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29/08/2008

旧過失論と回避可能性

 私の学部時代の恩師である川端博教授の「刑法総論講義第2版」187頁には,

従来の通説によれば,過失は故意とならぶ責任条件ないし責任形式であるとされる。そして,過失の本質は,犯罪事実の表象の欠如が,行為者の不注意に基づくこと,すなわち,行為者が注意を払ったならば,構成要件的結果の発生を表象することができ,かつ,これを避けることができたはずであったのに,不注意によってその表象を欠き,構成要件的結果を生じさせた点に求められたのである。
とあります。すなわち,旧過失論においては,「行為者が注意を払ったならば,構成要件的結果の発生を表象することができ」たという予見可能性だけでなく,「これを避けることができたはずであった」という回避可能性があったことが,過失犯の処罰に当たって要求されることになります。大塚仁教授や大谷實教授などの,私の学生時代には既に定評のある基本書には同様に,「これを避けることができたはずであった」という回避可能性の存在を,旧過失論における過失の定義に含めています。

 また,芝原邦爾他「刑法理論の現代的展開 総論(2)」によれば,旧過失論では認識ある過失を処罰できないではないかという批判がなされることがあるがそれは間違いであり,認識ある過失の場合,犯罪結果が発生する可能性があることを抽象的には認識しつつも,最終的には犯罪結果が生じないものと判断して,一定の作為・不作為をおこなうのであるから,具体的な結果予見義務を満たしていない(だから,過失犯が成立する)ということのようです。

 刑事弁護はもう10年近くやっていませんが,学生時代に勉強したことというのは意外と残っているものだなあと思いました。上記のような文献って,最近司法試験に合格された方や現役の法科大学院の刑法担当の実務家教員等が調べる対象からは外れてしまっているのかもしれませんね。時代の流れってやつなのでしょうか。

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