堺屋
先週に引続いて、作家の三田誠広さんに来ていただいて対談を続けたいと思います。
先週は私たちの生まれた大阪の話から団塊の世代の、三田さんは団塊の世代をテーマにした『僕って何』というので芥川賞を獲られた。私はこの「団塊の世代」の名付け親でございまして、この「団塊の世代」の本も出しております。というより「団塊の世代」は私が名前をつけたんですね。この小説で初めて生まれた名前です。そういうことで三田さんが私の本を『堺屋太一の青春70年万博』というのを出していただくことになりました。
前回はこの「団塊の世代」の話を主として申し上げたのですが、今回はさらに団塊の世代の次のテーマとして今日本で一番重要なテーマは「小子化」です。この少子化についてお話をしたいと思うんですね。
三田さんはこの児童文学の世界にお入りになりまして、この『海の王子』という児童文学として、三田さんの第一回のをお出しになりました。これからこの児童文学の分野で次々と作品をお出しになるようなので、是非期待していただきたいと思います。
さてその子供の方ですね。日本は少子化がどんどん進んで、この調子でいくと人口がどんどん減りだすと。この少子化対策というのはね、いろいろ言われていますがどこの国も成功した事が無いんですね。この、どうしたら一番いいかというのをね。
三田
私の息子は2人いるんですけど、長男の方がスペインの女の子に拉致をされて、スペインに行ってしまいまして、今スペインで暮らしておりますけれども、子供3人おりますんで、奥さんも働いているんですね。やはり職場のすぐ近くに保育施設があってですね、働きながら子育てをするという事も出来ますし、特に小学校はですね、低学年ほど長く教えてるんですね。何故かと言うと、お母さんが必ず迎えに行ってですね、引き取るまで教えると、いうことをやってまあ学童保育に近いわけですね。
こういうシステムをね日本でも是非導入すべきだろうという風に思いますし、今まではね、人件費が高いからなかなかそういう人手をかけられないという時代だったのですけれど、これからは団塊の世代がみんなリタイヤするんでね、リタイヤした先生であるとかですね、幼稚園の先生も含めてですね、そういう人を活用して、学校で授業が終わった後は、そういう人達がですね、その同じ教室でですね学童保育をやると。みんなほとんどボランティアでねやっていただければですね、そんなに予算をとらずに学童保育も可能になると思うんですね。
そういう施設が完備すればね、日本のお母さん達もね、子供を生み育てながら自分も働くということが出来るだろうと思うんで、是非とも何とかして早い段階でそういうシステムを造る必要があると思いますね。
堺屋
なるほどね。あの、アメリカあたりはベビーシッターというのはすぐ呼べますよね。日本はなかなか呼べないし、お手伝いさんも今高いですよね。ちょっとお手伝いさんを、住み込みでという人はほとんどいなくなって、通いで雇うと恐らく数十万、40万くらいかかると思いますよね。そうすると共働きの夫婦でもなかなか常時来てもらうことは難しい。
三田
今まで日本はずーっと人手不足だったんでね、賃金が非常に高くなりすぎてるんですね。ですから逆に言うとその、リタイヤした高齢者がですね、小遣い稼ぎに、半分ボランティアで半分小遣い稼ぎみたいなですね、そういう形で保育にあたったりですね、あるいは子供に昔の遊びを教えたりですね。
それからまた、お母さんがたもですねフルに働くんじゃなくてね、そういう半分ボランティアのような事をして、自分の子供だけを育てるんじゃなくて、周りの子供たちも一緒になって育ててあげると、そういうコミュニティですね、そういうものを作っていくとね、フルタイムで働きたい女性はちょっとお金を払ってそういう所に子供を預けるということをやればね、もっと積極的に子育てが出来ると思いますし、それからそうやって地域社会で子供を皆で育ち、守るんだということをやればね、子供に対する犯罪も防げると思うんですね。
堺屋
あの、子供の教育はだんだんと先生方が面倒くさがって、「ゆとり教育」というのは、子供のゆとりじゃなしに先生のゆとりだと言われるようになって、学力がどんどん落ちてきた。今、大阪の橋下知事がね、小学校の6年生で一桁の掛け算を10問出して全部正解できる人は6割、4割の人は一桁の掛け算が出来ない。
あれは大体小学校の2年から3年にかけて。九九てのは。九九を覚えてない人がいるんですね。九九を覚えてない人は、以後もういっぺん九九を教えるチャンスは無いから、ずーっと知らないままに来る。こういうね学校の教育というのは大変まあ、先生方の、義務化して時間さえ過ごせばいいようなね、愛情の無い教育になっているんですよね。
三田
そうですね。一頃インドの子供は、十九掛ける十九が出来るということが言われましたけれども、日本人は自分たちは優秀だということで、少し驕っていたところがあってね。逆に我々団塊の世代は非常に受験勉強をやりすぎた世代なんでね、我々自身が自分達の子供達はもう少しゆとりを持って育てたいと思っているうちに、ゆとりが有りすぎて子供の学力がビックリするくらい落ちているというのが現状ではないでしょうかね。
堺屋
やっぱり子供はね、親との接触がないといけないという。それから子供同士の接触が無きゃいけない。子供同士というのは年上の人も年下の人も昔はいたんですよね。今は学校へ行くと同年齢の人、同級生と先生しかいない。兄貴、弟という感覚が無いんですよね。この子供のコミュニティを地域で復活させる、地域コミュニティというは壊滅状態ですよね。これ一つ、やっぱり日本の大きな問題だろうと思いますね。
三田
日本の「お父さん」が忙しすぎてね、なかなか子育てにまで(手が)まわらないし、また近所付き合いも出来ないという時代が長く続いたわけですけれども、これからはですねもっとその給料はそんなに高くなくてもいいから、時間のその労働のゆとりですね、お父さんが家に帰ってご近所の人たちと交流が出来るような、そういう社会になっていかないとですね子供達がね。自分のお父さんともあんまり顔を合わせないけれども他所のお父さんも知らないんですね。
そうするとね大人というのは何を楽しみにして、何を生きがいとして生きているのかということが見えないんですね。見えないのに勉強だけやれと言ってもですね、やる気にならないんでね。やっぱりいろんなお父さんの姿を見て「頑張ってるな」と、それから頑張っているのと同時に会社で働く事にも生きがいがあるんだな、ということがわかってきますとですね、子供も勉強をしてお父さん達と同じ様に立派な人になると。あるいは自分のお父さんと他所のお父さんを比べてですね、もっといい大人になりたいという向上心が出来ると思うんですけれどね。今の子供達はね、大人を見ていないんですよね。だから目標が無いんだと思うんですね。
堺屋
なるほど。子供が大人を見ない。それは一方ね、大人が老人を見ない、これも大きな問題ですよね。厚生労働省の考え方では、老人は介護の世界で家族が面倒を見るんじゃなしに、国が面倒を見るんだ、社会が面倒を見るんだという形にしたんですね。
だからどんどんと高齢者が邪魔者になってきて、高齢者の楽しみというのは打ち切られちゃう。高齢者を見て次の40代の人が何を学ぶかというのが無いと。で40代の人を見て子供達が何を学ぶか、この世代の断絶というのはかなりきついですよね。
三田
そうですね。やはり若い人が生きがいをもってね、生きることが出来る社会というのは、結局はその、高齢者が活き活きと働きながら楽しんでいる社会だと思うんですね。自分達も早くリタイアして、今の高齢者と同じように楽しみたいと思ったら一生懸命働けるわけでね。定年になったら後はよぼよぼするだけだということではですね希望が湧いてこないですね。