近代化を目指した東アジア3国の「分かれ道」(下)
こうした違いの原因は、情報を入手するルートが異なっていたから、という解釈が有力だ。朝鮮は燕行使経由で戦争の情報を入手し、その燕行使は、中華意識に基づき清の敗北を歪曲(わいきょく)して伝達する中国の官報に主に依存した。その一方で日本は、当時イギリスの植民地だったシンガポールの英字新聞を引用したオランダの書籍や、戦闘地域に近い南東地域の中国商人の報告書を総合し、事態を把握したため、戦闘の実態をより正確に知ることができたと説明されている。清の朝廷がアヘン戦争で領土を割譲し、さらに関税自主権を渡し領事裁判権を設定する不平等条約を締結しても、戦争の敗北を深刻な危機と認識できなかった、という点も指摘されている。カン教授は、中国が情報を入手しなかったというよりは、情報を収集し分析しようという風潮が社会支配層になかったと見なければならない、と記述した。
中国の洋務運動と日本の明治維新以降の近代化改革との比較は、興味深い。中国が国家主導の産業化を推し進めたのに対し、日本は制度的に民間投資を奨励するモデルを選んだ。中国では、洋務派官僚が洋務系企業の利潤確保のため民間企業の設立を許可しようとせず、市場を独占した。鉄道に関して言えば、清は1876年にイギリスの会社が敷設した上海-呉松間の鉄道を運行したが、風水に合わないなどの理由で反対、すぐに撤去した。日本は1872年に東京-横浜間の鉄道をイギリスの技術援助を受けつつ自力で敷設して以降、1900年までに総延長7000キロの鉄道を敷いた。開港当時、中国経済は自力で近代化できる条件を備えていたが、太平天国の乱を鎮圧した後の1870年代から相対的安定を保っていたことにより危機意識を弱め、経営の革新や近代的技術の導入といった新しい突破口を見出すことができなかったと説明されている。
東アジアで真っ先に富国強兵を達成した日本が侵略戦争で自滅し、列強の侵略で満身創痍(そうい)となった中国が侵略国という歴史的負担なく、第3諸国はもちろん世界の指導者の座を見下ろしていることを考えると、より長い目で近代100年史を省察しなければならない、という著者らの問題提起は妥当だ。世界第13位の経済大国を目指した大韓民国の成就についても同様だ。朝鮮と日本の近代史をそれぞれ分析した『近代と植民の相克』(キム・ドンノ著)、『天皇制近代国家の誕生』(ハム・ドンジュ著)も同時に出版された。
キム・ギチョル記者
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