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Fri, March 27, 2009 stanford2008の投稿

桜井淳所長から親しい友人のX先生への手紙 9-最も"根源的な学問"は何んでしょうか-

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X先生



ご子息が希望する都内の有名大学にみごと合格したとのこと、まことに慶賀すべきことです。親として、数多くある責任のうち、まだまだ、第一コーナーの目標でしょうが、ひとつの区切りができたことと思います。ご子息は、4月から東京暮らしになるのでしょうから、月1回の割合で帰ってくるとしても、これまでよりも寂しくなることでしょう。一生のうちで、大学生の時がいちばん自由に考えられ、あらゆる分野の本が読めて、吸収できますから、きっと大きく成長することでしょう。卒業して社会に出ても、競争と勉強の毎日で、一生、勉強になりますから、死ぬまで休めません。私は、もっと早く、大学から手を引けると思っていたのですが、新たな問題意識がつぎつぎを湧き上がり、それらを実現すべく、つぎつぎと学位論文をまとめ(理学、工学、社会学(まとめ中))、2004年から着手した東大大学院総合文化研究科での社会学の学位論文のまとめも最終段階に達し、いまは、打ち合わせのために、時々、駒場キャンパスに行く程度になりましたが、その代わり、4月から、本郷キャンパスの東大大学院人文社会系研究科の研究室にお世話になることになり、時々、通って、神学の分野で原著論文がまとめられるレベルに到達できるまで精進しなければなりません。最も"根源的な学問"は、ひとそれぞれでしょうが、私は、プラトンやヘーゲルやマルクスではなくて、聖書の歴史実証学や聖書解釈学に基づく神学と受け止めています。私は、高校1年生の時から英文の「新約聖書」を繰り返し、熟読吟味してきましたが、「旧約聖書」や仏教については、耳学問程度でしたから、実質的には、世の中の人達と同様に、何も知らないに等しく、まったくのゼロに近い状態からの出発でした。そのため、今年1月15日に、それまで長きにわたり構想していた最も"根源的な学問"を実現すべく、東大大学院人文社会系研究科の神学を専攻する先生に面会し、これまで神学について持っていた問題意識を中心に、質疑応答(本欄バックナンバー参照)する中で、意外と内容がよく分かり、自身が意外と適切な考え方を持っていたことに気づきましたが、その反面、部分的には、早急に内容を把握しなければならない分野と文献があることに気づき、徹夜に近い毎日でしたが、それでも2ヵ月かけて、これまで知らなかった分野、すなわち、ユダヤ教、ヒンドゥー教、儒教、仏教、イスラーム教の基礎的事項と経典(特に神学の場合には聖典)を読み、世界の民族宗教と世界宗教の現状と考察事項が分かるようになりました。比較宗教学の観点から、それらにかかわる全体的な知識を得なければなりませんが、研究の中心は、やはり、ヘブライ語の一次資料の解読による「旧約聖書」(聖書Bibbleの語源は"数冊の本"を意味するギシリャ語のビブリヤ)の歴史実証学と聖書解釈学に基礎においた研究になります。なお、参考までに記せば、「新約聖書」は、最初、ギリシャ語で書かれましたから、研究のためには、ギリシャ語の一次資料の解読に努めねばなりません。モーセの時代から約3300年経ったいまでも、「旧約聖書」の学問的中心をなすモーセによる「旧約聖書」の「出エジプト記」には、未解明な点が少なくありません。「新約聖書」の学問的中心をなす「福音書」も同様です。ヨハネ福音書のヨハネは、12使徒のいちばん弟子の元漁師のヨハネと考えられていますが、イエスに洗礼を与えた長老のヨハネという解釈もあり、前者の説が優位ですが、まだ、確実なことは言えない段階のようです(塚本虎二訳『新約聖書福音書』、岩波文庫、p.412(1963))。何が未解明で学問的な論点になっているかが分かれば、作業がしやすくなり、効率的なまとめができるようになるでしょう。東大大学院人文社会系研究科へのかかわりは、私の研究時間の一割くらいに留め、中心となる研究や作業は、これまでどおり、米国での講演・受託研究・共同研究、国内での講演・受託研究・共同研究・学術セミナー開催等になります。米東部大学(米トップ三大学のハーヴァード大とイェール大とプリンストン大は兄弟校であり、建学精神はキリスト教、校章はバイブルをデザインしたもので、いずれも大学院神学研究科が設置されています)との関係は、東大での神学の研究の延長から、必然的に、進展することでしょう。米国での2000年からの試行錯誤は、約10年にして、自身がなすべき教育・研究とビジネスの構造が確実に見えてきました。やはり10年が一区切りになります。



桜井淳

Thu, March 26, 2009 stanford2008の投稿

桜井淳所長から東大大学院人文社会系研究科のH先生への手紙 -神学研究の方法 24-

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H先生



具体的な研究への視点を記してみます。


【研究の方法論】

研究の方法論は、『ユダヤ教の精神構造』(本欄バックハンバー参照)から読み取れます。重要な留意点は詳細にメモしておきました(本欄バックハンバー参照)。もちろん大変難しいことですが、繰り返し熟読吟味し、強い意志と問題意識の中でその研究の方法論を換骨奪胎すれば、具体的な研究テーマを見つけることができると確信しました。


【いくつかの問題意識1】

「旧約聖書」(原典はヘブライ語で書かれた46冊からなる書)で最も重要な部分は、モーセ五書ですが、その中でも特に重要なのは、「出エジプト記」(関根正雄訳『出エジプト記』、岩波文庫、1969)と受け止めています。いっぽう、「新約聖書」(原典はギリシャ語で書かれた27冊からなる書)で最も重要な部分は、4名による4種の「福音書」(塚本虎二訳『新約聖書福音書』、岩波文庫、1963)と受け止めています。ユダヤ教徒の間では、聖書と言えば、「旧約聖書」だけですが、キリスト教徒の間では、「旧約聖書」と「新約聖書」を意味しており、その解釈をめぐり、いまでも議論されているようです(同上、p.392)。私もこの問題を考えたいと考えています。


【いくつかの問題意識2】

「新約聖書」のヨハネ福音書のヨハネは、12使徒のいちばん弟子の元漁師のヨハネと考えられていますが、イエスに洗礼を与えた長老のヨハネという解釈もあり、前者の説が優位ですが、まだ、確実なことは言えない段階のようです(塚本虎二訳『新約聖書福音書』、岩波文庫、p.412(1963))。ヨハネ福音書が流布されたのが紀元120-140年(同上、p.412)とされていますが、もし、書かれてすぐ流布されたとすれば、歴史的記録を吟味してみると、弟子の元漁師のヨハネの年齢は、少なくとも105-125歳となり、いっぽう、長老のヨハネの年齢も、誕生時期から推定するに、126-146歳となり、当時、それほど長生きできるとは思えず、両者とも年齢的な矛盾が生じてしまいます。しかし、死亡時期を記した歴史的記録を尊重して、書いた時期と流布した時期に40-60年のズレがあるとすれば、矛盾は解消します。私はこの疑問にこだわります。


【いくつかの問題意識3】

聖書の解釈は、自然科学の知識ではなく、高度な神学哲学を理解していないと、正しくできません。私は、物理学と社会科学の研究をしてきましたが、「旧約聖書」と「新約聖書」とも、聖書を物理学で解釈すると、いたるところで無理が生じ、受け入れがたいことが少なくありませんが、そこは物理学で解釈するのではなく、飛躍になりますが、神格化して無条件に受け入れなければならず、受け入れるところから、つぎの教えにつながって行くのです。私は、その意味で、歴史実証学と聖書解釈学の両者を尊重した学問を進めたいと考えています。強い問題意識を持って聖書を熟読吟味すると、矛盾が明確に浮き上がってくるため、研究テーマを定めることが、それほど難しいとは感じていません。


【いくつかの問題意識4】

歴史実証学と聖書解釈学から離れますが、聖書を生み出したユダヤ人の歴史を3700年遡って吟味してみましたが、世界第二次大戦中に発生したナチスドイツによるユダヤ人大虐殺(ホロコースト ; ユダヤ教の儀式に出される焼肉のことをこのように呼んでいます)については、明確な理由と原因が出てきませんでした。特に、大虐殺には、いくつもの矛盾点(利用された毒薬の即効性への疑問等)があって、何が真実か、また、よく分かっていない部分があるように受け止めています。これは現代史の問題ですが、検討に値すると受け止めています。


【いくつかの問題意識5】

歴史実証学と聖書解釈学から離れますが、聖書を生み出したユダヤ人が、パレスチナを占拠して1948年にイスラエルを建国し、それまでパレスチナに住んでいたパレスチナ人(ユダヤ人やアラブ人)をイスラエルの領土内の特定の自治区であるパレスチナ自治区(ヨルダン川西岸地区とガザ地区)に追いやったが、ユダヤ人の歴史を3700年遡って吟味してみましたが、過去に彼らがされたことをそのまま、パレスチナ人に報復しているように受け止められます。これは現代史の問題ですが、中東の政治と経済を含め、検討に値すると受け止めています。


【いくつかの問題意識6】

神の国がなぜ核を保有(イスラエル)しているのか(本欄バックナンバー参照)、また、これから保有(イラン、さらに、その兆候は、シリアにも表れています)しようとしているのか、これは現代史の問題ですが、世界の核拡散の問題まで含めて、検討に値すると受け止めています。


【いくつかの問題意識6】

比較宗教論の観点から、ユダヤ教、ヒンドゥー教、儒教、仏教、キリスト教、イスラーム教の基礎事項や経典は、ひととおり勉強しますが、必要最小限に留め、歴史実証学と聖書解釈学を基にした聖書哲学神学哲学の追究に徹したいと考えています。


桜井淳

Thu, March 26, 2009 stanford2008の投稿

【事務所報告】桜井淳所長の最近の講演内容-現代科学技術論シリーズ(1)地球環境悪化防止の政治学-

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Thu, March 26, 2009 stanford2008の投稿

桜井淳所長から親しい友人のX先生への手紙 8-未確認飛行物体の存在が信じられない最大の要因-

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X先生



唐突ですが、地球は大きく、太陽は比較にならないくらいさらに大きく、太陽を楕円の焦点として、多くの恒星や惑星や衛星からなる太陽系は、日常生活の感覚からすれば、考えられないような、あえて言えば、無限に近いくらい大きな体系と受け止めることができます。しかし、宇宙全体から見れば、太陽系など、ほんの点か、ちり程度の大きさにすぎず、宇宙には、無限数に近い恒星や惑星や衛星が存在しており、その中の地球だけに高度の思考力を有する生命体が存在し、高度の文明を構築したとなると、考えられないことの無限大に近い数の乗数の値分の一くらいの発生確率になり、自然の偶然による不思議さを感じます。だからこそ、地球以外にも、高度な思考力を有する生命体が存在し、地球以上に高度の文明が存在しても受け入れられないほどありえないことでもないように思えます。実は、この話は冗談ではなくて、真面目な話です。しかし、だからと言って、すぐに、世の中でおもしろおかしく論じられているような未確認飛行物体の話と結びつけられるのは、筋違いというものです。私が、世の中のその種の議論を受け容れられないのは、常識的な伝統的物理学にこだわっているためだけではなくて、情報の内容に原因があります。報告された情報の大部分は、地球上の人間の発想に基づくもので、たとえば、発見された生命体の大部分は、まさに、人間に近い形状をしており(頭があり、胴体があり、二本の手があり、二本の足があり、顔には、二つの目があり、鼻や口までありますから・・・・・・)、言語で話しかけてくる・・・・・・、そのようなことは、任意の惑星からの高度な思考力を持った生命体の一般的な存在ないし表現法とは限らず、あくまでも、人間によるところの地球の情報や価値に立脚しているとしか考えられません。どうして、ミミズのような形ではないのでしょうか、どうして、ムカゼのような形をしていないのでしょうか、人間に話しかけるのではなくて、音波を発するとか、もう少しバラエティに富んでいるように思えます。もはや、決定的に受け入れられないのは、 CNN.co.jpが3月23日に配信した、「1987年から1993年にかけて英国防省で記録された未確認飛行物体目撃証言約1200件」のうちに、「宇宙人に話しかけられた」という女性の報告です。その女性は、「英南東部ノリッジで1989年に、宇宙人と遭遇した。犬の散歩中、近所の運動場で飛行服姿の男性に声をかけられた。"北欧系"のなまりで、別の惑星から来たと話していた。女性は約10分間の会話で"すっかり恐ろしくなり"、あわてて帰宅した。その途中、木の向こう側から大きな光る物体が真上へ上っていくのが見えた」となっていますが、宇宙人が人間に分かるような言葉を話すわけがないでしょう、いわんや、その言葉が、"北欧系"の英語であるはずもありえませんが、みな、この種の情報であって、冗談の種にもならないものばかりです。物理学者は、地球が特別な存在とは考えておらず、地球以外にも地球以上の文明が存在してもありえないこととは思っておらず、ただ、もうすこし違った形の生命体であり、違った言語らしきものでの表現をするように想像しています。



桜井淳

Thu, March 26, 2009 stanford2008の投稿

桜井淳所長から親しい友人のX先生への手紙 7-四国在住の人が足摺岬と室戸岬を間違えるだろうか?-

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X先生



毎月、黙っていても郵送されてくる『日本原子力学会誌』を熟読しています。掲載内容から判断して、もはや学術誌には分類できず、原子力学会の"広報誌"に格下げになってしまっています。まことに残念です。それに、毎号のように間違いが見られます。原因は、おそらく、執筆者の知識不足と注意力のなさ、それに、編集委員のチェック能力のなさでしょう。私は、これまで数回ほど、編集委員会に、誤りを正すメールを送りましたが、最近は、あまりのレベルの低さに、注意しても何も改善されないことが分かったため、無視することにしています。まことに残念です。原子力の安全性とか温暖化対策における原子力の役割とか、表面的には、賢そうな議論をしていますが、実際には、間違い箇所の意味を検討してみると、執筆者が非常に基礎的なことを理解していないことが分かります。たとえば、温暖化ガスの二酸化炭素の濃度と排出量の区別ができていないとか・・・・・・。最近刊行された『日本原子力学会誌』(Vo.51,No.2,p.102(2009))には、「高知県東洋町前町長田嶋裕起氏を訪ねて」と題し、「東洋町は、高知市から足摺岬を経由し、四国の南海岸を徳島県とり県境まで約3時間半走ったところにある穏やかな町で、ポンカン(柑橘類)とサーフィンが有名らしい。車窓から見た町は、国道を挟んで美しい海岸と民家や畑に分かれていた。反対派や取材の報道陣がこの静かな町に入って来たと思うと、胸が詰まる思いがした」と記載されている箇所が有ります。書いた人は四国電力㈱松山支店の河田朱実氏(p.33)です。たとえば、水戸在住の私が東洋町の位置や周囲の地理的特徴を知らなくても、東洋町が高レベル廃棄物地下貯蔵所候補地の名乗りを上げるまで、まったくの無名の町であったため、他人から責められるようなこともないでしょうが、四国の愛媛県在住の河田氏がとなりの県の高知県の東端にある室戸岬と西端にある足摺岬を間違えるとなると(引用文中の足摺岬は間違いで、正しくは室戸岬)、うっかりや記憶違いでは済まされず、本当は、中学生でも知っている日本の基礎的な地図に記された地名さえ記憶していなかったことになり、それも、現地を訪れ、車窓から交通標識や地域案内の表示も目に入ったものと推察されますが、それにもかかわらず、間違えるとなると、・・・・・・、もう、救いようがありません。人間というのは本当に分からない生き物です。



桜井淳

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