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仁徳時代の『日本書紀』 にも登場した猪甘津

猪飼野と平野川・ここはむかし、百済郡だった

あんどうけいこ(2007-02-14 09:04)
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日が落ちた平野川 (撮影者:あんどうけいこ)
 大阪市生野区周辺はずいぶん昔から「いかいの」と呼ばれていました。『日本書紀』の仁徳天皇14年の条に「為橋於猪甘津即号其処日小橋也」と書かれています。「猪甘津」の読みは「いかいのつ」、「猪飼の津に橋を渡して小橋と名づけた」というのです。小野小町も 「忍ぶれど 人はそれぞと 御津の浦に 渡り初めにし ゐかひ津の橋 」 と歌っています。

 その昔、大阪湾は、姫島、都島、福島というようないくつかの島を縫うように生駒山の麓まで入りこんでいました。猪飼野は上町台地に続く平野で、津は港。朝鮮半島から猪、つまり豚と、その飼育に携わる人たちが上陸した港でもあったでしょう。

 1000数百年も続いてきた「猪飼野」という地名が、1973年の町名変更で、なくなりました。だけど地元では由緒ある名を惜しんで「猪飼野保存会」が生まれました。「猪飼野新橋」には、上記の『日本書紀』の一文が欄干に示されています。

猪飼野新橋の欄干には、音符のように「為橋於猪甘津即号其処日小橋也」の文字が飾られている。 (撮影者:あんどうけいこ)
 この橋が架かっている平野川は、かつての百済川と呼ばれていた川を、移動改修した川です。この工事のために、併合して間もなくの朝鮮半島からたくさんの人が渡って来ました。このあたり一帯、生野区、東成区、平野区などは、かつて百済郡でした。だから今でも、百済という地名がたくさん残っています。

 『日本書紀』の昔から、明治以降の近代まで、朝鮮半島と縁の深い川です。「日本国猪飼野何番地誰それ」と書けば郵便が届いたという笑い話があるくらい、猪飼野は有名な地名でもありました。

【解説】
為橋於猪甘津即号其処日小橋也:猪甘津に橋を為(わた)す。即ち、そのところを号(なづ)けて小橋(おばせ)という。

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