野球害毒論

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』

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野球害毒論とは主に野球アンチが語る野球の危険性を唱える説である。提唱者いわく野球をやっている人は野球脳であるとされている。

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目次

[編集] 概要

明治時代より日本中に広まり、戦後は国民的なスポーツにまでなった野球。その発展の裏には他のスポーツがいろいろな意味で犠牲になってきた。また、野球のテレビ中継により見たいテレビ番組が中止されたり放送時間がずれてビデオが取れなくなるなど特にスポーツをやっていない人にも迷惑をかかっていた。

そこで様々な被害を受けた人々は野球に対する様々なネガティブキャンペーンを行うことによって野球の影響力をそぎ落とそうとした。それが野球害毒論の要旨である。

[編集] 歴史

[編集] 成立から戦時中まで

この野球害毒論を成立させたのは朝日新聞であるとされる。その朝日新聞は様々な理由により野球に不平不満を持っていた人々を集めメディアの力を利用して大々的にネガティブキャンペーンを行った。野球脳という呼称もそのときに考えられた。それが野球害毒論の始まりであるとされる。まずは野球をやっている人を野球脳とよび徹底的に弾圧を行った。それは周りの圧力により野球をやっている大学生が真っ先に戦場に送り込まれるなど野球人口の減少を誘うものになった。また、それは当時野球の母国アメリカ戦争を行おうとしていた政府中枢に支持され朝日新聞の社会的地位は飛躍的に上がったとされる。

しかし、野球を愛する人たちはやられっぱなしではなかった。野球害毒論によって甚大な被害を受けた野球愛好者は朝日新聞以外の新聞社と結託し反野球害毒論を展開した。それは野球をやっていない人々を先に戦場に送る圧力となった。戦争が長期化するにつれ野球害毒論派と反野球害毒論派は泥沼の中傷合戦により一種の内戦となってしまった。しかもこの争いにより若い男性を大量に戦場に送り込む形となってしまったため国力の低下を招き戦争に敗北する原因の一端となった。

戦争終結後、朝日新聞はもうネガティブキャンペーンをする力はなく反野球害毒論提唱者と講和をすることになった。その後は朝日新聞が全国高等学校野球選手権大会を現在まで開催するなど提唱者でありながら野球害毒論を展開するために朝日新聞が集めた人々を裏切り、初めからそのような論を展開していなかったように振舞った。朝日新聞が心変わりをしたのはひとえにそのような行動をとったほうが金になるからであろう。朝日新聞の変心により野球害毒論はいったん表舞台から姿を消すこととなった。

[編集] 戦後から現在まで

朝日新聞の裏切りにより表舞台から姿を消した野球害毒論は朝日新聞が集めた人々により細々と伝えられていった。当然参加者は朝日新聞の購読をやめたという。

戦後、野球はアメリカの援助の下国民的スポーツにまで成長していった。その他のスポーツ愛好者や見たいテレビを見るのを邪魔された人にとってこれほど鬱陶しい状態はなかった。そこで人々は朝日新聞が残した遺産「野球脳」という言葉を旗頭としてまとまった組織は持たずゲリラのように野球害毒論を展開した。はじめは全く効果はなかったが何十年も続けていくうちに野球中継の視聴者は減り中継の延長が中止されたり、貧乏球団がつぶれたりした。現在その戦果によって野球害毒論者は勢いづき野球というものがなくなるまで現在も戦い続けている。

[編集] 手段

戦前・戦時中は朝日新聞が考えたデマからできた理論によって弾圧した。しかし、それは反対派によって事実無根と証明されてしまったのでえせ理論のレッテルが貼られ使えなくなってしまった。そこでゲリラ戦法としてマイナスのキャッチフレーズがどんどん作られることとなった。代表的なフレーズに野球脳という究極のマイナスキャッチフレーズがある。ゲリラ隊もこのフレーズ以上の物が作れなかったのでこの言葉だけは朝日新聞から引き継いだ。朝日新聞は消極的ではあるが賛成した。これフレーズによって野球をやっている人はバカというイメージを植えつけることに成功した。後にできたゲーム脳という言葉もこの野球脳という言葉からできたとされる。

[編集] 総括

当然野球を愛する人々から野球害毒論は袋叩きにあっている。それは野球を愛するが故である。でも、野球が存在することによって起きる数々の不都合を彼らは無視している。それらの人の犠牲によって今の地位があることを忘れている。野球害毒論者も初めから野球が憎かったのではなく、自分が愛する物が野球によって蹂躙されているから立ち上がったのだ。それ自体を責めることは私にはとてもできない。

野球害毒論者も無遠慮な攻撃をしてはならないのは当然だが野球を愛する人々もそのような人たちに慈悲の心を持って思いやり、時には相手の話を聞き不平を少しでも解消するために働きかけるべきだろう。それは朝日新聞の寝返りによる偽りの休戦ではなく真の終戦のための第一歩になるはずだ。

[編集] 関連項目