登別市の文化・スポーツ振興2008実行委員会主催の講演会が29日、登別市民会館で開かれ、「北海道の赤ひげ先生」と呼ばれた道下俊一氏が、道東の浜中町で地域医療に情熱を注いだ47年間を語り、「悔いはない」と結んだ。
昭和28年、北大病院に研修医として勤務していた当時26歳の道下氏は、釧路沖地震で大きな被害を受け、復興に取り組んでいた同町・霧多布に派遣された。当初1年の予定は7年に及び、35年にはチリ沖地震による津波で患者11人を失ったことなどから、医療過疎地の診療所医師として尽くす決意を固めた。
講演では、「小さな診療所は患者であふれた。専門は内科で、経験がない外科手術やお産など、昼夜を問わず何でも1人でこなさなければならなかった」厳しい現実と、人口8000人の命を1人で守る責任の重さを披歴。
派遣医師の立場から“霧多布人”として生きていく決心をして以来、剣道や太鼓、町民運動などの活動を通して地域に溶け込んでいった。「私の生きざまを知ってくれる人がいる場所が古里」と心に刻み、住民とともに復興に力を注いだという。
退職し現在は札幌市に居住しているが、町民との交流は続いている。「霧多布で過ごした47年は自分の誇り。悔いはない」と地域医療にささげた半生を振り返った。 (高橋紀匠)
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