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「プロレス大好き」は主にプロレス史の叙述を目的とした、メールマガジンです。NWA(Nazenara Watashiha Ahonanoyo)というグループに加盟した執筆者達が書いた原稿を、私、茅野三丸がまとめております。

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2007/02/21

国際プロレス・グラフティ リメイク版 一九七六年

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プロレス大好き - Wrestling As I Like It
(略称:プロダイ)2007/2/21(WED) 発行部数184
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国際プロレス・グラフティ リメイク版 Joe Hooker Sr.

●一九七六年

・この年の外人勢

来日したのは、やはり金網が似合う「国際外人」達。しかし新日、全日、そ
して前年までの国際に比べても質が悪く、マイナーイメージを増加させてい
った。

ざっと挙げていこう。

一月 セーラー・ホワイト

二月から三月 キラー・トーア・カマタ

四月から五月 ジ・アンダーテイカー(ハンス・シュローダー)

五月から六月 リップ・タイラー、エディ・サリバン

七月から八月 アサシン(ロジャー・スミス)、ザ・UFO(ボブ・ダラセ
ーラ)、ブラック・ロッキード(レン・シェリー)

九月から一〇月 ワイルド・アンガス

一〇月から一二月 ジプシー・ジョー、ザ・コンバット、リック・マーテ
ル、ギル・ヘイズ

また、ラッシャー・木村のIWAベルトに挑戦したのはホワイト、カマタ、
アンダーテイカー、上田(一度は奪取)、アサシン、アンガス、ジョー、ギ
ル・ヘイズである。

四月から八月にかけ外人のメンバーの質ををかなり落としているのに気づ
く。他団体では四番手レベルのものにエースをやらせている。苦しい台所事
情だったのであろう。

=====

一九七六年三月一二日 茨城県堺町民体育館

時間無制限一本
鶴見五郎(一〇分三九秒逆エビ固め)G・マリノ
(注)新聞発表の通り。まず、間違いなく金網デスマッチであろう。

IWA世界タッグ級選手権試合 六一分三本
グレート・草津、マイティ・井上(二−一)キラー・トーア・カマタ、カル
ロス・コーラン(コロン)
一本目分カマタ(五分五一秒体固め)井上
二本目分草津(八分〇一秒コブラツイスト)コーラン
三本目分井上(八分三四秒体固め)カマタ

三〇分一本
ラッシャー・木村(五分四四秒片エビ固め)T・バイキング

IWA世界ミッド・ヘビー級選手権試合 六一分三本
寺西勇(二−一)稲妻二郎
(一)稲妻(一五分五三秒片エビ固め)
(二)寺西(五分五一秒反則)
(三)寺西(一〇分〇三秒原爆固め)

四五分三本
アニマル・浜口、スネーク・奄美(二−一)ミスター・ヨト、田中忠治
(一)奄美(一四分四一秒体固め)田中
(二)田中(八分〇八秒体固め)奄美
(三)浜口(三分三四秒体固め)ヨト

IWA太平洋岸タッグ選手権試合 四五分三本
小畑千代、佐倉輝美(二−〇)P・ケイ、J・グレーブル
(一)佐倉(一一分四六秒体固め)ケイ
(二)小畑(九分二四秒エビ固め)グレーブル

一五分一本
大位山勝三(九分五四秒体固め)米村勉

=====

・全日との対抗戦
三月二八日、蔵前国技館で全日との対抗戦が行われた。第一試合からメイン
まですべて対抗戦で固めた画期的なものであった。

−−−−−−−−−−

メイン ラッシャー・木村(引き分け)ジャンボ・鶴田

セミ  IWA世界タッグ、アジアタッグダブルタイトルマッチ

(IWA)グレート・草津、マイティー・井上 (引き分け)グレート・小
鹿、大熊元司(アジア) 

−−−−−−−−−−

この対抗戦は二つの問題を残したと思う。

まず、馬場が出なかったということ。馬場だけが別格ということになり、国
際プロレスの地位が相対的に低くなる。このあたりのことを認めてしまうあ
たり、吉原社長はレスラーから経営者になり切れていないということか。

もうひとつは、仮にも「世界」タッグチャンピオンのグレート・草津、マイ
ティー・井上組が「アジア」タッグチャンピオンの グレート・小鹿、大熊
元司組に勝てなかったこと。「国際のタッグチャンピオンは世界を名乗って
いても小鹿、大熊組に勝てなかったのだから大したことはない。」というイ
メージ、少なくとも高校生だった私のまわりでは定着してしまった。吉原に
いわせれば、力道山に鍛えられたもの(小鹿、大熊)は違うということなの
だろうが、自分のところの選手を少しでも強く見せねばならない「社長」と
いう立場なら、もう少しなにかやりようがあったと思う。「ウチには力道山
時代に入門したものがいない」というコンプレックスが悪い方に出たという
べきか。

・女子部閉鎖−小畑対佐倉

七四年設立された女子部は四月に閉鎖。背景には、男子レスラーの抵抗、ま
た、当初は期待された視聴率向上に効果がなかったこと、さらに、小畑と佐
倉がこれ以上居続けることに遠慮したこと、などが考えられる。

女子部最後の4月12日、それまで約二十年苦楽を共にしてきた小畑千代と
佐倉輝美はシングルでこころゆくまで闘った。

私がじかに二人の姿を見たのは時代が下って八八年。梶原一騎一周忌記念
「格闘技の祭典」(両国国技館)の客席に二人の姿はあった(ちょっと離れ
てカール・ゴッチもいた)。

その日リングに上がったメンバーは馬場、ブッチャー、佐山、藤原(セコン
ドは船木誠勝と山田恵一)、三沢、小橋、佐竹(正道会館)、青柳館長、風
間、関西、キューティーらと、なかなか考えられない組み合わせ。小畑は当
時ジャパン女子のコーチをやっており、その関係で客席にきていたらしい。

そして現在(二〇〇七年)二人は一緒に東京・浅草でスナックをやってい
る。

・上田馬之助登場までの経緯

五月のシリーズに上田馬之助がフリーとして帰国し国際プロレスに参戦。外
人側メンバーとして暴れ回った。ここで上田が国際プロのリングに上がるま
での経緯をのべよう。

七三年四月日プロ崩壊後、六月から全日のマットに上るものの、マッチメー
クでは冷遇された。前インタータッグチャンピオンが来る日も来る日も前座
ばかり。というのは馬場が上田の商品価値を認めていなかったから。一〇月
になって、デビュー半年の鶴田が馬場とのコンビでザ・ファンクスのもつイ
ンタータッグに挑戦するに及んで切れた。

元来タイトルを持っていた日プロ勢から馬場のパートナーが出ると思い込ん
でいた上田は離脱宣言なしに離脱しアメリカへ。そしてローカルマットで細
々と食いつないでいく。

この時期、猪木は再三にわたって馬場への挑戦宣言を出した。馬場は黙殺。
これに対して、「代わりに全日代表として自分が出てもかまわない。」とア
メリカから発言したのが上田だった。が、BIは無視。

全日との合流時、旧日プロのメンバーは日本テレビと三年間の契約をした。
上田はその三年間は他局のプロレス番組に出ることはできない。契約が切れ
るのを待って国際プロレスのリングに上がった。吉原としても力道山の教え
を受けた上田が欲しく、契約が切れるのを待った。

お互いに律儀に契約を守り、紙切れ一枚に支配されたのだ。あたりまえのこ
となんだけど、これが美談に見えてしまうプロレス界って・・・。ちなみに
上田より商品価値のあった大木は七四年から新日マットに上がっている。

・・「まだら狼」上田馬之助

シリーズ第一戦、上田が外人側コーナーの通路から入場。その姿に度肝を抜
かれた。オールバックの前頭部だけを金髪に染め、残りは黒髪。その頭色か
ら「まだら狼」と呼ばれた。上田は外人側エースとして、心のくさびが取れ
たようにのびのびと闘った。ラフと反則専門なのだが、試合がおもしろい。
表情をクシャクシャにして、何かに取りつかれたように対戦相手を痛めつけ
る。日プロ時代には表面に表れなかった上田の魅力を初めて知った次第。

シリーズ中、上田は木村のもつIWA世界ヘビー級王座に挑戦し奪取。リタ
ーンマッチの日、負傷を理由にタイトル返上。そしてシリーズ終了後新日の
リングに上がり猪木に挑戦状を手渡す。商品価値の上がった上田はシンとの
タッグで一斉を風靡する。

上田の新日行きに関して、国際プロレスとのトラブルは生じなかったとので
はないか。それが証拠に、七九年から八〇年にかけて何もなかったかのよう
に再度国際マットで闘った。

・・タイラー・サリバン組

タイラー・サリバン組は五月のシリーズに上田とともに来た。特にタイラー
は私生活でも上田と仲が良く生き生きしていた。安心して使える(=平均点
が出せる)力はもっている。渋いタッグ屋だった。すぐ奪還されるものの六
月七日福山で草津・井上組のもつIWAタッグ王座を奪取。名を残した。

七二年、まだテレビのない新日にも外人側エースとして登場しており、シー
プハーダース、テキサスアウトローズと並んで国際、新日、全日(八四年)
三団体に参加した珍しいタッグチームである。

・剛竜馬と杉山
七月のシリーズから、八木宏が帰国した。八木は清美川をたよりにヨーロッ
パに行き、その後カナダ、フロリダ(ヒロ・マツダのコーチを受ける)と武
者修業に明け暮れた。新しいリングネームは一般公募で剛竜馬となった。

この年の春先、全日を一応円満退社したサンダー・杉山はこの頃から古巣国
際プロレスのリングに上がるようになる。七月一日地元名古屋での全日の試
合に出た後、七日には上田と組んで草津・井上組のもつタッグ王座に挑戦し
た。この頃杉山は剛をかわいがっていた。

・ブラック・ロッキード

76年の二月ロッキード事件が発覚。七月田中角栄元首相が逮捕される。同
じ時期に国際プロレスのリングに上がっていたブラック・ロッキード、闘う
土地によってリングネームを変えるというふれこみであったが、話題になっ
たのは名前のみであった。現在インディー系団体で受け狙いの名前を見るた
びに、ブラック・ロッキードを思い出す。

我々は「ブラック・ロッキード」なんて受け狙いの三流の冗談としか見てい
なかった。しかし、当時のマスコミの扱いには我々の感覚とのとのズレがあ
った。ブラック・ロッキードの名を出すたびに「ブラック・ジョーク」とい
う言葉を使うのである。「ブラック・ジョーク」とは場を和ませる、という
よりも場の空気を醒ますような後味の悪い冗談のこと。では、どこに「後味
の悪さ」があったのか。

これはいまだに謎である。機会があったら、当時を知る方に聞いてみたい。

・ワイルド・アンガス

一〇月のエース、ワイルド・アンガスはイギリスがホームリングの選手。六
八年のヨーロッパ路線の頃とこの時期双方に来ている珍しい存在。長髪、巨
漢、髭ボウボウで「怪僧ラスプーチン」と呼ばれていた。そばに寄ったら匂
いプンプンで臭そうである。

レスラーとしていちばん真価を発揮できていたのはこの時期で、七九年ロビ
ンソンとのコンビで七八年全日の最強タッグに出たときは明らかに下り坂だ
った。

・ミスター・セキ帰国参加

九月のシリーズにフリーレスラーとして単身アメリカで暴れていたミスター
・セキこと関川哲夫が帰国した。彼はアメリカではぼつぼつ売れ出してい
た。後のザ・グレート・ポーゴだ。セキはかつて日プロ、新日を短期間で脱
走、「あのボンボンがどのくらいかわっているか。」とマスコミは注目し
た。このときテレビで見た私の印象は、「あんこ型の強さもおもしろさもな
いレスラー」であった。一三〇キロ位あったのではないか。体格に関しては
大仁田と抗争した90年代のの方がしぼれている。

ポーゴ、グラン・浜田、そしてジャンボ・鶴田。同じ時期に中央大学にい
た。ポーゴ、浜田は柔道部、鶴田はバスケットボール部であった。しかし、
鶴田はバスケットをやめてしまう。彼か柔道に活路を見いだそうとした。入
部申し入れのため柔道部を訪ねると出てきたのがポーゴである。

−−−−−−−−−−

鶴田:今までバスケにいた鶴田です。柔道部に入れてもらえないでしょう
か。

ポーゴ:ウチでは他が勤まらなかったような奴はお断りだ。さあ、帰った、
帰った。

−−−−−−−−−−

ポーゴとしては、あんなに大きな奴にはいられたんじゃ柔道部内で自分の居
場所がなくなってしまうという恐怖心もあったらしい。仕方なく鶴田はレス
リング部へ。持ち前の運動神経を活かし、ミュンヘンオリンピック代表にま
でのしあがってしまう。鶴田の運動神経はNWA世界ヘビー級チャンピオン
当時のドリーが舌を巻いたくらい、とてつもないのである。「もし」の話で
申し訳ないが、あのとき鶴田が柔道を始めていたら柔道界は変わっていたで
あろう。また、中三の夏休みを過ごした大相撲朝日山部屋にそのまま居残っ
ていれば相撲界はやはり変わっていたであろう。

話を元に戻す。新日で挫折した直後か、それとも国際参加の為に帰国したこ
の頃のことか、ポーゴは全日のリングに上がり、ネームバリューを全国区に
しようと画策した時期があった。全日の道場を訪ねると鶴田が出てきた。そ
して一言。

−−−−−−−−−−

鶴田:ウチでは他が勤まらなかったような奴はお断りだ。さあ、帰った、帰
った。

−−−−−−−−−−

・リック・マーテル

一〇月にリック・マーテルが来ている。当時彼は二〇歳。兄マイクについて
きた。「ミスター・吉原、弟のリッキー、まだ二十なんだけどいい筋してい
るんだ。俺が今度日本に行くときに一緒に呼んでくれないかな。」ってなか
んじで兄マイク(ザ・コンバットの一員)がねじ込んだのかもしれない。こ
のシリーズでは、寺西のもつIWAミッドヘビー級タイトルに挑戦するも敗
れているものの、国際にも生き生きとした若い外人がくるんだな、という感
想をもった。

四年後全日に来たときはドス・カラスあたりと組んでまだまだジュニア・ヘ
ビー級で「甘いな」という感じ。しかし、八年後ジャンボ・鶴田を破ってA
WA世界ヘビー級タイトルを奪取という大出世。ハンセンに明け渡すまで一
年半、王座を守った。九〇年代にはいってSWSのマットで佐野とWWFジ
ュニアヘビー級タイトルを争うが敗れる。

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http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Kaigan/7217/old_fan.html
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