4月1日付で大阪本社地方部に転ずることとなりました。128本目となる今回の「手紙」が最終章となります。
06年4月の着任から丸3年。20年前の駆け出し記者時代を合わせると、計5年半の島根県勤務となりました。新聞記者にとって初任地は「第二の故郷」となりますが、今回の“帰郷”で島根は第二から第一・五ぐらいになったような気がします。
「島根で3年間仕事をしたから、地方や過疎地を理解できた」などと考えるのはあまりに高慢です。ただ、都会発信の全国ニュースに接して何度もやり切れない思いをしたことがありました。
例えば「救急患者がいくつもの病院から受け入れを拒否された」というニュース。その数日前、ある救急病院の医師からこんな話を聞いていました。「救急患者の受け入れを絶対拒否しません。どんなことをしてでも対応します。うちが受け入れを拒否したら、他に病院がないんですから。拒否しないんじゃなくて、拒否できないと言った方がいいでしょうか」
例えば「公立の中学校で校区を越えて通学校を選べる学校選択制を採用したため、学校も保護者も翻弄(ほんろう)させられている」というニュース。何ヵ月か前に、ある中学校の校長先生からこんな話を聞いていました。「子どもが減った山間部では学校の統廃合で校区が広がっています。通学距離が極端に延びる子どもが増えてます。そのうち、子どもを中学校に通わせることができないから引っ越すなんていう家庭が出てくるんじゃないでしょうか」
患者の受け入れを次々に拒否するほどの数の病院がない地域があります。通学する学校を選ぶどころか、通学そのものが不安になるほど学校が遠くなってしまった地域があります。島根で生活し、仕事をしていたからこそ実感できました。大阪や東京にいたら、感じることのできないやり切れなさです。貴重な体験でした。
21年前、松江支局を離れる際には松江城の天守閣に登り、松江の街並みを眺めて島根に別れを告げました。今回は、島根の西端・津和野城跡から津和野の街並みを眺めて島根とお別れすることにします。本当にお世話になりました。
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後任は、大阪本社地方部副部長の元田禎です。どうかよろしくお願い致します。【松江支局長・松本泉】
毎日新聞 2009年3月30日 地方版