石庖丁(いしぼうちょう)



胆沢町南都田(なつた)出土


包丁(ほうちょう)というと、皆さんのお母さんがお料理をする時に材料を切るものと思ってしまいますが、ここで紹介「石庖丁(いしぼうちょう)」はどうやら料理のための道具ではないらしいのです。では、いったい何に使われたのでしょうか。

石庖丁は、弥生文化を代表する石器として知られています。弥生時代になると、日本でも米づくりが行われるようになることはごぞんじですね。米を効率(こうりつ)よくつくるための道具の一つとして、石庖丁があります。これは米と同じく中国から朝鮮を経て伝わったもので、つるんとした磨製(ませい)の石包丁が広く分布しています。

石庖丁をよくよく観察すると、使ったあとを確認することができます。これにより石庖丁は、その2つの穴にひもをとおして指にかけ、稲の穂先(ほさき)だけを摘むために使われた「穂摘み」のための道具ではないかと考えられるようになりました。東アジアで同じようなものを穂摘みに使っていることもその証拠(しょうこ)です。



石庖丁による穂摘み


それではなぜ、弥生時代では今と違って穂摘みがおこなわれたのでしょうか。
それは、当時の稲の実る時期がばらばらなためだと考えられます。そのため一穂づつ摘む方法がとられ、しだいに品種改良)されて実る時期が一定したものが作られ「根刈り」が行われるようになるまで、穂摘みが行われていたのでしょう。
この穂摘みに使われた道具も、地域や時期によって、いろいろなものがあります。県内ではわずかにしか発見されていませんが、形は東北地方の石庖丁によくみられるものです。



日本最古の石包丁は佐賀県で見つかったもので(上図)穴ではなくて細長いすきまがあいていますね。
また両端)のくりこみにひもをかけて使った打製(だせい)の石庖丁のほか、貝や木や鉄でできたものもみつかっています。
穂摘み具ひとつをとってもこれだけあるのですから、昔の人の道具に対する工夫が感じられておもしろいですね。