード(高額の報酬ゆえに無茶な・冒険的な行動に走る)に注意が向けられているが、国民の生命・財産を預かる中央官僚たちにもその職務をオコタッタり"無作為の作為"を為した時には、彼らのモラル・ハザード(立場ゆえに科された責務をオコタル)について責任が問われることを、今後の試験要綱に記載されるべきだ。
これは、ブログ本文の趣旨でもあると思います(ただ、それを、誤りとも決めつけられないと思いはします、池田先生ご自身の『ハイエク』のような例もあるし)。
それにしても、わざわざ「モラルハザード」と呼ぶのには疑問を感じます。おっしゃるような意味でなら、社会問題の殆どはモラルハザードになってしまいます。自分だけの事項であればどうしようと勝手であり問題にもならないわけですから。
やはり、本来の“リスク負担が無いために余計に危険なことをする”という意味を意識する範囲で使う方が望ましいと思います。池田先生の『ハイエク』での言い方も、筆が滑ったものと理解しています。
官僚批判の話も、仮に、健康被害が出ても官僚に損害負担が生じない仕組みだからだ、といった観点でおっしゃるなら、或る程度分かります。
「日教組をぶっ壊す」など一連の問題発言の責任を取って国土交通相を辞任した中山成彬氏は、最初に行政改革担当相を麻生氏から内示され、「自分や妻、息子を含めて役人一家。受けることは出来ない・・・」と派閥幹部らに泣き付き国土交通相にポストを変えてもらったと言う。
「日教組をぶっ壊す」と言う言葉だけなら、氏は"国士"、"漢(おとこ)"と言う風格を漂わせる人物で、あったかもしれない。
しかし、自分の身内(中央官僚ら)に対して"苦い言葉"さえも言えないのなら何のことはない、最初から国務大臣になる資格のない人物であったのだ。
いみじくも彼が、「自分や妻、息子を含めて役人一家。受けることは出来ない・・・」と述べ、公務員制度改革に消極的であった事は注目に値する。
それは、東大を卒業し大蔵省大臣官房企画官を経て、政治家になった氏にとり中央官僚の権益を守ることがその政治活動の優先順位の第1位だったのだ。
戦前の関東軍が陸軍本部の思惑を超え、勝手に暴走し戦線拡大・満州国設立に走ったように、明治以来の官僚を中心とする国の統治機構は、「省益あって国益なし」の行動を採ってきた。
彼らにとっては「エージェント(中央官僚)がプリンシパル(国民)の利益に反する行動をとる」ことなど歯牙にもかけない事であったろう。
だから、旧内務省の系譜をたどる厚生官僚にとっては患者(国民)の健康を守るのではなく、自分たちが所管している製薬業界を守ることになんら、躊躇することもなかった。
また戦時中に始まった年金制度も、戦費調達のために国民から金を巻き上げる手段であり、最初から払うつもりなどさらさらなかったのだろう。
それが今日の年金問題の根幹だ。
今日、この国に住む私たちにとり、アドミニストレーター(中央官僚)の"psychological hazard"とは、「エージェント(中央官僚)がプリンシパル(国民)の利益に反する行動をとり」、国民の利益はもとより、国益さえもないがしろにして、省益を最優先することなのである。
後者が「エージェントが自分だけの知識を悪用して、プリンシパルの利益に反することをする」という定義だとしましょう。「火災保険」の例の場合、プリンシパルは保険屋、そしてエージェントは加入者です。
しかしほとんどの人は、保険の加入者となることはあっても保険屋になることはない。そして保険に加入したときには、あえていえば、自分がプリンシパルとなって、エージェントたる保険屋に、面倒な計算やイザという時の処理を「頼んでいる」という意識を持っていることでしょう。
つまり、モラルハザードにおいて「エージェント」が裏切るという機序を説明するのに、ほとんどの人がエージェントだと思わないような例(火災保険)を出して説明すること事態が、わたしはおかしいのだと思っています。誤解がひろまったとしても、反省すべきなのは、経済学者のほうなのでは……
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