誰の味方でもない人物のようだ。
しかし何故私達に対し批判を・・・今批判するべき相手が違うはずだ。
昔、随筆にコメントを投稿していただけであった頃は、私のことを言う人なんていなかったものだ。
レガートを呼んで随筆執筆するようになってから私達のことをとやかく言われるようになるとはな。

取り越し苦労のようだ。

2009/02/24(Tue) 23:11
コメント29。彼の随筆にやけに妙にコメントが多いので連中がまた妙な行動を起こしたのかと思い見てみたが取り越し苦労だったようだ。

しかしあの騒動が広範囲に知れ渡っているのは確か。関係のない人々がどれだけ巻き込まれているのだ?
迷惑千万とは気づかぬものか。

「批判」と「排除活動」

2009/02/21(Sat) 15:35
似て非なるものだ。
ザの人に「捨てハン」という者がいたがこの方はある随筆の記事でこのようなコピペを残していた。

捨てハン 2009/02/11(Wed) 14:51
彼ら「アンチ」「粘着」の行動は、飽くまで感情的に氣に入らない人間を問答無用で默らせる事が目的である。その言動は、一面、批判的な内容を含む事もあるが、根本的には惡意に基いた感情的なものである。

殊にインターネットは、言論の世界であるから、如何なる言葉の暴力も、言論の名の下に、「批判」の中に取り込まれる事になる。「アンチ」は、自身の行爲を單なる暴力と看做さず、妥當な言論活動であると看做してゐる。それは危險な勘違ひであるのだが、彼等にはそれが解らない。或は、解つてゐて、だからこそ、「信者」の發言を、根據を擧げて批判する事もある。だが、結論は最初に感情に基いて決定してゐるのであり、「信者を潰す」と云ふ目的の爲に彼らは證據なり何なりを擧げるに過ぎない。

「アンチ」「粘着」は、常に「信者を潰す」目的の爲に行動してゐる。それは彼等の中では「正義の行動」である。彼らは目的を遂げる爲、手段を擇ばない。彼等は自己中心的であり、自らの行動が明かな迷惑行爲であつても、責任を他者(「信者」)に押附ける事によつて、自らは免罪されると心から信じてゐる。

斯うしたネットワークにおける異常行動は、異常心理に基くと屡々評されるが、オフラインの、所謂「現實社會」においても、この種の惡意を剥き出しにした評論家の類が存在し、一定の支持を受けてゐる。さうした評論家諸氏にも、異常であると批判されるべき人がゐる訣だが、その執筆活動が「商賣になつてゐる」事から「正當である」と看做される事がある。

實際、ネットワークでの「アンチ」「粘着」の類にも、さうした現實に存在する惡意のライターの存在を、相當強く意識してゐる氣配がある。と言ふより、寧ろ、さうしたライターの活動を模倣して、同じやうにネットワークでも惡意の嫌がらせ行爲を行なつてゐると言つて良い。

しかしこの文章、書き方が妙なものであるな。
しかし、過剰な発言をする彼の元仲間なる人物。
あの程度ではまだまだ子供だな。

今日も彼は来なかったと。

2009/01/20(Tue) 20:45
私の発言を真似する人たちがいるらしい。
私がそれほど印象に残る発言をした覚えはないのだ。
彼に聞きたいことがあったのだがいないのなら仕方あるまい。
しかしチャットにいた2人は翔一氏を知っていたようだ。
あの2人は随筆持ちだろうか?
かつての関係者、翔一氏に悪い噂が流れている。
事実関係を確認しなくては!

私の知る人物

2008/12/31(Wed) 00:50
どうやら彼の仲間にスパイがいるらしい

今年ももう終わりか

2008/12/30(Tue) 23:44
この数年はひどい年ばかりだったようにも思える。
いや、現在進行形で悪化が進行しているのかもしれぬのだろう。

来年は大丈夫だろうか。

人の振り見て我が振り直せ

2008/12/30(Tue) 23:22
「人の忠告は無視ですか」と言う人間が逆にそれを言われると黙る

それを矛盾という。
例の連中はどうやら「彼」のイメージダウンを狙うつもりであの記事を書いたようだが、URLを載せていない時点で疑わなければならない。仮にそれが事実だとしよう。

>○○というヤツにだまされるな。実はとむやシブタク以上の女ったらしだった。
>オフ会で何度かあったけど、あの女たらしぶりは異常なほど気持ち悪かった。
>おまけにあまりにも常識はずれな行動にはマジ笑えない。

オフ会をしたという人間が書いているとすれば、おそらく内部犯の書き込みとなり、彼に実際に会った人間の中に書き込んだ人間がいるということになる。
そのような心理を起こさせるためにしくむ理由はひとつ。
連中は「彼」の関係者同士で仲間割れさせることが目的に違いない。
旧ザでは随筆というやつを作ることはなかった。
しかしこの新しい「ザの人」というやつでは登録しないとコメントできないと聞き、登録に至った。基本的に執筆は多くないだろう。
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