「核鑑識」技術で北朝鮮を抑止せよ(1)

ニューズウィーク日本版2009年3月26日(木)08:00
外貨に飢えた金正日がウサマ・ビンラディンに核兵器を売り渡す──そんな事態をくい止めるには、使用された核物質の出所を突き止める21世紀の抑止力を使うしかない
 
グレアム・アリソン(ハーバード大学教授)

北朝鮮は07年、核開発問題に関する交渉をアメリカと行う一方で、シリアに核開発の技術や設備、核物質を提供した。そのおかげでシリアは核兵器の製造につながる原子炉を建設できたとされる。

これが明らかになったとき、アメリカの外交官や核の専門家は金正日(キム・ジョンイル)総書記の背信行為に驚きを隠せなかった。その後イスラエルは、原子炉とみられていたシリアの施設を爆撃した。

北朝鮮は今もしたたかだ。4月4〜8日に「通信用の人工衛星」を打ち上げると予告した。長距離弾道ミサイルの発射実験を強行する構えだ。アメリカや日本、韓国は「国連安全保障理事会の制裁決議に反する」として打ち上げ中止を求めているが、6カ国協議が中断するなかで有効な対策を打ち出せずにいる。

北朝鮮は核弾頭を弾道ミサイルに搭載可能なほど小型化することにも成功したとみられ、緊張は高まっている。

金総書記は何をしようとしているのか? 米政府で安全保障政策にかかわる誰もがこの疑問を重大視している。ロバート・ゲーツ国防長官は最近、「テロリストが大量破壊兵器、とくに核兵器を手に入れる」ことを想像すると眠れなくなると語った。

ウサマ・ビンラディンがニューヨーク攻撃用の核兵器を北朝鮮から1000万ドルで買い、イスラエル攻撃のためにもう1発、2000万ドルで買ったとしたら……。こんな事態が起きないようにするためには、実効力のある対策で北朝鮮を封じ込めるしか道はないと、米政府当局は考えている。ぐずぐずしている暇はない。

核兵器がテロに使われる可能性は、ジョージ.W.ブッシュ前大統領が政権に就いたときより高くなっているのだろうか。超党派議員でつくる大量破壊兵器拡散・テロ防止委員会は今年2月、「アメリカの安全レベルは低下している」と警告した。

仮にニューヨークが核攻撃を受けた場合、核燃料が製造されたのが寧辺の原子炉と特定できれば、新しい有効な核抑止策となる。場合によってはウラン鉱石を採掘した鉱山まで特定することも必要だ。こうした「核鑑識」の概念の背景には、北朝鮮の政府高官に核拡散の代償が高くつくことをはっきり伝えるねらいがある。たとえば想定されるのは、北朝鮮の高官2人がビンラディンからの申し出のメリットを議論する場面だ。

一方を「タカ派」、もう一方を「臆病なタカ派」と名づけよう。金総書記の面前で議論はこんなふうに進む。「申し出を受けるべきです」とタカ派が言う。「親愛なる首領様のご指導の下、10発の核兵器を製造しました。そのうち2発を売っても8発は残ります。アメリカや韓国がわが国に侵攻したり、政権を転覆させたりするのを防ぐにはそれで十分です。それにわれわれには外貨が必要です」

この主張に臆病なタカ派は戦慄する。「もしアルカイダが核兵器をニューヨークの真ん中で爆発させ、50万人の犠牲者が出たら、アメリカは北朝鮮を地図から消し去ろうとするのではないか?」

タカ派は椅子の背にもたれて不敵な笑みを浮かべる。「アメリカには核兵器の出所はわかるまい。ビンラディンが潜伏しているパキスタンでも手に入る」

現状ではタカ派が優勢だろう。米当局としてはこの状態を逆転させたい。

核物質を製造した国に管理責任を負わせられれば、新たな「均衡」をつくり出すことができる。アメリカとソ連が対峙した冷戦下では報復攻撃の恐怖が核ミサイルの発射を防いだ。「相互確証破壊」と呼ばれるこの均衡によって何十年間も平和は維持された。この均衡の成立には核ミサイルの出所がはっきりしている必要があった。

闇市場で売買されるプルトニウムの製造元を特定するのはそれより困難だが不可能ではない。科学者がその手法を確立しつつある。

■核鑑識の実現にはデータベースが必要

核鑑識を行う際は被爆地の瓦礫や闇市場に出回る核燃料を分析し、核物質の経路を製造元まで追跡する。それは指紋から犯罪者を特定する作業に似ている。犯罪者の指紋を採取してデータベース化できるようになったのは20世紀になってから。核鑑識にも比較対象となるデータベースが必要だ。

現在、核兵器の原料となる物質は少なくとも40カ国が保有している。専門家は今、これら製造元のデータを集める作業を進めている。核爆弾の原料となるウランとプルトニウムに関しては、鉱石を採掘して、濃縮し、使用済み核燃料を再利用するまで、すべての過程で核物質がどこから来たかという痕跡が残る。

ウラン鉱石はウランのほかにアメリシウムやポロニウムといった物質で構成されている。これらの物質はそれぞれ異なった特徴をもつ。プルトニウムの同位体の構成も製造された原子炉によって違う。

核兵器の爆発後、核鑑識の担当者は瓦礫を集めて分析施設に送る。不純物や汚染物質も含めた物質固有の特徴を見つけ出し、製造元を突き止める。

核爆発を分析すれば核兵器の設計法を知る手がかりもつかめる。たとえばパキスタンの核科学者アブドル・カディル・カーンが売り渡した技術は詳細までわかっている。高濃縮ウランの周囲を爆発物で囲む際のカーンの手法は爆発後も手がかりを残す。

北朝鮮・寧辺の核開発施設も核鑑識の対象になりうる。北朝鮮は以前は核拡散防止条約の加盟国で、国際原子力機関(IAEA)の査察対象だったので、IAEAが膨大な比較サンプルをもっている。アメリカの情報機関もサンプルを入手しているかもしれない。こうしたサンプルは核鑑識を行うときに役立つだろう。

02年、全米調査評議会は9.11テロをきっかけに始めた研究で「核兵器使用後の属性鑑定の技術は現存するが、うまく統合する必要があり、それには数年かかる」と予想している。

アメリカ科学振興協会(AAAS)は08年、核鑑識の実現には解決すべき問題が多く、とくに核兵器が使用された際にすぐアクセスできる世界規模の核物質データベースがないと報告した。AAASによると、米エネルギー省にはウラン化合物のデータベースがあり、他の米政府機関や諸外国も相当量のデータをもっているが、「情報を統合して核鑑識に使用できるデータベースはない」という。

そうした統合データベースが存在しても、核兵器が使用された際に各国がそれを利用する態勢がまだ整っていない。AAASの報告書が指摘するとおり、政策決定者たちに迅速に正確な情報を提供するための装置や人材が今はまだ不足している。

核鑑識による抑止は想像以上に冷戦下の均衡に似ている。62年のキューバ危機で、アメリカはソ連が核弾頭ミサイルをキューバに持ち込もうとしていることを突き止めた。米安保当局は、ニキータ・フルシチョフ首相がキューバの最高指導者フィデル・カストロにミサイル管理の権限を譲り渡すのではないかと恐れた。

ジョン.F.ケネディ米大統領は熟慮の結果、ソ連に明解な警告を送った。「キューバから西側陣営に発射された核兵器は、いずれもソ連からアメリカへの攻撃とみなし、アメリカは全面的な報復攻撃を行う」──フルシチョフはそんなことになれば全面核戦争になると思った。

アメリカはキューバ危機以降、1発ないし数発の核兵器でソ連から攻撃された場合の対応策をいくつも練り上げた。同様の被害をソ連の都市にもたらす核攻撃を行おうという想定だった。

ミネアポリスが破壊されたら、実際に大統領はウラジオストクを攻撃しただろうか? それは誰にもわからない。それでも、まちがってミサイルを発射することは絶対にできないと双方の指導者が認識していたことは重要だ。

イラクに米軍が侵攻した03年、ブッシュ大統領は実質的に冷戦下の抑止論を放棄した。02年に陸軍士官学校で行ったスピーチで、「国同士の大規模な報復を前提とした抑止論は、国をもたず守るべき市民もいないテロ組織に対して意味をなさない」と語った。しかしブッシュは有効な代替策を示すことはできなかった。

北朝鮮やパキスタンで製造される核兵器がテロリストの手に渡る懸念が高まる今、核抑止策を練り直す必要がある。まず、自国の核兵器に対する責任は核保有国の指導者にあることをはっきりさせ、彼らがテロリストに核兵器を売らないよう抑止すること。彼らが核兵器・核物質をしっかり管理したくなるような奨励策を考案することも重要だ。

テロリストが核兵器を使用した場合の責任を個人や国に負わせることは、核テロを抑止する効果があるのか。核の拡散が意図的なものでなく不注意の結果だった場合、どこまで責任を問うべきか。むずかしい問題だが、21世紀の戦略立案者たちはその答えを見つけなければならない。

核物質の出所を信頼性のある方法で特定するだけでは十分な核テロ防止策にはならない。核に関する説明責任について共通のルールを確立する必要がある。そのためには今も世界の核兵器の95%を保有するアメリカとロシアが先頭に立たなければならない。

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