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2008年12月18日(木) ポール・グレアム「学歴社会の次に来るもの」

[][] 18:28 ポール・グレアム「学歴社会の次に来るもの」 - らいおんの隠れ家 を含むブックマーク ポール・グレアム「学歴社会の次に来るもの」 - らいおんの隠れ家 のブックマークコメント

ポール・グレアム学歴社会の次に来るもの」を翻訳しました。原題はAfter Credentialsです。
翻訳にあたりttamo様、さかい様、externality様、shiro様、おもしろいですね様、sugita様、fatpapa様、adlib様、akamegane様のアドバイスをいただいております。ありがとうございます!!

学歴社会の次に来るもの

2008年12月

数カ月前、私は韓国の予備校事情を紹介するニューヨーク・タイムズの記事を読んだ。そこにはこう書かれていた。

「良い大学に入れるかどうかで、韓国の若者の野心が生まれるどうかが決まる」

ある親はさらに

「我が国では、大学入試人生の7〜8割が決まる」

言葉を重ねていた。それが、あまりに時代遅れに聞こえたので私は驚いた。とはいえ、まだ私が高校生だった頃のアメリカの描写としては、おおむね違ってはいないだろう。ということは、そこには多くの変化があったにちがいないということだ。

現代アメリカでは、25年前と比べ、学歴重要性は下がり、業績をより重視するようになっている。どの大学に行くかということはいまだ重要だが、昔ほどではない。

何が起きたのだろう?




学歴で人を判断するのは、かつては先進的なことだった。この習慣は、西暦587年、中国皇帝に仕える官僚候補者古典試験を課したことに始まるようだが [1]、これは同時に財力のテストでもあった。というのも、試験に必要な知識は非常に専門的で、合格するには何年もの費用のかさむ訓練が求められたからだ。だが財力は合格必要条件ではあっても、十分条件ではなかった。587年当時の世界標準からすれば、中国のこの登用システムは非常に進歩的だった。ヨーロッパは19世紀になってようやく官庁試験を正式に導入したが、それでさえ中国の先例に影響されていたようだ。

学歴社会以前は、政治的な地位は主に家柄によって獲得されていた。もしそうでないケースがあったならば、それは露骨な賄賂によって手に入れたものだった。これが、試験の成績で人を評価するようになったのだから、実にすばらしい前進だ。しかし完璧な解答などないものだ。試験の成績で人々を評価すれば、ちょうど今日の韓国同様、明の時代の中国や19世紀のイギリスにおいて彼らが行ったように、塾という仕組みが成立するのもきわめて当然のことである。

塾というのは事実上、容器にあいた穴だ。学歴評価を取り入れたのは、次世代への権力の単純譲渡を封じるためであり、塾が象徴するのは、権力者がその塞がれた容れ物に抜け穴を見つけているということだ。つまり塾とは、ある世代の財産を引き継ぐ者として次世代の学歴に変換させる仕組みなのだ。

試験範囲が狭く予測しやすいなら、サンドハースト王立陸軍士官学校(ウェストポイント米軍学校のイギリス版)の受験生や、今のアメリカの学生SAT試験の点数を上げるために通うような、昔ながらの塾で済む。試験範囲がもっと広くなると学校も塾と化す。現在予備校と同様、中国の官僚試験受験準備には何年もかかった。しかしこれらすべての団体の存在理由は同じだ。試験制度に勝つためなのだ。 [2]





歴史によれば、他の条件が等しい限り、親が子供の成功を直接左右できないようにした社会ほど繁栄するようだ。間接的に支援するのは良いことだ。たとえばもっと賢く、もっと行儀よくなるよう助けることで、もっと成功しやすくするといったように。問題は直接的な方法、つまり財産権力子供能力の代用にしてしまえることだ。

親はできるならそうしたがる。親は自分子供のためには命も賭けるから、子供のために良心ギリギリまで捨てたって驚くにはあたらない。他の親もそうしているなら、なおさらだ。

この直接的な力を禁止すれば二重の利益がある。社会全体で「ある仕事に最適な人」を得られるだけでなく、親の野心は直接的な方法ではなく、「自分たちの子供を本当に良い子供に育てる」という、間接的な方法に注がれるようになる。

だが親が我が子に不当な利益を与えたがるのを防ぐのはたいへん難しいと覚悟しておこう。これは人間のもっとも強い本能の1つだからだ。単純な解決策では、刑務所から覚醒剤をなくす方法として私たちが思いつく単純な解決策と同程度の成功しか望めないと考えるべきだ。




すぐに思いつく解決策は、学歴の仕組みを改善することだ。今、社会が使っている試験が「ハッキング可能」なら、人々が試験ごまかす方法を研究して、穴をふさぐことができる。穴の場所の多くは塾が教えてくれる。また塾の人気がなくなれば、穴をふさぐことに成功したとわかる。

より一般的な解決策は、特に大学入試といった社会的重要な関門では、いっそうの透明性を求めることだ。アメリカでは、この過程にまだ多くの不正の臭いがする。たとえば裏口入学だ。公式な説明は「親の財産子供には何の関係もないので、親の財産はほとんど重視しない。受験生の実力で選別し、親の財産は境界線上の受験生の合否を決めることにしか使わない」というものだ。だがこれは大学が境界線の太さを調整することで、親の財産を好きなだけ重視できるということだ。

学歴における不正を切り崩してゆけば、徐々に隙のないものができるかもしれない。しかしなんと長い闘いになるだろうか。特に試験を管理する団体が、本当は試験が完全であって欲しくないと望んでいるようなときは。




幸いなことに、何世代もの権力の直接的な相続を防ぐ、より良い方法がある。学歴のハックを難しくするのではなく、私たちが学歴をそれほど重視しなくなればよいのだ。

学歴について考えよう。学歴意味は、その人の業績を予測することだ。本当に業績を測定できるなら、そんなものは必要なくなるだろう。

じゃあなぜ学歴はいまだに幅をきかせているのだろう? なぜ私たちは単純に業績を測定しないのだろう? 学歴偏重が最初に現れたのは、大きな組織受験生を選ぶときだったことを思い出そう。個人の業績は大きな組織では測定しにくく、そして業績が測定しにくいほど予測重要となる。組織新人の業績をすばやく安価に測定できるなら、学歴を調べる必要はなくなる。全員を採用しておき、業績の多い人だけを残せばいい。

大きな組織ではこれができない。だが市場原理下の多数の小さな組織では、これに近いことができる。市場はさまざまな組織から、まさしく良いものだけを残す。組織が小さくなるほど「全員を採用し、能力のあるものだけを残す」に近づく。だから他の諸条件が等しいなら、より多数のより小さい組織から成る社会では、学歴はあまり問題とされなくなるだろう。




それがアメリカで起きていることだ。だから韓国の引用記事はたいへん時代遅れに見える。彼らは数十年間前のアメリカのような、数社の大企業によって支配された経済について語っている。そのような環境下にいる野心ある人の出世街道は、大きな組織の1つに属して、そのトップに上りつめることだ。そこでは学歴が大いに重要となる。大きな組織の文化では、エリート家系であると本当に自分エリートになれる。

これは小さな企業ではうまくいかない。同僚があなたの学歴に感心したところで、業績が伴っていないなら、企業倒産社員は散り散りになるため、すぐにそんな同僚はいなくなる。

小さな企業社会では業績だけが問題となる。ベンチャーが人を雇うときは、大卒かどうかとか、ましてや、出身大学名など気にしない。気にすることはただ1つ、あなたに何ができるかだ。本当は大きな組織であっても、それだけを重視すべきなのだ。学歴に威力がある理由は、社会において長い間、大きな組織が最も強力であることが多かったからだ。だがアメリカでは、まさに個々人の業績(その結果としての報酬)を測定できないために、大きな組織は少なくともかつては持っていたような独占的な力を持っていない。市場から直接、報酬を得ることができるのに、どうして出世階段を昇るのに20年を費やさなくちゃいけないの?

大半の人と比べたら、私が目にしているのはその変化の極端なバージョンだということは、わかっている。私は初期段階のベンチャー投資する企業パートナーであり、古い学歴社会から新しい実力社会へと人々を押し出すスカイダイビングのインストラクターのようなものだ。私はその変化を推進している。だが私は学歴社会の終焉が夢想だとは思わない。野心ある人が、直接、市場に判断してもらうことを選ぶことは、25年前にはそれほど簡単ではなかった。上司を通じて評価される必要があり、そして上司はどの大学に通っていたかを重視した。




どうして小さな組織がアメリカで成功できるようになったのだろう? まだ私にははっきりとはわからない。だが確かにベンチャーはアメリカで小さな組織が成功できるようになった理由の大部分だ。小さな組織は大きな組織よりも、素早く新しいアイデアを生みだすことができる。そして新しいアイデアはますます貴重となっている。

だが私は、学歴社会から実力社会への移行をベンチャーだけで説明できるとは思わない。私の友人、ジュリアン・ウェーバーは、1950年代にニューヨークの法律事務所で働いていたとき、会社で貰えた賃金現在会社賃金よりはるかに少なかったと言った。そして法律事務所は、社員がした仕事価値に応じて支払うフリすら、ぜんぜんしていなかった。賃金年功序列だった。若い社員は下積みの仕事経験した。報酬は年をとってから与えられることになっていた。

メーカーでも原則は同じだった。私の父が1970年代にウェスチングハウス社で働いていたとき、父より長く勤めているという理由で父より稼いでいる部下を抱えていた。

現在企業はますます社員がする仕事に見合った賃金を支払わざるを得なくなっている。1つの理由は社員が、会社が後で報いてくれると信じなくなったからだ。なぜ倒産や買収で反故にされる可能性があるのに、会社に暗黙の貯金をするべく働く必要がある? 別の理由は、企業の一部は慣習を破り、若い社員に大金を支払い始めたからだ。このことは特に、コンサルティング法律金融業に当てはまり、ヤッピーという社会現象すら生み出した。25歳で大金持ちになることは現在では珍しいことではないので、ヤッピーという言葉はめったに使われなくなっているが、1985年の時点では新しいBMWを購入できる有能な25歳の専門家は非常に目新しかったので、彼らを示す新しい言葉が生まれた。

典型的ヤッピーは小さな組織で働いた。彼はGeneral Widgetで働くのではなく、General Widgetの買収をする法律事務所かそれらの起債を募集する投資銀行で働いた。

ベンチャーヤッピーは、おおむね1970年代後半と1980年代前半に、ほぼ同時期に、アメリカの概念的なボキャブラリーに組み込まれた。それらに因果関係があったとは思わない。 技術大企業の手に負えないくらい変化が速くなったためにベンチャーは始まった。私は、ベンチャーの勃興がヤッピーの地位向上につながったとは思わない。それよりは大企業で作用するような、社会的な慣習(そして恐らく法律)の変化によって代わったようだ。しかし、この2つの現象が急速に融合して、「意欲的な若者市場価格賃金を支払って、見合っただけの成果を引き出す」という、今では当たり前に思える原則が生まれた。

ほぼ同じころ、アメリカの経済は1970年代の大部分を占めた停滞状態から急上昇した。因果関係があったのだろうか? それについて言えるほど私は詳しくはないが、当時はそんな雰囲気があった。開放された多くのエネルギーがあった。




競争力を心配する国は、自国のベンチャーの数を気にするが、それよりも潜在的な報酬基準をチェックした方が良い。ばりばり働く若者に、市場賃金レートに見合った報酬を働いた分だけ支払っているか、ということを。成果に応じた報酬でなければ例外なく年功に応じた報酬になるので、若者への待遇リトマス試験紙となる。

「業績に応じて支払う」という方式が、社会経済を変えるきっかけの1つになる。成果主義は熱のようにじわじわ広がっていく。社会のある部分で成果主義がうまくいけば、それを採用していない部分へもよい影響をもたらすものだ。若くても賢く、やる気満々の人々が、既存の会社で働くよりも自分会社を始めたほうがより儲かるような社会になれば、既存の会社は彼らを引き止めるためにもっと支払わざるを得なくなる。だから市場賃金レートは、しだいにあらゆる組織に浸透していく。そう、行政機関にさえ。[3]

成果主義が広がれば、学歴発行機関さえも、自らの実績を評価してもらう為の行列に並ぶことになるだろう。子供のころ私は、妹がやろうとしていることを予測し、先回りしてそれを命令してはイラつかせるイタズラをしたものだ。学歴主義が成果主義に取って代わられれば、これまで学歴認定をやっていた連中は最低限このいたずらと似たようなことをしてみせなければならなくなる。学歴認定機関の予言ビジネスはもはや予言自体が結果をもたらすものではなくなったのだから、彼らはもっと努力して未来予測できるようになる必要がある。




学歴賄賂コネよりマシだ。だがそれは完成形ではない。世代間の権力継承を防ぐさらに良い方法がある。より多く、より小さな単位で構成された経済になる風潮を奨励することだ。そうすれば学歴では予測しかできなかったものを簡単に測定できるようになる。

右翼左翼を問わず、権力世襲は誰も好まない。だが左翼が推進した学歴に基づく方法より、右翼が推進した市場の力のほうが、権力世襲を防ぐより良い方法だとわかった。

大きな組織の力が20世紀後半に最大限に達したとき、学歴時代の衰退が始まった。私たちは今、測定に基づいた新しい時代突入したようだ。新しいモデルがそんなに急速に進んだ理由は、あまりにもうまくいくからだ。減速の兆しはまったく見られない。


注釈

[1] 宮崎市定「科挙―中国の試験地獄中公新書、1963。

古代エジプトの書記も試験を受けた。しかしそれらは、見習い全員が合格すべき技能試験のようなものだった。

[2] 予備校存在理由は、より良い大学子供やることだと言うとき、私は最も狭い意味でそう言っている。私は、予備校はそれしかしていないと言っているのではなく、予備校大学入試にまったく影響を与えないのなら、予備校の需要ははるかに減るだろうと言っている。

[3] だが累進課税は、実力のある/なしの差を減らすことでこの効果を殺ぐだろう。

この原稿を読んでくれたトレバー・ブラックウェル、ジェシカリビングストン、デヴィッド・スロー感謝する。

ttamottamo 2008/12/18 22:36 いくつか提案があります。括弧に書きました。

What cram schools are, in effect, is leaks in a seal. The use of credentials was an attempt to seal off the direct transmission of power between generations, and cram schools represent that power finding holes in the seal. Cram schools turn wealth in one generation into credentials in the next.
塾というのは事実上、フタにあいた穴である。(←現在形)
学歴社会の目的は権力の直接(←この単語はあとで繰り返される重要単語なので、「自動」にしないほうがよさそう)譲渡を封じこめることにあり、
塾はその封に穴がないか探す、権力側の象徴だ。
ある世代の財産を学力として次の世代へ譲渡するのだから。(←現在形)

lionfanlionfan 2008/12/18 22:51 ttamo様、さっそくありがとうございます!! 修正いたします。

ttamottamo 2008/12/18 22:54 History suggests that, all other things being equal, a society prospers in proportion to its ability to prevent parents from influencing their children's success directly. It's a fine thing for parents to help their children indirectly?for example, by helping them to become smarter or more disciplined, which then makes them more successful. The problem comes when parents use direct methods: when they are able to use their own wealth or power as a substitute for their children's qualities.
歴史によれば、他の条件が等しい限り、親が子供の成功を直接左右(←「直接」という言葉が目立つようにしたい)できないようにした社会ほど繁栄する。間接的に支援するのは良いことだ。(←「間接」を目立たせたい)たとえばもっと賢く、もっと行儀よくなるよう助けることで、もっと成功しやすくするといったように。(←比較級の連続を意識させたいかも)問題は(←これを主語にしたままのほうが対比されてて良さそう)直接的な方法、つまり財産や権力を子供の能力の代用にしてしまえることだ。

lionfanlionfan 2008/12/18 23:03 ttamo様、名訳ありがとうございます。修正いたしました。

ttamottamo 2008/12/18 23:10 「明らかな解決策は、卒業証書をより良いものにすることだ」
→「すぐに思いつく解決策は、学歴の仕組みを改善することだ」とかでしょうか。
(ここだけ「卒業証書」にするのは違和感がありますし、「社会」をより良くすることについて言っているわけですから。)

「卒業証書の乱用を少しずつ減らせば、いっそう完全な試験となるだろう。しかしそうなるまでに、どれほど時間がかかるだろう?」
→「学歴における不正(「卒業証書の乱用」だと学歴サギみたいです)を切り崩してゆけば、徐々に隙のないもの(themは試験ではなく、学歴システムのことでは?)ができるかもしれない。しかしなんと長い闘いになるだろうか。(疑問文ではなく、感嘆文)」

lionfanlionfan 2008/12/18 23:15 ttamo様、たびたびありがとうございます。修正いたしました。
なお http://q.hatena.ne.jp/1229593203 で修正を募集しておりますので、そちらにお答え頂ければポイントを差し上げることができます。いかがでしょう?

ttamottamo 2008/12/18 23:24 あああ、そんな簡単に丸呑みしては危険ですよ……。たいして考えてませんから。
ポイントをいただくような出来ではないので、コメント欄で十分です。

If an organization could immediately and cheaply measure the performance of recruits, they wouldn't need to examine their credentials. They could take everyone and keep just the good ones.
(これは特に自信がないのですが、最後の一文に even とかが入っているわけではないので、「残すこともできる」じゃなくて「残せばいい」とかかなぁ、と思いました。)

ttamottamo 2008/12/18 23:39 he had people working for him who made more than he did, because they'd been there longer.
父より長く勤めているというだけで父より稼いでいる人たちがいた。(working for him は「彼の同僚」というだけの意味で、make more は儲けのことで、they'd は they hadの過去完了だと思います)

lionfanlionfan 2008/12/18 23:44 ttamo様、たびたびありがとうございます。修正いたしました。
こちらは、Wikiのようにみんなでよってたかって修正することを期待しておりますので、けっこう丸飲みでなおします。

ttamottamo 2008/12/19 00:13 The measurement of performance will tend to push even the organizations issuing credentials into line. When we were kids I used to annoy my sister by ordering her to do things I knew she was about to do anyway. As credentials are superseded by performance, a similar role is the best former gatekeepers can hope for.
(これは難しい……。自信ありません)
実力の測定は、学歴の発行組織をさえ巻きこもうとしている。(←push into line は「同調させる」かな? だから line はその組織自体も実力を測定されるという「流れ」なのではないかと思いました。……って何言ってるかわからないな)
子供のころ私は、妹がやろうと思っていることを命令するというイタズラをしたものだ。(←直訳すると「彼女がいずれにせよやるつもりであると私が知っていることを[あえて先回りして]命令することで嫌がらせた」わけです。つまり、「お前は次に紅茶を飲む」「べ、べつにお兄ちゃんが言うから飲むんじゃないんだからねっ」というような self-fulfilling なイタズラ)
学歴が実力に取って代わられれば、「似たような仕事」こそ元門番が望みうる最善の仕事である。(←??)

(self-fulfilling はつまり、「この人はデキるやつなので学歴を発行しました」と言えば勝手に出世する、つまりデキるやつになるということですよね)

ttamottamo 2008/12/19 00:21 以上です。とても面白い文章を日本語で読むことができ、感謝しています。
教育に関する見方がかわりました。「FizzBuzz もできないプログラマ」の話題とも関連しますが、「実力本位」の意味がやっとわかった気がします。

なお、私が書いたのはぜんぶ「提案」(あるいはそれ以下)であって修正ではありません。
さいごのほうとかは、とくにグダグダです。みなさん改善をよろしくお願いします。

lionfanlionfan 2008/12/19 00:34 ttamo様、今回はたくさんの提案ありがとうございます!!
最後の方は、実は自分もよくわからなかったのでした。
「妹がやろうと思っていることを命令するというイタズラ」の部分は、
かなりじっくり考えたのですが、みごと大外ししてしまいました。
お恥ずかしいです。

さかいさかい 2008/12/19 02:50 はじめまして。
大変興味深い記事のご紹介、ありがとうございます。現実逃避に格好の口実を見つけてしまいました。ほんのさわりだけですが、私にも参加させてください。

A few months ago I read a New York Times article on South Korean cram schools that said
Admission to the right university can make or break an ambitious young South Korean.
A parent added:
"In our country, college entrance exams determine 70 to 80 percent of a person's future."
It was striking how old fashioned this sounded. And yet when I was in high school it wouldn't have seemed too far off as a description of the US. Which means things must have been changing here.

数カ月前、私は韓国の予備校事情を紹介するニューヨーク・タイムズの記事を読んだ。そこにはこう書かれていた。
「良い大学に入れるかどうかで、韓国の若者の野心が生まれるどうかが決まる」
ある親はさらに「我が国では、大学入試で人生の7〜8割が決まる」と言葉を重ねていた。
それが、あまりに時代遅れに聞こえたので私は驚いた。とはいえ、まだ私が高校生だった頃のアメリカの描写としては、おおむね違ってはいないだろう。ということは、そこには多くの変化があったにちがいないということだ。


現代のアメリカ人の生活では、25年前のように、その人の実力より学歴を重視することはない。学歴はまだ重要だが、昔ほどではない。
The course of people's lives in the US now seems to be determined less by credentials and more by performance than it was 25 years ago. Where you go to college still matters, but not like it used to.

現代アメリカでは、25年前と比べ、学歴の重要性は下がり、実力をより重視するようになっている。どの大学に行くかということはいまだ重要だが、昔ほどではない。

(以下、コメントです)
ニューヨーク・タイムズの記事はこれですね
A Taste of Failure Fuels an Appetite for Success at South Korea’s Cram Schools - NYTimes.com
http://www.nytimes.com/2008/08/13/world/asia/13cram.html
予備校の話題であったことを明記することで、導入がよりスムーズになると考えました。後段の比較級のセンテンスは、25年前との比較であって、学歴と実力とで比較したものではないと考えます。それ以外の表現は、私の好みで、このような表現はどうでしょうという提案として受け取っていただければありがたいです。

まだ時間が許すようであれば、じっくりと参加させていただきたいと思います。いつも知的な刺激の提供をありがとうございます。

lionfanlionfan 2008/12/19 09:59 さかい様、すごく自然な翻訳ありがとうございます!! 読んでいてするっと頭に入ります。もしお時間があれば、ぜひまたコメントをお願いいたします。

さかいさかい 2008/12/19 14:21 私にこの話題に対する下地が弱いもので、文脈を読めていないかもしれませんが、コメントさせていただきます。

"performance"は一般的に「成果」や「業績」と訳されるのではないでしょうか。もしくは「能力」とされると、より馴染むような気が致しますがいかがでしょう。

さかいさかい 2008/12/19 14:47 たびたび失礼します、自己訂正です。「能力」はないですね。もしそういう意味ならabilityと表現されるでしょうから。

さかいさかい 2008/12/19 17:07 断片的な試案です、引き続き遊ばせて頂いております。
かなり思いきった意訳になっています。

Judging people by their academic credentials was in its time an advance. The practice seems to have begun in China, where starting in 587 candidates for the imperial civil service had to take an exam on classical literature. [1] It was also a test of wealth, because the knowledge it tested was so specialized that passing required years of expensive training. But though wealth was a necessary condition for passing, it was not a sufficient one. By the standards of the rest of the world in 587, the Chinese system was very enlightened. Europeans didn't introduce formal civil service exams till the nineteenth century, and even then they seem to have been influenced by the Chinese example.
学歴で人を判断するのは、かつては先進的なことだった。この習慣は、西暦587年、中国皇帝に仕える官僚候補者に古典の試験を課したことに始まるようだが [1]、これは同時に財力のテストでもあった。というのも、試験に必要な知識は非常に専門的で、合格するには何年もの費用のかさむ訓練が求められたからだ。だが財力は合格の必要条件ではあっても、十分条件ではなかった。587年当時の世界標準からすれば、中国のこの登用システムは非常に進歩的だった。ヨーロッパは19世紀になってようやく官庁試験を正式に導入したが、それでさえ中国の先例に影響されていたようだ。

Before credentials, government positions were obtained mainly by family influence, if not outright bribery. It was a great step forward to judge people by their performance on a test. But by no means a perfect solution. When you judge people that way, you tend to get cram schools―which they did in Ming China and nineteenth century England just as much as in present day South Korea.
学歴社会以前は、政治的な地位は主に家柄によって獲得されていた。もしそうでないケースがあったならば、それは露骨な賄賂によって手に入れたものであった。これが、試験の成績で人を評価するようになったのだから、実にすばらしい前進だ。しかし完璧な解答などないものだ。試験の成績で人々を評価すれば、ちょうど今日の韓国同様、明の時代の中国や19世紀のイギリスにおいて彼らが行ったように、塾という仕組みが成立するのも至極当然のことである。

What cram schools are, in effect, is leaks in a seal. The use of credentials was an attempt to seal off the direct transmission of power between generations, and cram schools represent that power finding holes in the seal. Cram schools turn wealth in one generation into credentials in the next.
塾というのは事実上、容器にあいた穴だ。学歴評価を取り入れたのは、(家柄等による)次世代への権力の単純譲渡を封じるためであり、塾(の存在)が象徴するのは、権力者がその塞がれた容れ物に抜け穴を見つけているということだ。すなわち塾とは、ある世代の財産を引き継ぐ者として次世代の学歴に変換させる仕組みなのだ。

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The measurement of performance will tend to push even the organizations issuing credentials into line. When we were kids I used to annoy my sister by ordering her to do things I knew she was about to do anyway. As credentials are superseded by performance, a similar role is the best former gatekeepers can hope for. Once credential granting institutions are no longer in the self-fullfilling prophecy business, they'll have to work harder to predict the future.
成果主義は、学歴の保証機関さえ巻きこもうとしている。子供のころ私は、妹がちょうどこれからやろうと思っていたことを、先回りして命令するというイタズラをしたものだ。学歴主義が成果主義に取って代わられれば、「似たような仕事」こそ、かつて学歴主義の門番であった組織が望みうる最善の役割だ。その保証が成果そのものを予言するビジネスとしてもはや成り立たないのならば、彼らには未来を予測するために、より一層の努力が必要とされるだろう。

(「似たような仕事」=「妹へのイタズラ」=「『彼はきっと立派な業績をあげるだろうと我々には分かっていました(by佐藤藍子)』と先取りして学歴の証明を与えること」こそ、かつて学歴社会における門番であった大学が、成果主義の中で生き残る為に残された唯一の道ということ、と捉えました。授与される側にとってみれば、成果をあげねばならないというプレッシャーにもなるという二重の意味で)

どうも読むほどに捉えきれなくなってきます。原文の趣旨がどうも腑に落ちず、論理展開にどこか飛躍があるような気がして。
また、アメリカの大学入学システムは、入試や受験という概念とマッチしない部分がありまして、その辺りの用語でもいざきちんと訳すとなると言葉が見つからずに困惑しますね。

externalityexternality 2008/12/19 17:37 はじめてコメントさせていただきます。
取り急ぎのため乱文であり申し訳ございません。


次のパラグラフの大意は次のようなものではないかと思います。

>The measurement of performance will tend to push even the organizations issuing credentials into line.


学歴を保証する大学自身も、そのパォーマンスによって評価されようとしている。
子供の頃、妹がやろうとしていることを先回りして命令するという遊びを私はやった。
人材を評価する指標としてパフォーマンスが学歴にとってかわりつつある現在、
大学は先回りして「学歴よりパフォーマンスのほうが重要である」ということを社会に宣
言(命令)すべきである。
このような私が妹にやったのと似ている役割こそ大学が果たさねばならないのである。
大学は人物に保証書を与え、与えられた人物が社会で成果を挙げることによって
「この卒業証書を持っている人物は有能である」という自らの予言(予測)の妥当性を示すとい

「予言の自己実現的」な産業として社会で機能してきた。
それができなくなったのであれば、大学は学生の有能さを予測するためにもっと努力しな
ければならないだろう。


---


一年ほど前に、「法と経済学」のポズナーが学歴保証機関としての大学の役割を自身のブ
ログで分析し、少し話題になったことがあります。おそらくそれと同様の問題意識をこの
著者も持っているのではないかと思います。

shiroshiro 2008/12/19 20:49 既に指摘されているもの以外でいくつか提案です。

"History suggests..." 一度修正が入っていますが、"suggest" は断定よりちょっとだけ弱い感じなので、「歴史によれば…繁栄するようだ」みたいに弱める手はあります。ただ全体の流れで不要と判断されれば今のままでも良いかと。

"What made it possible ..." のパラグラフの2文目、"I'm still not entirely sure." は「確信したわけではない」よりは「はっきりとはわからない」くらいかと。3文目、part of itのitは what made it possible... の疑問文の答えだと思います。part of the reasonと取って良いかと。「成功する小さな組織の大部分だ」とするには数も合いませんし、流れ的に無理があるかと思いました (次のパラグラフへの展開から考えて)。

"But I don't think startups..." のパラグラフ、2文目、"far less than firms do today" の do は直前の節の動詞、つまりpayです。現在の賃金と過去の賃金を比べています。

"The same principle..." のパラグラフ、"work for him" について修正が入っているようですが、私の感覚では何のコンテキストも無しに "I work for him" と言ったら「私は彼の部下」ということになると思います。同僚という意味になることもあるのかなあ?

"Countries worried about..." のパラグラフ、2文目のtheyはcountriesだと思います (「自国のベンチャーの数」を主語に持ってくるとおかしい)

"The measurement of performance... " の項の、"I used to annoy my sister..." の文。この文自体に「イタズラをした」というはっきりしたニュアンスは無いと思います。イタズラ心からではなく、単なる老婆心から「あれも忘れないでね」「これもしておきなさい」などと言っていた場合でも同じ表現でいけるからです (annoyは主語が煩わせる意図を持っていたかどうかは問題にしません)。どちらとも判断する決め手は無いのでPaulに真意を聞いてみないと決着はつかないかもしれませんが、私は素直に読むなら「子供の頃、私はよく妹がいずれやろうと思っていたことを先回りして命令したせいでうるさがられていたものだ」というふうに「イタズラ心」を含めない方が中立的かなと感じます。コンテキストに特別な解釈を示唆するものが見当たらないのと、次の文との意味的なつながりから。

同パラグラフ、3文目、"a similar role" というのは前文を受けて「人がどっちにせよやろうと思っていることをいちいち思い起こさせてうるさがられる役割」ですね。

いくつかのパラグラフにまたがって、"leak in the seal" "airtight" "plug the hole" と言った語がちりばめられていますが、これから連想されるのは、漏れのある容器です。"seal" には「封」の意味もありますが、日常生活で一番良く使う用法は「漏れをふさぐもの」「密閉に使うもの」といった意味です。日本語でずばり対応する言葉が思いつかないんですが、具体的には水道管の継目のパッキングであるとか、タイルのひびを覆うシリコンであったりとか、あるいはジップロックの「口」だったりしますが、そういうものを総称してsealと呼びます。なので、もし可能なら「液体のつまったシステムがあって、あちこちの継目や穴からピューピュー液体が漏れてるのをぺたぺたふさいでいる様子」が比喩になる感じの訳語が選択できるとベターじゃないでしょうか。かなり面倒ではありますが、それができるといくつかのパラグラフを貫く統一的なイメージが作れると思います。

(もしそのイメージを全体の基調に据えると、"transmission of power" というのが油圧装置で力が伝搬してゆくイメージに結びつけられるかもしれないと思いましたが、解釈しすぎかもしれません)

最後のひとつ前のパラグラフ、"the left" と "the right" について。私は政治について良く知らないのではっきり言えないのですが、少なくとも「右翼」「左翼」という訳語は国によって意味づけが違ってくるのでうまくないかなと思いました。例えばWikipediaのleft wingの項では "Today, in most of Europe, the Left refers to socialist parties, while in the United States, the Left usually refers to modern liberalism." とあります。日本語の「左翼」はマルキシズムの連想が強く働きますが、USではそういう感じはあまりしないと思います。福祉重視とか大きな政府とかそんな感じじゃないでしょうか。一方the rightの方も、wikipediaのright wingのUnited Statesの項にいくつか上がっていますが、Paulがここで念頭に置いているのはSmall government conservatism/Libertarian conservatism じゃないかなあという気がします。小さな政府、市場原理重視、って感じ。でも自信ありません。単純にleft=Republican, right=Democraticでいいのかな、というとそうとも限らないようにも思えますし… 詳しい人が降臨してくれると良いのですが、そうでなければPaul本人か、ネイティブの集まるフォーラム (Hacker Newsのこのエッセイのスレッドとか) でこれらの語が指す具体的なものが何かについて聞いてみるという手はあるかもしれません。

注釈1の2文目、意味が逆転しています ("more the type"を"more than [a] type"と空目した?) 「見習い全員が合格すべき技能試験のようなものだった」

shiroshiro 2008/12/19 20:52 うわ間違えた。「単純にleft=Democratic, right=Republicanで…」を意図してました。

lionfanlionfan 2008/12/19 23:47 さかい様、externality様、shiro様、ありがとうございます!!
externality様の部分以外は修正いたしました。
externality様のご指摘は、すこし訳文を練らさせてください。
いま福島県にいます。
明日が研究会で、現在、すごく遅い回線+マウスなし、という最悪の環境ですので、
大きな修正は月曜日にさせてください。すみません。

おもしろいですねおもしろいですね 2008/12/20 01:53 とてもおもしろいものですね。ただ、いくつか、批判的な疑問があります。すべて、根拠はありません。参考までに。

1)「After Credentials」を「学歴社会の次に来るもの」と訳すこと自体が「誤訳」のような気がします。(ごめんなさい。)
アメリカ社会で重視されているのは「どの大学を出たか」ではなく「どの大学教授に推薦状をもらったか」ではないかと思うのです。Credentialは推薦状ですね。これは似ていますが違います。アメリカではハーバードなどの教授の推薦状をもらった人たちが大組織の上部にいて有力派閥をつくり、次に来る人たちを優遇するわけです。著者の「旧アメリカ社会」への批判は、「旧アメリカ社会はコネ社会であり、大学は、そのコネを隠すための機関だ」ということではないでしょうか(ところどころ、焦点がぼやけますが)。アメリカの有名大学は、基本的に私立大学で、そこには「極めて優秀な人」と「あまり優秀ではないけれど大変なお金持ちの子供」が入るのです。韓国のことは知りませんが、日本の場合、有名大学は、国立大学であり、「お金持ちの師弟」が優遇されることはありえません。また、私立大学でも、あまりないのではないかと思います。また、日本でも、大学教授の推薦状が聞いて就職できることはあるかもしれませんが、それが、いつまでもコネとして生きることは少ないと思います。(コネなら、むしろ、親のコネですよね。笑)つまり、アメリカより、日本の学歴の方が、ずっと公正なのです。この点を見落とすと、アメリカ人と日本人で、お互い、「学歴社会嫌だねー」と言いながら、実は、異なるものを見ていることになるかもしれません。

2)著者は「短期的な成果による評価」を「もっとも妥当な評価」と考えているようです。
これは、実は、著者が批判している「旧アメリカ社会」でも同じです。同じ「アメリカDNA」なんですね。
このやり方で評価すると、「10年努力するとすごい成果を挙げるけれど入社したてでは何もできない人」の居場所はなくなります。もちろん、そういう考え方もあると思うのですが、「旧日本社会」では、そのような人を育てようとしてきたわけです。大器晩成というやつですね。年功序列には、いろいろとゴマカシもあるし、欠点もあるわけですが、「短期的な成果による評価」が、本当に正しいのかどうか、私には疑問です。学歴社会のほうがよい、というわけでもないのですが。

shiroshiro 2008/12/20 04:21 タイトルについては微妙なんですが、私には対案を思いつきませんでした。ただ、Paulの意図は彼のこれまでのエッセイ群との関連を考えるに、「おもしろいですね」さんの(1)項の指摘よりは広いものじゃないかと思います (e.g. http://www.paulgraham.com/colleges.html )。Paulの視点が現代アメリカ社会から逃れられないとしても、彼の意図は変化をより大きな歴史の流れに位置付けるところにあり、単なる「旧アメリカ社会vs新アメリカ社会」の話に限定することを敢えて避けているのだと思います。

それから、(2)項の指摘はしばしばPaulのエッセイに対して向けられるより広い誤解の一種だと思います。Paulのエッセイの対象は「直接能力を評価される環境で自由に仕事をやらせてもらえた時にとてつもないアウトプットが出せる一部の人々」なんですよ。で、そういう人々に自由にやらせたら、そうでない人も含めて社会全体が豊かになるだろう、というスタンスがあると思います (e.g. "Mind the Gap")。彼は旧来の大企業の存在を否定しているのではなくて(大企業の役割を述べた部分が他のエッセイにあったと思います)、ただ今後は経済の牽引役が大企業からスタートアップに移って行くと言っているにすぎません。従って「このやり方で評価すると、「10年努力するとすごい成果を挙げるけれど入社したてでは何もできない人」の居場所はなくなります」ということにはならないのだと思います。

sugitasugita 2008/12/20 16:21 はじめまして。

The measurement of performance will tend to push even the organizations issuing credentials into line. When we were kids I used to annoy my sister by ordering her to do things I knew she was about to do anyway. As credentials are superseded by performance, a similar role is the best former gatekeepers can hope for. Once credential granting institutions are no longer in the self-fullfilling prophecy business, they'll have to work harder to predict the future.
[成果主義での評価によって学歴認定機関さえもが適正に評価されるようになるだろう。子供の頃、私は妹がこれからやろうとしていることを察知し先回りして命令してみせるといういたずらをよくやった。学歴主義が成果主義に取って代わられれば、これまで学歴認定をやっていた連中は最低限このいたずらと似たようなことをしてみせなければならなくなる。学歴認定機関の予言ビジネスはもはや予言自体が結果をもたらすものではなくなったのだから、彼らはもっと努力して未来を予測できるようになる必要があるのだ。]

これまで認定機関は「(学業の)能力を認定する → その人は認定書の力で成功する」という楽チンな仕組みにあぐらをかいていたが、これからは「学業の能力」に重きを置かれなくなるので、認定稼業を続けたければ「成果を挙げる能力」を認定せざるを得なくなる。すると「この人物は将来成果を挙げるか?」という(ポールが子供の頃やったみたいな)未来予測をしなければならなくなる。
そんなストーリーではないかと思います。

shiroshiro 2008/12/20 19:10 おお、sugitaさんの解釈の方が筋が通ってますね。私のコメントの"annoy"の話は捨ててください。

lionfanlionfan 2008/12/20 22:15 externality様、おもしろいですね様、sugita様、shiro様、ありがとうございます。
さて、ようやく修正いたしました。

akameganeakamegane 2008/12/25 00:23 少し遅れたコメントかもしれません。以下、いくつかの代替案です。

legacy admission は、「裏口入学」とは違うのではないでしょうか? 「縁故による入学」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E5%85%A5%E5%AD%A6%E8%A9%A6%E9%A8%93

I realize I see a more exaggerated version of the change than most other people.
realize しているのは、変化ではなくて、私が極端なバージョンを見ているということ、ではないでしょうか。
「大半の人と比べたら、私が目にしているのはその変化の極端なバージョンだということは、わかっている。」
ではどうでしょうか。

he had people working for him who made more than he did, because they'd been there longer.
ttamo さんのコメントに同意。
「父より長く勤めているという理由で父より稼いでいる部下を抱えていた。」

This was particularly true in consulting, law, and finance, where it led to the phenomenon of yuppies.
「このことは特に、コンサルティングや法律、金融業に当てはまり、ヤッピーという社会現象すら生み出した。」


But the two phenomena rapidly fused to produce a principle that now seems obvious: paying energetic young people market rates, and getting correspondingly high performance from them.
しかし、この2つの現象が急速に融合して、「意欲的な若者に市場価格の賃金を支払って、見合っただけの成果を引き出す」という、今では当たり前に思える原則が生まれた。


The young are the test, because when people aren't rewarded according to performance, they're invariably rewarded according to seniority instead.
「成果に応じた報酬でなければ例外なく年功に応じた報酬になるので、若者(の待遇)が指標(リトマス試験紙)である。」

There's an even better way to block the transmission of power between generations
「世代間の権力の継承を防ぐさらに良い方法がある。」
between の後ろに複数形が来るのは、何世代もという意味ではなくて、単純に世代間の権力の継承だけを言っているのではないでしょうか?

lionfanlionfan 2008/12/25 09:53 akamegane様、「裏口入学」以外は修正いたしました。
(裏口入学については他の文章との関係もありますのでとりあえずこれで)

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