社 説

閉そくする政局/第三極を考えてみる時期だ

 追加経済対策のための2009年度補正予算案編成が大事なので「5、6月の衆院解散と言える状況ではない」というのが麻生太郎首相の現状認識だ。

 「こうなったら9月の衆院任期満了まで行けばいい」(森喜朗元首相)。西松建設の献金事件で揺れる民主党の足元を見透かすように、こんな空気が自民党内でじわりと広がってきた。

 西松と自民党側の関係も取りざたされているが、風当たりが強いのは小沢一郎代表の公設秘書が逮捕された民主党の方。

 こんな情勢判断もあるのだろうか。麻生首相は「解散政局」の主導権をようやく取り戻したと思っているのかもしれない。

 仮にそうだとしても、国民の支持率が極めて低い内閣の弱々しい政治主導に未曾有の国家的危機を突破していく力を期待する世論はそう多くはあるまい。

 今、解散・総選挙が行われれば、自民党と民主党の「負け比べ」にならざるを得ない。マイナスイメージの小さい側が勝者となり、圧倒的な支持の裏付けがなくても政権を担当できる。

 「政治はゲーム」などと言える余裕のない時代だ。国民の投票行動が政治の収縮に動員されかねないなら現局面は危うい。

 自民党への不満と政権取りを約束した民主党への不安が増殖している現状は、自民党的でも民主党的でもない政治の第三極の登場を求めることになろう。

 1996年に衆院に導入された小選挙区制は「二大政党が政策論争を通じて政権交代できる制度」という触れ込みだった。

 政策論争が活発化したとは言えないが、自民、民主両党の二大政党化は実現した。実現はしたのだが、二大政党化は小選挙区制という仕掛けを通して作られた「半人工的な政治状況」との見方がないわけではない。

 第三極待望論はこうした二大政党化に疑問を呈するものだ。

 第三極といっても、自民、民主両党より格段に所帯が小さい共産、社民、国民新の各党が単独で極になるには困難が伴う。

 党や派閥を超え政治の現状を変えたい勢力が集まったり、再編で生まれる新党と既成政党が政策的結合を重ねたりして第三極づくりを目指せないものか。

 第三極の政治勢力に求めたい一つは、眼前の不況に限らず、既に突入した人口減少社会に適応できる国の形を示すことだ。

 そのためには伝統的な政策手法や税財政政策などにおいて根本的な路線転換が必要になる。

 オバマ政権の誕生を機に米国の覇権主義に追随してきた外交路線を転換することが二つ目。

 そして三つ目は、西松献金事件のように「政治とカネ」にまつわる温床を完全に排除し、高い政治モラルを掲げることだ。

 戦後政治はGHQ(連合国軍総司令部)の関与があったとはいえ、軍国主義を除く多様な政治思想を認めてスタートした。その多様性は自民、社会両党の「55年体制」から自民、民主両党の二大政党化に収束し壁にぶつかった。

 政治の多様化が国民の政治参加の幅を広げて問題解決を目指すと言えるのなら、第三極づくりはその入り口にならないか。
2009年03月20日金曜日