【この記事は、2012年の日本で現実に起きるであろう日常を
シミュレーションした近未来ドキュメントである】
「誰か、そいつを捕まえてくれ。俺の金を盗んだ奴だ。捕まえてくれ~」
神奈川県にある多摩川河川敷での深夜に、人影はない。
その悲痛な叫びは虚しく鳴り響く。
「心を許す」という気の緩みー。その油断が命取りになる。そんな時代であると再認識させられた事件だった。
河川敷のビニールハウスで暮らす60歳代のホームレスが、「仲間」のホームレスから全財産15万円を強奪された。
「心を許してカネの話をしたのがまずかった」
そう語る被害者のホームレスの顔は、全財産を奪われたことの怒りとともに、人を信じることの虚しさが入り混じった複雑な表情を浮かべていた。
「あいつがあんなことをするなんて・・・。お互いに『死に水を取る』なんて話までして、その夜だよ。信じられない・・・」
60歳のこのホームレスの男性の気持ちはとても理解できる。理解はできるが、同時にこの恐慌の時代に生きる者として、「ちょっと甘いな・・・」とも感じた。
貧すれば鈍する―。その言葉はつくづく恐慌という経済のどん底にあえぐ人間の姿をうまく表現していると思う。
大恐慌の恐ろしさは、単に経済的な貧しさだけではない。
極限の貧困は人間の弱さをあぶり出し、「弱者同士」ならではの幇助の精神をも壊す。
まさに相手を犠牲にし、自分だけが助かろうとする人間性の崩壊だ。
それを象徴するのが、埼玉県川口市や東京江東区などで相次いでいる町工場やマンションなどを対象とした放火事件である。
「火事だぁ~」「早く消防署に連絡を!」
川口市で3代にわたって受け継がれた創業45年のその町工場に火が上がったのは、深夜2時を少しまわった時刻であった。
赤々と燃える工場、そして隣接する経営者の家族が暮らす家屋。
不幸中の幸いだったのは、被害を受けたのは全焼した工場とその家屋の一部だけで、人命の被害はなかったことだ。
しかし、そこの主人である工場長の表情には、家族が無事であったことの安堵感は微塵も感じられず、前方の野次馬の中のある人物の顔を、疑いの視線で睨み付けていた。
「あいつだ。あいつが、うちの工場に火をつけたに違いない」
結果として火災は「工場内での火の不始末」で片付けられた。が、工場長は最後まで「放火の可能性」を疑っていた。
その工場長がそう思うのには理由があった。それは先月も同じ川口の町工場での火災があり、その原因が、ライバル業者であり、共通のクライアント(取引先)を顧客に持つ町工場の経営者の放火によるものであったからだ。
その工場長が「あついだ」と睨み付けた相手は、同じく川口のライバル工場であり、扱う金型製造の部材も競合している。
そして、つい先日、そのライバル工場の長年の顧客であった家電製品の下請けメーカーに、「うちならその8掛けの値段で見積もりを出せる」と持ちかけ、その受注をいわば強奪した経緯があった。
ライバル工場は急遽、8人の従業員が3人に減らすなどのコスト削減を行ったが、手形が不渡りになるなど資金繰りに窮しているという噂は、同業者間では知らぬ者はいなかった。
同時に工場長の自宅に無言電話が頻繁に鳴ったり、工場のガラスが何者かの投石で割られたりという嫌がらせが頻発するようになっていた。
たまりかねた工場長は、夜間に探偵を雇い、投石をした犯人の隠し撮りをした。
そこに映っていたのは、ライバル工場をリストラされたばかりの職工であった。
「うちの工場を辞めた人間のことで、何の責任を取れというのだ!いいがかりをつける気か!」
ライバル工場の経営者は激高し、そう言い放った。
そして、今回の放火である。
その工場長は現在、その「報復」のつもりなのか、ライバル工場のもう一つのクライアントの切り崩しに執念を燃やしている。聞くところでは、ライバル工場の受注額の8掛けどころか、6掛けまでダンピングしているという。
利益ゼロどころか、実質、赤字である。同業他社の間では「あれでは自分のところも自滅してしまう。まるで自爆テロだ」とも噂されている。
「あいつだけは絶対に許さん。必ず息の根を止めてやる・・・」
昨夜、行きつけの近所のスナックのママは、ウォッカを呷りながらそう呟く工場長の姿に、「背筋が寒くなった」と私に告白した...。