すでに毒矢は……
今日の午後、
WBCの韓国との決勝戦。9回裏でダルビッシュが投げて緊迫した場面で………
ちょうど母が【不整脈】の発作になり、車にのせて病院へ連れていった。(WBCの試合展開が原因で不整脈になった訳じゃないよ)
母がもちろん心配だったが、
病院に行って点滴などの処置を受ければ発作はおさまるのは毎度なので、先生にお任せするしかなかった。
ただ、
もっと心配というか気がかりなのは、
母のピンチになると
狼狽して的外れな言動をする父なのである。
父は、
母が不調を訴えると
怒り出すのである。
「なんでそんな体になった?」
「困ったヤツだなぁ!」
「お前(私のこと)が早く嫁サンをもらわんからだ!」
私はそんな父をにらむ。
なぜ真っ先に母の現在の状況を心配して動こうとしないのか?
いま怒ってどうなる?
俺が親不孝なのは認めるが、いま言うことか?
……以上は
KONOの家庭内のみっともない場面だが、
私も父も
その瞬間にそれぞれの事情の中に閉じ籠り、
そこは【地獄】になる。
私は、
そんな父を無視して玄関を飛び出し
すぐに車のエンジンをかけて母を病院に連れていく準備をした。
病院で点滴を受け、
母の容体はすぐに回復した。
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仏教で「毒箭(どくや)の喩(たと)え」というのがある。
毒矢に当たった人がいて、早く毒矢を引っこ抜いて、毒が体に回らないように手当てをしなきゃならないのに、
当の本人は
「ちょい待って!誰が俺に矢を放った?どんな矢だ?ちょっと待てって!まだ抜くな。な?誰だった?」
などと別のことを気にしていたら、手当てが遅れてしまう。
まず真っ先にしなきゃならない肝心なことは
【その毒矢を引っこ抜いて手当てすること】
である。
この仏教の例えの意味は、
目の前の苦しみにどう向き合うか?
未来のことや
結論の出ないことについてあだこだ言う前に
やらなきゃならないことは
直面した“今・ここ”にあるんだ!
ということ。
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今回の母の不整脈の件とは少しズレルかもしれないが、
さっきの父と私の言動から
そんなことを思ってた。
目の前の具体的な悩み苦しみに
先ずはどう向き合うか?
狼狽するし、
右往左往するし、
アタフタする自分であるのは分かってる。
でもやはり
具体的な日々の中で、
いろんな問題に直面していく私。
そのとき、
先ずはどう向き合い、
そして
どう動くか?
【毒矢】はすでに刺さっている。
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