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ホッとニュース 【3月25日03時02分更新】
仮設住宅の悲喜、すべて残す 能登半島地震から2年、輪島の山岸さん
二年前、堀町の自宅で横になってテレビを見ていた藤本さんは「地の底から胴上げされ たように飛び上がった」。一瞬、死が頭をよぎるほど強い揺れだった。母の大豆堂イシさ ん(78)と外に出ると、築約五十年の木造二階建ての家は「く」の字にひしゃげていた 。 「一度死んだも同然の身だ。同じ被災者のために尽くしたい」。藤本さんは、塗装業の 仕事を辞め、貯金を取り崩して区長に専念することを決意。せっかく助かった命が、仮設 で失われるのは避けたかった。孤独死を防ぐため、「にいさん、ねえさん」と、お年寄り に声を掛けて回った。 誰に頼まれたわけでもなかった。「誰や、お前」と怒鳴られもしたが、藤本さんの熱心 さに住民はやがて心を開いた。室内で倒れていたところを助けられた大江ヤエ子さん(8 0)は「藤本さんに救急車を呼んでもらったおかげで生きて仮設を出られる」と感謝する 。 藤本さんは物資の集配や訪問者の応対、催しの会場設営などに明け暮れた。体調を崩し 寝込んだこともあったが、カレンダーの日付欄に「感謝の心」という四文字を記すのが日 課になった。 どんなに疲れていても慰問を断らなかった。「山岸ばっかり物もらっていいねぇ」。時 に心ない声を掛けられることもあった。以前なら怒りもしたが、「事を荒立てたら仮設の 『家族』に迷惑がかかる」。ぐっとこらえた。 仮設住宅では孤独死こそなかったが、公営住宅への入居や自立再建を待たずに亡くなっ た人も三人いる。一方で、二年の間にはぐくまれた命もある。入居者の小学校入学や就職 を住民みんなで祝った日も忘れられない。 現在、四十世帯八十一人が仮設住宅に暮らす。退去期限は四月末に迫る。人々が喜びや 苦しみを分かち合った「山岸村」は近く閉村式が行われる予定だ。 集会所で大半の時間を過ごした藤本さん。自室に今も入居当時から解いていない荷があ る。「もうすぐただのおっさんに戻るけど、人との絆(きずな)を感じた二年間だった」 。藤本さんは再びカレンダーを見つめ、目を潤ませた。(おわり)
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