国内

イチローついに口を閉ざす 嫌マスコミになった理由

3月20日 08時01分

 WBC日本代表を引っ張る男・イチロー。マリナーズでは、なかなかメディアにコメントを出さないが、WBCでは毎試合後インタビューに答えていた。一方、18日に行われた韓国戦後は報道陣に何も答えることなく球場を後にした。

 まったくコメントを取ることができなかったわけだが、普段から取材記者はイチローに対する質問の難しさを痛感させらることが多い。無安打に終わった東京ラウンド中国戦後、「『焦る』という心境を味わっているのか?」と聞いた記者に対し、「むしろその単語を使ったことに焦ってほしい」と返答。

 今でこそ、気難しいイメージのあるイチロー、1994年のブレイク当初はテレビや新聞はもちろん、週刊誌から女性誌まであらゆるメディアに登場していた。これには、当時在籍していたオリックスの意向あってのことだが、マスコミとの関係は悪くはなかった。

 イチローをマスコミ嫌いにさせたのは、1997年のこと。月刊誌『文藝春秋』が『イチロー 大リーグへの夢日記』を掲載したのが発端だ。当時、イチローと親交のあったライターが記事を執筆。文藝春秋側は「イチローの了解は取った」と主張していたが、イチロー自身は『イチロー・オン・イチロー』(新潮社)のなかでこう語っている。「僕が書いてもいないことが、僕の名前で書かれたことになっていて、記事には本当らしく『メジャーに行きたい』とつづられている。これってどう理解したらいいんですか」。

 なぜ双方の意見が食い違ったのか? 野球記者はこう分析する。「当時、イチローの記事は、そのライターの独壇場だった。食事をしながら、気軽にしゃべれる間柄だったと思う。そういう場で、本人はオフレコのつもりでしゃべったことが、掲載されたのでしょう。文藝春秋側は了解を取ったかもしれませんが、仮に飲みの席で取ったとすれば、あやふやになりがちですよね」。

 これ以降、イチローは「人が信じられなくなってしまった。残念だけど、マスコミの人に会っても、まず最初に疑ってかかるようになってしまいました」(『イチロー・オン・イチロー』より)。スーパースターにはスーパースターなりの苦悩がある。

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