羊カンかお汁粉がつくづく食べたい−−。小説家、井上靖(1907〜91)が1937(昭和12)年10月、出征先の中国から静岡県伊豆湯ケ島の両親あてに送った軍事郵便を、プール学院大学長で独文学者の長男修一さん(68)が見つけた。昨年10月に亡くなった靖の妻ふみさんの遺品に交じっていた。作家デビュー後は原稿に追われ、肉親はもとより親しい知人らにも手紙を出す機会が激減しただけに、人柄をしのぶ貴重な資料だ。
井上は、大阪毎日新聞(毎日新聞の前身)学芸部記者だった37年9月、日中戦争に応召、輜重(しちょう)(輸送)隊に属した。手紙は小ぶりの便せん6枚に鉛筆書き。「ずつと毎日、七八里以上の行軍が続き昨日○○に到着」と、検閲のため地名を伏せている。「一番現在不自由してゐるのはタバコとマツチです(略)その次は甘いものです」とあり、「兵隊の話といへばみんな羊カンかお汁粉の話です」と続く。頑健だった井上はまもなく病に倒れ、4カ月で内地送還された。
井上は幼少期、両親の元を離れ伊豆の親類に育てられた。修一さんは「両親に対して他人行儀だった父をほうふつとさせる文面だ」と懐かしむ。
井上文学に詳しい曽根博義・日本大教授(日本近代文学)は「井上靖は自身の出征体験をあまり語っておらず、その動向は具体的に分かっていない。親友たちを戦争で失った重い経験が戦後の井上文学を支えたはずであり、手紙は資料の空白期に迫る第一歩だ」と話している。【鶴谷真、写真も】
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