2001年12月7日――ハワイで行われた真珠湾攻撃記念式典で、ブッシュ大統領
はタリバンに勝利したことを述べ「今後は9月11日をテロとの戦いの記念日とする」
と宣言し、「リメンバー9月11日」を強調したといわれます。
「リメンバー・パールハーバー」ということではじめられたこの式典において、米大
統領が「リメンバー9月11日」を口にするのは、何らかの意図が感じられます。
ところで、この「リメンバー○○○」ということばは米国が何かコトを起こすときによ
く使うことばなのです。古いことばでいうと、次の2つがあるのですがご存知ですか。
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1.リメンバー・アラモ
2.リメンバー・メイン
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これら「リメンバー○○○」は、実はすべて戦争に関係があるのです。これは戦争の
口実を作るための古くからの米国の手口なのです。米国という国は、国益のためなら何
でもやる国であることを知っておくべきです。どういうことか、2つのリメンバーにつ
いて歴史を簡単に振り返ってみましょう。
「リメンバー・アラモ」は、ジョン・ウェイン主演映画『アラモ』であまりにも有名
ですが、アラモの戦いとはテキサスの独立戦争のことです。この戦争は19世紀に起こ
っていますが、当時はイギリス、フランス、スペイン、ポルトガルといった列強が世界
各地で植民地の支配権を争っていた時代です。
当の米国も、イギリスの支配下から独立したばかりの新興国家だったのですが、列強
に遅れをとらないよう積極的に領土拡大に取り組んでいたのです。
当時は、現在の米国テキサス州はメキシコ領だったのです。米国はこのテキサスを何
とか自国領にしようと画策して大量の移民をテキサスに送り込むのです。メキシコは1
821年にスペインから独立しているのですが、国力を高めるために積極的に移住者を
受け入れる政策を打ち出していたので、米国はそれを利用して大量の移民と奴隷を送り
込もうとしたのです。そして、それら移民による反政府運動を起させ、その騒ぎに乗じ
て武力介入し、植民地にしようとしたわけです。
しかし、メキシコ政府は米国のこの作戦を見抜き、反乱首謀者を国外に追放したので
す。ときのメキシコの大統領ビセンテ・ゲレロは、1830年に米国人の移住禁止と奴
隷制の廃止を定めた法律を制定して米国に対抗します。
1835年、テキサス在住の米国人が自治権を求めて独立運動を起すのですが、これ
は米国の仕掛けた作戦だったのです。ゲレロ大統領は、直ちにこの反乱を鎮圧するため
にサンタ・アナ将軍に3000人の兵を与え、テキサスの都市、サン・アントニオに進
軍します。
これに対して独立を求める義勇軍200人はサン・アントニオのはずれにあるアラモ
砦に立てこもり、3000人のメキシコ軍を迎え撃つのです。これがアラモ砦の戦いで
す。この義勇軍の中にいたのが、ウイリアム・バレット・トラビスやデビット・クロケ
ットです。
しかし、3000人に対して200人では勝負にならず、義勇軍は善戦したものの、
全滅してしまいます。「最後の最後まで戦い抜いた勇敢なテキサス義勇軍」として、後
の世にまで語り草となっていますが、米国ははじめからこの200人の支援はしないと
決めていたといわれます。
アラモ砦が陥落するや米国は「リメンバー・アラモ」のスローガンのもと、テキサス
の独立を助けるという独立軍を募り、サム・ヒューストン将軍の指揮のもと、メキシコ
に進軍し、たちまちのうちにメキシコ軍を壊滅、テキサスを独立させるのです。
これにより、テキサスは独立を勝ち取り、初代大統領としてサム・ヒューストン将軍
を選出し、テキサス共和国が誕生するのですが、1845年に共和国からの申し出によ
り米国テキサス州になっているのです。
米国は、1846年にはささいな理由をつけて再びメキシコに侵入し、カルフォルニ
ア、ニューメキシコなど北米大陸南西部一帯をメキシコから奪取してしまいます。これ
で米国は現在の領土を確保することになるのです。
「リメンバー・アラモ」のスローガンで、アラモ砦を全滅させた憎きメキシコという
イメージを作り上げ、国民の意識を結集させて、それによって他国を侵略して領土を広
げるという米国流のやり方がそこに読み取れます。
それでは、「リメンバー・メイン」とは何でしょうか。
これはキューバの独立運動にかかわりをもっています。1895年当時、キューバは
スペインの植民地だったのです。米国はメキシコと同じ手口で、キューバには多くの移
民が行われ、多額の米国資本が投入されていたのです。
米国はキューバでは高度な印刷技術・製紙技術を駆使して新聞社を作り、連日のよう
にスペインがいかにキューバに対して過酷な弾圧を行っているか、あることないことを
書きたてたといいます。つまり、完全なるマスコミ操作をしたわけです。
1897年2月、キューバのハバナで暴動が起こります。米国は直ちに米国民を保護
するという名目で戦艦メイン号をハバナ湾に派遣するのです。ところが、1898年2
月にハバナ湾に停泊していた戦艦メインが突然大爆発を起して沈没してしまい、米国兵
士260人が死亡するという事故が起こるのです。
米国はこれをスペインのしわざと宣伝し、新聞も一斉にその論調で書いたため、米国
民の間では「リメンバー・メイン」というスローガンが広がり、国内は反スペイン一色
になるのです。議会は、ときの米国大統領ウイリアム・マッキンレーに対して、軍事行
動を起す権限を与え、1898年4月、米西戦争が勃発するのです。この権限は昨年米
国議会がブッシュ大統領に与えたものと同じものなのです。・・・[9.11とアフガン
争/04]
2007年10月02日
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