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日本の「歪曲教科書」、2種類登場する可能性も(上)

 2001年に「新しい歴史教科書をつくる会(以下、つくる会)」が執筆した扶桑社の歴史教科書は11年まで使われ続ける予定だが、自由社が発行する『新編 新しい歴史教科書-日本人の歴史教科書』に対する文部科学省の検定の合否が今月末に決まる見通しだ。

 この教科書が検定に合格した場合、2種類の「歪曲(わいきょく)された歴史教科書」が日本の教育現場に登場することになる。自由社は教科書と同じ内容とみられる通史形式の本と、「随想録」の形を取った本の2種類を、来月から書店で販売する予定だ。

 「新」という文言が2回も登場する、変わったタイトルの自由社版の教科書を執筆したのは、ほかでもない「つくる会」だ。8年前、問題の歴史教科書を執筆した団体が、扶桑社と決別した上で、別の教科書を出版しようというわけだ。この間、「つくる会」と扶桑社の間には果たして何があったのだろうか。

 「つくる会」は1997年1月、「旧日本軍の従軍慰安婦や南京大虐殺など、ありもしなかったことを教科書から削除すべきだ」という主張を掲げて結成された。そして「つくる会」が執筆した『新しい歴史教科書』は、産経新聞社の子会社である扶桑社から発売され、書店で70万部以上を売り上げた。

 だが、東アジア諸国の激しい反発を招いたこの教科書は、学校現場での採択率が0.039%にとどまるという屈辱を味わった。05年に再び教科書検定で合格した「つくる会」は、採択率を10%台にすることを目標に、活発なロビー活動を繰り広げたが、結局採択率は0.39%にとどまった。

 これを機に「つくる会」の内部分裂が始まった。06年2月、八木秀次会長が突然辞任した。この辞任の背景には西尾幹二名誉会長と藤岡信勝副会長(いずれも当時)がいたが、表向きの「更迭」の理由は、八木会長と宮崎正治事務局長が私的に中国へ旅行し、教科書に関する論争を繰り広げたことを、理事会の許可なく雑誌に掲載したというものだった。だが、根本的な理由としては、教科書の採択率が極端に低かったことに対する「責任論」があった。

 その後、西尾氏・藤岡氏のグループと、八木氏・宮崎氏のグループの確執が始まった。八木氏側は「藤岡氏は2001年まで共産党員だった」という説を流し、名誉棄損容疑で告発される事態となった。だが、状況は八木氏側に有利なものになった。極端に低い採択率で赤字に転落した扶桑社などのフジサンケイグループと、教科書の監修を務めた伊藤隆・元東京大教授が八木氏の側に付いたのだ。

兪碩在(ユ・ソクジェ)記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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