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社説

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WBC―アジア野球の新しい風

 イチローの決勝打の残像は、多くの人の目にまだ焼き付いているだろう。国・地域別対抗戦ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)は、延長にもつれた韓国との激戦の末、日本が第1回大会に続く王座についた。

 「Behind every play,a nation(一つひとつのプレーの背後には、国がある)」

 野球を生んだ米国だけに、なるほどとうならされるキャッチコピーだ。

 今大会を特徴づけるのはアジア野球の台頭だ。3年前の第1回大会でも日本が優勝、韓国は4強入りしたが、米国の報道の焦点は、もっぱら米代表のふがいなさにあてられていた。

 今回は違う。日本や韓国の練習に、大リーグのスカウトやコメンテーターといった専門家が群がった。

 「走者を進めるための打撃の練習に時間を割いている。恵まれた体にものをいわせて遠くへ飛ばすことしか考えていない米国選手と違って新鮮だ」「併殺を試みる内野手の位置どりが素晴らしい。練習そのものが芸術的だ」

 前回と同様に有力選手の辞退はあったが、米国は大会前の強化試合を増やし、勝敗優先の選手起用を貫いた。それでも勝てない米代表への不満の裏返しであるとはいえ、一見非力な日本や韓国のしたたかな強さに注目せざるを得なかったということだろう。

 強者や高額所得者が常に勝つわけではないと、野球で人生や社会を語ろうとしているようにも思えた。あるいは日本や韓国の自動車にしてやられたビッグ3の像を重ね合わせ、経済危機からの脱出にあえぐ米国の姿をそこに見るのは深読みのしすぎだろうか。

 日本選手の言葉をたどると、優勝の別の側面も見えてくる。

 第1回大会に続いて最優秀選手となった松坂大輔投手は言った。「前回とは全く違う。今回は王者としてもう一度勝ちにいったのだから」。自らとチームが感じた重圧を語る言葉に、選手の意識の高さが映されている。

 4番打者をはじめ、相手投手に合わせて次々に選手は入れ替わった。選手はいつ、どう使われるか常に考えざるをえない。戦術の新しさが感じられた。この采配も、選手の意識と技量の水準に支えられてこそだろう。

 機動力を生かしたきめ細かい野球の日本。スピードと積極性で相手を狂わせていった韓国。5度の勝負を競い合った両国のプレーには、応援していた国民の性格と通じるものがある。

 優勝候補の一角ドミニカ共和国を、マイナーリーグ程度の選手ばかりで倒したオランダの団結力も鮮烈だった。世界の勢力図の変動は急だ。

 次回は、米国ももっと本気でかかってくるだろう。本家と新興勢力の全力のぶつかり合いが、野球の魅力と可能性をさらに広げてくれるに違いない。

原爆症判決―裁かれた政府の怠慢

 広島と長崎に投下された原爆で放射線を浴び、後遺症に苦しんでいるのに、なぜ原爆症と認められないのか。

 300人を超える被爆者たちが全国各地で集団訴訟を起こしたのは、それぞれの病気が原爆によるものだと政府に認めさせたいためだ。

 一連の訴訟のうち15度目の司法判断になった18日の広島地裁判決は、その訴えを認め、原爆症の認定申請を却下した厚生労働大臣の処分を取り消した。今回で国は15連敗。いずれの判決でも認定審査のあり方が批判された。

 原爆症の認定制度では、原爆の放射線が原因でがんなどになったと認められれば、医療費のほか、治療中は月額約13万7千円が支給される。専門家による認定審査会の医療分科会の意見をもとに、厚労相が処分を決める。

 広島地裁の判決で注目されるのは、集団訴訟で初めて国家賠償を認め、原告3人に計99万円を支払うよう国に命じたことだ。判決はこう指摘する。

 爆心地からの距離をもとに被曝(ひばく)放射線量を推定する評価方法は、最高裁に「機械的すぎる」と批判された。その後も問題の評価方法で判断する分科会に対し、厚労相は再審査などを求めるべきだった。分科会の意見に従って漫然と申請を却下したのは、職務上つくすべき注意義務に違反している。

 そのうえで判決は違法性の程度について「贖(あがな)い得ないほどに強い非難に値する」と述べ、分科会任せにしてきた厚労相の怠慢を厳しく批判した。

 たび重なる司法判断を無視するように政府は裁判を続けている。今回の判決は「敗訴を潔く受け入れよ」という強いメッセージでもある。

 被爆者の平均年齢は75歳を超え、すでに63人の原告が亡くなっている。政府はこれ以上裁判で争うことをやめ、審査を待つ7500人にのぼる被爆者の認定作業を急ぐべきだ。

 厚労省は昨年4月、「機械的」とされた従来の認定基準を改めたが、被爆による健康被害の実態を的確にとらえたものとは言い難い。新しい基準が、認定の対象を事実上がんなど特定の五つの病気に限っているからだ。

 新基準になった昨春以降も、特定の5疾病以外の病気でも原爆症と認める判決が相次いだ。原告らは認定基準を再び見直すよう求めているが、政府の動きが鈍いのはどうしたことか。

 もうひとつ問題なのは、広島地裁の判決が批判した評価方法にこだわる委員の多くが分科会に残り、新基準で審査にあたっていることだ。被爆者団体が、自ら推薦する委員をメンバーに加えるよう望んでいるのは当然だろう。

 被爆者の被害実態に目を向けて認定基準を改め、新たな構成の分科会で審査にあたる。政府は今度こそ被爆者の声を真摯(しんし)に受け止め、幅広い救済を急がなくてはいけない。

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