第189回 2004年6月11日
「長崎小6女児殺害事件に衝撃」「社会的規制は絶対必要」
「わいせつ、暴力的表現が野放し」「経済的規制とは違う」
長崎県佐世保市の小6女児同級生殺害事件は、テレビニュースで一報を知ったが本当に驚いた。

異常者が学校に侵入して犯罪に及ぶケースは時々あるが、今回は直前まで加害者と被害者が仲良しの友だち同士だったうえ、衝動的な犯行ではなく「殺してやる」と恨みに思って実行した点など、極めて特異だ。

小学生、それも女子児童が些細な理由で友だちを計画的に殺す。信じがたい恐ろしい事件であり、日本社会の病巣の深さを感じてしまう。

先日、ある方からこんな話を聞いた。

「日本では、テレビでも週刊誌でもインターネットでも、子供がわいせつ・暴力的な表現を見たり読んだり、アクセスするのは極めて自由放任になっている。むしろ大人の方が規制が厳しい」と。

僕はこれは全くおかしいと思う。善悪の判断のつかない子供のうちは規制をすべきであり、大人は自己責任で自由にすべきだ。

日常的にわいせつ・暴力的な表現を見聞きすることで、子供の感覚がマヒしている。少年犯罪の凶悪化、低年齢化は、多分に大人の責任だと言わざるを得ない。

僕は規制撤廃論者だが、これは基本的に「経済的規制」についてだ。わいせつ・暴力的な表現への子供の接触を防ぐ「社会的規制」は断固としてやるべきだ。

今回の事件で露呈した日本社会のモラル喪失は極めて深刻だ。これは敗戦直後から3代続いているといっていい。

戦前の教育を受けた人々が敗戦によって価値観を否定され、自信喪失に陥り、新しい価値観を考える時間もなく大人になった。それが3代も続いているのだから、これを立て直すには何十年もかかるだろう。

確かに、権力で抑えつければ一時的には良くなるだろうが、戦前、世界最高のモラル(軍律)を誇った日本帝国陸海軍が、敗戦と同時にただの烏合の衆と化した。その事実を見れば分かる通り、強制されたモラルは本物ではない。心の問題は、自分で考え判断してつかみ取るしかないのだ。

現在、最も問題といえるのは、こうした日本社会を揺るがす事件を目の当たりにしながら、日本人の多くが他人事のように感じ、問題解決のための根本的な議論がなされていないことだ。

上は小泉首相をはじめとして、一般の国民に至るまで日本中に利己主義が蔓延し、「日本はこれでいいのか?」と思い悩む人が少なくなっている。国民的議論を盛り上げるべきメディアも商業主義に走っている。これでは今後、さらに信じがたい事件が続発するのは間違いない。

今まさに、わが国は亡国への道を突き進んでいる。
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