会長 伝田 晴久(1958年卒業)

 私は西高アメリカンフットボール部雄美会(OB会)会長の伝田(西高10期)です。私どものフットボール(部)をご紹介します。

 西高アメリカンフットボール部は1997年、創部50周年記念式典(NF50)を来賓、OB、現役、父母多数ご出席の下、盛大なイベントを行ないました。歴史と伝統と友情に溢れた会でした。

 西高フットボールの魅力・特徴についてお話ししましょう。

・他の学校の「運動部」にない先輩・後輩・先生等との強いつながり、友情がある。

・OB会は、フットボールを通じて、西高を日本一素晴らしい学校にしたいとの夢を持っている。グランドはフットボールサイズに合わせて改修していただいた。ゴールポストは雄美会寄付。

・監督・コーチ陣は、身体の弱い生徒でも誰でも差別することなく、鍛えれば強くなる、あるいは個性的に鍛えポジションを与えることができると確信している。

・そして、生徒の健康と安全を最大の目標としている。

・どんな強いチームと当たっても、頭脳の力で相手を悩まし、毎年そこそこ立派な成績を残している。

 フットボールは交替自由、攻守を含めれば22ポジションありますから、どこかに必ず出場できる。こんな教育的な素晴らしい学校スポーツが外にあるでしょうか。

 一番の問題、西高永遠の難問、それはスポーツと学業は両立するかということ。簡単に両立します、させられますなんていうのは無責任な言葉。はっきり言って判りません。ただ言えることは、50数年にわたって数百人の卒業生が皆この両立するか否かという大問題に真っ正面から取り組んだという事実があるということでしょう。事実、両立しないといって去っていった仲間もいますが、それをはるかに超える多くの仲間が雄美会に残っているというのも事実。東大、京大、早稲田、慶応、日大、明大など多くの大学、あるいは社会人チームのキャプテン、スタープレーヤーに西高アメリカンフットボール部のOBが沢山いるということ、また、社会に出てから枢要な地位を占めて、大活躍している先輩が多数いるということ、結果的に両立させた先輩がいたということではないかと思います。確かに現役で志望校に入った仲間もいますし、一浪、二浪、不幸にしてそれ以上足踏みした仲間もいます。私も今、卒業して40数年たって振り返りますと、その時の失敗も、大成功も同じ価値に思え、誠に感慨深いものがあります。

 いずれにしても、西高に入学し、勉強は当然として身体と精神を鍛え、技を磨き、このすばらしいアメリカンフットボールを楽しんで欲しいというのが、50年近くアメリカンフットボールと付き合っている者の心からの希望です。

 

 

小野 恵稔 (1961年卒業)【前監督】 

 私も約40年前の今頃を思い出しています。希望に胸ふくらましてはいましたが、さて具体的にどうしたら良いのか、勉強するだけでは何か物足らないし、何かをしなければならないとの思いも募っていました。中学生の時(泉南中)、勉強はともかく、体が弱くて馬鹿にされて悩んでいましたので、高校に進んだら鍛えて皆を見返してやりたいとも思っていました。入学して様子を見ていると、野球やサッカーやバスケットボールは超進学校の西高であっても、中学時代の経験者でないとついて行けないレベルでした。誰もやったことがなくて体を鍛えられそうなスポーツはアメリカンフットボール(当時はタッチフットボール)しかありませんでした。これならスタートラインは同じだし、男性的で気持ちに一番合っていそうに思えて、意を決して入部しました。これは正解でした。2年生の春には筋肉がついて体が大きくなり、中学3年で100メートル15秒だった走力も、何と12秒で走れるようになっていました。しばらくぶりに会った中学の時のいじめっ子が近づかずに私を見つめていたことを憶えています。2年生の秋、東京代表として素晴らしい仲間達と一緒に大阪で開催された高校選手権に出場しました。これはニュースでした。勉強だけの高校と思われていた西高が日本一に挑戦したのですから。以来西高のアメリカンフットボールは新入部員の多くが運動の未経験者の集団でありながら、全国レベルを維持し続けています。何故でしょう。

 西高アメリカンフットボールが強い秘密はどこにあるのでしょうか。私はそれはアメリカンフットボールという競技の性格と西高生の特性がぴったり合っていることと、このスポーツを愛する先生方やOBや父母会や父母会のOB会の強い支えがあるからだと思っています。アメリカンフットボールはスピードとパワーと闘志とそれに頭脳の総合スポーツです。ということは、西高生にとっては不足するパワーとスピードを補いすれば良いということになります。合理的な練習を積み重ねれば自然に強くなれるというわけです。西高「アウルズ」では練習は一人ひとりの能力に合った方法で徐々にスピードとパワーをつけて行くことにしています。ですから脱落者が出ることはほとんどなく、3年の秋には全員が高校の一流選手に育っています。アメリカンフットボールでもトップレベルの京都大学、東京大学、慶応大学等のチームに出身者が入るとすぐに一軍メンバーになり、いきなり公式戦出場を果たします。 

 西高アウルズの出身者は大学や社会人チームで活躍しているだけではありません。日本のアメリカンフットボール界を背負っていると言っても良いでしょう。笹田英次さん(1952年卒)は日本アメリカンフットボール協会会長、国際アメリカンフットボール連盟初代会長の要職を務められました。高校ではこの40数年間西高校長は全国連盟会長を勤めています。審判団も医師団も西高出身者が主導しています。黒澤尚さんも1962年卒、東大、ハーバード大医卒、現順天堂大学教授整形外科部長、西高アウルズ、東大ウォリアーズチームドクターが医師団を率い安全なアメリカンフットボールが実現しています。これら全て西高アウルズの誇りです。皆さんも西高アウルズのメンバーになって活躍して下さい。父母会も父母会のOB会も雄美会(アウルズOB会)も全員で応援します。

 

 

黒澤 尚(1962年卒業)【順天堂大学教授 整形外科部長、アウルズ チームドクター】

 アメリカンフットボール(以下フットボール)には怪我がつきものです。しかし、選手、チームにとって怪我は戦力ダウンの大きな原因ですし、また「フットボールは怪我が多い、怖いスポーツ」というイメージはフットボールを始めようかと考えている生徒、さらに両親にとって大きなマイナス要素です。 

 平成6年。私の西高での1年先輩の小野恵稔氏(前監督)から声がかかり、西高チームで「怪我についての話を」という依頼がありました。私は平成1年から、同じく母校である東大のフットボールチームでチームドクターを引き受けておりましたので、お安い御用、と生徒諸君にお話をしました。それがきっかけで、入澤先生からぜひ東京都の高校生フットボーラーに話をしてくれるように頼まれました。

 併せて大学フットボールのようにゲームドクター制(公式試合には必ずドクターが付き添う制度)ができないだろうかとの打診がありました。そして、平成7年春のトーナメントから、私の知り合いのスポーツ好きのドクターに声をかけ、全試合(約30試合)ドクターが試合に付き添うゲームドクター制度を高校にも普及させたのです。

 また、夏休み中に各チームから3〜4名ずつ生徒を集めて、安全対策セミナーを開くようになりました。それ以来、毎年春・秋のトーナメントの全試合にゲームドクター制が実施されているわけです。平成8年からは神奈川県、埼玉県、千葉県の高校フットボールでも、ぜひ実施したいということになり、関東の高校フットボール界全体で実施されるに至っています。

 このゲームドクター制の導入によって、審判団からも「安心してゲームを進められるようになった」と感謝の声が寄せられています。同時に、各チームにとっては単にゲーム中の怪我だけではなく、セミナーの効果で練習中の怪我にも注意を払うようになり、「より安全なフットボール」に向けて貢献できていると自負しています。このゲームドクター制の実施は約30名のドクターの方々のボランティアに近いご協力の賜です。また西高の顧問先生方の土曜、日曜、そして夏休みも厭わない事務局の献身的な努力がなければ、実現できなかったと思います。フットボールを愛するものとして深く感謝しています。

 

  

35期 七久保 裕哲(ななくぼ ひろやす)(1983年卒業) 

 一般的な話ですが、長いようで短く、短いようで長い高校生活の3年間、勉強だけでは無く、みなさんのこれからの人生の糧となる喜怒哀楽を十二分に味わってください。西高は皆さんの高校生活を満喫させるのに十分な文化を持っています。そしてより多くの友人/仲間を作ってください。友人/仲間は皆さんをさらにひとまわり大きい人間(体の大きさではありませんよ、念のために)にしてくれるはずです。これは西高を卒業してからもなくならないものです。そのためにもクラブ活動や体育祭などの行事に自ら進んで参加してください。

 そのような中で、みなさんがアメリカンフットボールの世界に足を踏み入れ、私たちOWLSの仲間になっていただけたらこれほどうれしいことはありません。アメリカンフットボールはスピード、力、技、戦術、そして仲間(チームワーク)というスポーツに不可欠な要素がバランスよく、強く反映されるスポーツです。アメリカンフットボールというとルールが難しいとか言われ、よくわからないと思われがちですが(少なくともプレーする上では)そんなことはありません。いかに敵陣に攻め入るかという陣取りゲームです。平成11年からワールドカップも開催されることとなった魅力あるスポーツです。皆さんも一度は味わっていただけたらと願ってやみません。

 私もプレーヤー→コーチ→審判とアメリカンフットボールの世界にのめり込んでいるひとりですが、たかが21年。OWLSの仲間の中ではまだまだ、前世界連盟会長をはじめとする大先輩方に遠く足元にも及ばないひよっ子です。アメリカンフットボールにのめり込んで?十年と言う方々がOWLSの仲間にはたくさんいらっしゃいます。それだけ、OWLSは魅力に溢れた世界だと思います。

 言葉が足りないかもしれませんが、みなさんのこれからの楽しい高校生活をお祈りいたします。それが西高アメリカンフットボール・OWLSの世界を通じてであることを願って。


(注) 七久保裕哲氏は高校アメフト界に限らず公式の審判員として活躍されており、平成11年のライスボール(社会人ナンバーワンVS大学の優勝校で日本一を決める対決で1月3日に東京ドームで開催されます)ではその勇姿が見られました。もちろん春・秋の大会でもフィールド狭しと駆け巡り、高校スポーツの振興に御活躍される姿が拝見出来ることでしょう。いま盛んに利用が広まっていますインターネットで【関東地区高校アメリカンフットボール】のホームページを公開されており、試合が終了したその日の夜には速報をながしています。高校スポーツは新聞などで取り上げられることが殆ど無いだけに貴重な情報源となっております。アクセス出来る方は一度御覧ください。

アドレスは、http://www.asahi-net.or.jp/~bz4h-nnkb/index.htmlです。

 

  

43期 小柳 佳久 (1991年卒業)

 私だけではなく、ほとんどの仲間達がそうであったと思うが、アメリカンフットボールについては何も知らなかったはずである。そう、あの日説明会に集まっただけでも奇跡としかいいようのないことだったのである。 無知というのは恐ろしいものであるが、その理由の分からない自信と好奇心があったからこそ、私たちは続けていけたのであり、そして今も続いているのかもしれない。

 今、社会に出てよく思うのであるが、確かな自信を持った人間がはたして何人いるだろうか。 死ぬまで果てしなく続いていく人生というシビアなゲームのなかで、目標の持ち方さえわからない人間が何人いるだろうか・・・。こんな時、私はいつも考えることがあるのである。

 私たち、43期生は西高アメフト部の歴史のなかでも、最も部員数の多いときに入部した。全学年を合わせると90人ぐらいはいたと思う。もともと人数が必要なスポーツではあるが、あの大勢をまとめるのにはコーチ陣も相当の苦労があったと思う。だが、当の本人たちは十二分に楽しんでいたのだと今更ながら思う。いろいろな人間がいた。練習以外ではあまり話をしない奴もいた。用もないのにいつも一緒にいた奴もいた。今思っても不思議な関係であった。みんなアメフト以外にどんな可能性を持っているのか、どんな世界を持っているのか、正直言ってあのころははっきりとはしていなかったと思う。それだけに私たち43期生にとっては、アメフトは唯一伝わる言語のようなものだったのである。

 ある日のミーティングのことだった。確か秋の大会の最中だったと思う。出てくる問題は毎回(もしかしたら毎年なのかもしれないが)大会中の集中力の保ち方のことだった。そのときコーチの言った言葉が頭からいまだに離れないのである。そのコーチはチームのまとまりのために次のようなことを私たちに話したのである「この部にはいろいろな人間が集まっている。各自様々な理由や信念をもってこの部に入部したに違いない。女にもてたい。強い体を作りたい。かっこよくなりたい等あると思う。だがこの部が心底嫌いで入ってきた奴は一人もいないはずだ。そこで考えてほしい。今言ったような願望をこの部で叶えるには、試合に勝って行くしかないだろう。試合に勝てば、また一週間後に試合ができる。ということはまた一週間練習ができる。そうやって続いていけば、女にももてるようになるかもしれないし、体も強くなると思う。」

 この話を聞いたときに私は、自主性に任せるという西高アメフト部の姿を見たような気がしたのである。そして私たちは(43期はこのとき2年生であったが)東京都制覇という偉業を成し遂げたのであった。決して押さえつけるのではなく、道の途中に立って手を引くでもなく、常にヒントを与え、個人を大切にする我が部の素晴らしきところであると思うのである。このような環境で3年間をともに過ごしてきた仲間たちが、卒業しても続いているのは当然なのである。

 私自身アメフトが直接、今の生活に恵みをもたらしているとは決して思わない。むしろ古傷が痛み、運動の制限をせざるをえないということもある。しかし、高校時代に学んだこと、すなわち、・・・大勢の中の一人ではあるが決して自分を捨てるということではなく、自分をしっかりと持ちながら、共通の目標に突き進む・・・このことは今思ってもとてもよかったことなのである。

 歳をとるにつれ、素晴らしかった思い出は年々姿を変え、私たちにより素晴らしいものを与えてくれる。ただいくら歳をとっても変わらない素晴らしいものは、会えばすぐに当時のあだ名で呼び合える仲間たちである。そしていつまでも変わらない、西高アメリカンフットボール部なのである。これからも永遠に続くことを願いたい。

『西高アメリカンフットボール部50周年記念誌』から掲載

 

 

45期 日置 貴之(1993年卒業)

 僕たち45期はチーム結成当時、主将をめぐる部内での葛藤から始まり、コーチは未定、練習は手探りといった、まさに「ゼロからの出発」でした。しかし、誰もが一回戦敗退と予想していた春季大会では関東準決勝進出、また初戦でいきなり優勝候補と対決した秋季大会では全国選手権大会まで駒を進めました。苦しいシーズンを戦い抜き、結果として西高アメフト部の歴史に輝かしい戦績を残せたのは、「この仲間と一緒に西高でアメフトを続けていきたい」という強い意思と絆があったからです。「プライド・オブ・西」は確実に受け継がれました。公式戦14試合を戦い抜いた「熱き獅子達」の365日。

 7月最初の土曜日、チームは震撼した。この日、僕たちの最初の相手は駒場学園に決まったからだ。この年の駒場学園は、前評判も抜群に高く、練習試合では関東大会出場校のほとんどを大差で下していた。我々が目標としていた中大も例外ではなく、駒場に惨敗していた。しかし、目標はただひとつ、まず初戦突破、そして中大を倒し、全国制覇することだ。「気合」のキャプテン荒井を中心にチームはまとまりを取り戻し、練習を繰り返す中で、選手は自信を深め、そしてコーチは勝利のシナリオを練り続けた。都大会一回戦、西高対駒場学園のゲームはやはり駒場の圧倒的な有利で進んでいた。しかしゲームの流れを変えたのは、綿密な下調べによって用意したプレーだった。オフェンスが何とかもぎ取った得点を、ディフェンスが死守し、最後まで食い下がる駒場学園を退け、かけがえのない勝利を手に入れた。その後、西高は勝ち進み、全国選手権大会一回戦に駒を進めた。埼玉栄と対戦したこの試合は、試合終了数秒前に西高が敵陣数ヤードまで攻め込み、逆転に望みを託すがゴール寸前で止められ、45期はその長い、険しいシーズンを終えたのであった。

 目標は果たせなかったが、僕たちが得たものは大きい。勝負は一度負けたら後はない。アメフトを続けるには勝つしかない。そんな状況での勝利は、勝つことの喜びだけでなく、我々にフットボールを続けられることがどんなに幸せなことかを教えてくれた。そして何よりも、最後まで同じ目標のために闘ったかけがえのない仲間を与えてくれた。全員の心の中に「プライド・オブ・西」を刻み込んだのであった。今でも僕たちは兄弟のようにつきあい、絆はますます深まっている。

 最後にこの場を借りて、選手をしっかり支えてくれたマネージャー、最後までともに闘ったコーチの方々、そして何よりも父兄の方々と、都立西高校自身に心から感謝します。

『西高アメリカンフットボール部50周年記念誌』より掲載

 

 

49期 黛 拓郎(1997年卒業)【東京大学ウォリアーズ】 

 将来の夢なんて何も持っていなかった。

 行きたい大学なんてもちろんなかった。

 西高入学当初の僕は、中学でやっていたバスケットボールをやめ、高校生活はバイトに明け暮れようと思っていた。

 人生何とかなるもんだ、と考えていた。無為の日々だった。

 ところがひょんなことから、僕はアメフト部に入部することになった。既にアメフト部に入っていた同じクラスの友達が、 ”ちょっと練習見ていきなよ”、と言ったので、どうせ暇だし、と思って何気なくアメフト部の練習を見ていた。すると、部のコーチと思われる人がよってきた。”ちょっと練習やってみない”、と言われた僕は、どうせ暇だし、と再び思い、何と私服のまま練習に入った。はじめてやるアメフトは、純粋に楽しかった。変な形のボールをキャッチしたり、そのボールを持って走ったりすることで、少なからず、僕の胸は高鳴った。次の日、先の友達が ”アメフトの専門店に行くんだけど一緒に行かない?”と言って来た。今度は、どうせ暇だし、とは思わなかった。少し興味があった。その店での僕の記憶は、不思議なことに残っていない。僕が気が付くとアメフトの防具が入った赤いバッグを持たされていた。アメフトに興味はあったものの、入部の意思は全くなかった僕が、いつのまにか入部することになってしまっていたのである。だまされた!  と思った。だがこの日が「人生が変わった」一日であった。

 このようにして入部した僕ではあったが、フットボールは楽しく、練習は苦にはならなかった。そうして2年時からスターターとなり、3年になった時には、主将をつとめることになった。

 主将となってまずはじめに感じたことといえば、西高フットボール部の伝統の重みであった。平成元年度に東京都で優勝したのをはじめ、全国大会、関東大会への出場回数は数知れず、日本のフットボール界を西高卒業生が背負っているという事実は、想像以上に重かった。”西高史上最弱のチームになるのは何としても避けよう”、というのが僕たち49期の最初の合言葉だった。それが終わってみれば、春の大会は東京都優勝校に惜敗しての都ベスト8、秋の大会は全国17位まで上りつめるところまでチームは成長した。

 西高のフットボールは他の部とは違って、単なる「部活」と言う意識で活動しているわけではない。運動を適度にやれて友達と楽しく練習することのできる放課後のちょっとした部活動、ではないのである。西高フットボール部はアメフトにおいて勝つことを第一目的とし、そのために自分を鍛え、練習してゆく一集団なのだ。新入生の皆さんがアメフト部に入部すれば、「勝たねばならない、勝たねば意味がない」というプレッシャーのもと日々練習していくことになる。もちろん楽なことではない。辛い、逃げたい、というときもある。だがそれを乗り越えて勝利を得たときの喜びに価値をもとめるべきである。勝利を勝ち取った時、1つのことを成し遂げたことに対する自身、一段階成長した精神力、チーム内での自分の存在価値、といったものを感じ取るであろう。

 僕は高校3年間のアメフト生活で、自分の存在意義をアメフトにおいて見いだした。

そうして自然と、大学でもフットボールをやろうと考えるようになった。受験する大学を選ぶ際、フットボールの強い大学ばかり選んだ。

 こうして現在僕は、東京大学アメリカンフットボール部 Warriors でプレーを続けている。将来の夢もなく、行きたい大学もなかった僕が、アメフトをずっと続けたいと思い、そのために東大に行きたいと思い、そして合格することができたのは、言うまでもない、西高アメフト部で一つのことを成し遂げることの大切さを知り、そのために目前の全てのことに一生懸命に、一切の妥協もなく取り組むことができるようになったからである。

 これから高校に入ろうとしている皆さんは、勉強面において多大な努力をされていることと思う。そこで、それだけ努力できる力を今度は是非とも西高に入ってアメフトに向けてもらいたい。新しい自分の可能性、あるいは新しい人生を見つけることができるはずである。最高の青春を手に入れていただきたい。

 

 

49期 飛永 康輔(1997年卒業) 

 私は西高アメリカンフットボール部の魅力について話したいと思います。まず、この学校でのクラブ活動の中では全国大会に出場出来る可能性が最も高い部活であるといえるでしょう。さらに個人でもオールTokyo、オール関東に選ばれることが可能です。

 そのような部分も大きいのですが、私が強調したいのは少し別の部分にあります。自分の経験でしか言えないのですが、私がこの部活で得たものは数えきれません。自信、プライド、一つの目標に向かって練習した仲間、等々ちょっと言葉にするには多すぎるくらいの沢山の想いがあります。このような文章を書いているのも、一人でも多くの人に最高の部で最高のスポーツをしてもらいたいからに他なりません。スポーツという視点から見ても、アメフトは中学校までにあった部活とは一味違います。「究極のスポーツ」と言われている様に体を使うものの頭脳の勝負という面も持ち合わせています。実際に西高は他の私立校より体格は劣るものの戦略で勝ったという試合が少なくありません。

 とにかく言葉で説明するのにも限界があります。ぜひ一度見学しにいって見て下さい。高校で何か自分に残るものをやりたい人、スポーツはあまりやりたくない人、他のスポーツをやろうと思っていた人でもどんな人でもかまいません、初めから決めつけずに一度行って見て下さい。やって見て下さい。決して後悔させません。最高の三年間を約束致します。

 

 

50期 露木 善康(1998年卒業)【慶応大学ユニコーンズ】

 「アメリカンフットボール」そして「西高アメリカンフットボール部」の魅力についてお話ししたいと思います。

 アメフトというのは外見上、体が大きい人にしかできないスポーツと思われがちですが、決してそんなことはありません。ほかのスポーツと比べてポジションの数が多いため、個々の特徴にあったものが見つかります。また、1試合に出場できる人数に制限がないので試合に出られる可能性がほかのスポーツに比べ高いのです。そして、ほかの運動部との一番の違いは全員未経験者だということです。だから、今まで全くスポーツなどしたことのない人も運動部でバリバリやっていた人もスタートラインは同じなのです。

 皆さんは高校生活に対して、さまざまな夢や希望を持っていることと思います。その中でも部活動は高校生活を送るうえで大きな割合を占めるものではないでしょうか。西高に入学したら選択肢の一つとしてアメリカンフットボール部を考えてほしいのです。どの部に入ろうと皆さんの勝手ですが、その部の環境や雰囲気をよく考えてほしいと思います。好きなことをやるにも充実した高校生活を送るにも周りの環境というのはとても大切です。そういった意味で、3年間の高校生活の中でアメフト部というのは僕にとってはなくてはならない存在でした。アメフトはもちろん、アメフト部のやるときにはやるという雰囲気が好きでした。卒業した今でもアメフト部での思い出は心の中に強く残っています。

 ところで、部活動をするとなると学業との両立ということを気にする人がいますがこの点に関しては全く問題はありません。実際、僕は慶應義塾大学理工学部に現役合格することができました。大切なのはやる気と集中力だと思います。これはアメフトでも同じことです。現在は体育会のアメフト部に入って高校の時に果たせなかった日本一という目標に向かって練習しています。大学に行った今でも西高アメフト部で学んだ様々なことはとても役に立っています。

 それでは皆さん、高校に入学したら、悔いの残らないよう充実した日々を送って下さい。

 

 

 50期 山本 章貴(1998年卒業)【京都大学ギャングスターズ】

 私は西高50期出身で現在、京都大学アメリカンフットボール部に所属しています。今回はみなさんに私が感じた「大学でのスポーツ 」についてお話ししたいと思います。

大学は(特に京大は)基本的に自由な時間があり多くのことにエネルギーを注ぐことのできる場であります。それはクラブ活動やボランティア活動であったり、バイトや趣味、旅行、もちろん勉学であったりもします。こうしたことを通じてさまざまな魅力ある人々に出会うことのできるのもまた貴重な体験です。ここで大学でのスポーツを考えてみると、それは、数少ない自己発見のチャンスの一つであると思います。スポーツは努力したからといって必ず成功するもの ではありません。そこでは肉体的にも、精神的にも自らの限界に 気づくことがあります。しかし、ここで自らを見つめ直し、その壁を 打ち破ったとき今まで認識不可能だった新たな自己の発見へと つながります。自己探求を繰り返し、強く、魅力的な人になった自分を 想像するのは、わくわくしませんか? 確に限界を打ち破ることは非常にエネルギーのいることで、とてもしんどいことですが大学生活でしか 出来ないことだとおもって日々取り組んでいます。

 ここで少し京大のアメフト部の宣伝をさせていただきます。関西ではアメリカンフットボールが大学スポーツの中でもっとも人気があり、 試合の観客数は万単位でテレビ放送もあります。我が部は スポーツ推薦で有能な選手を集める有力大学を次々と破り、何度も 学生日本一に輝いています。昨年は2位に終わったものの、チーム一丸となって、日本一目指して頑張っています。

 最後に、みなさんが、このホームページをご覧になって少しでもアメリカン フットボールに興味をもって頂ければ幸いです。西高アメリカンフットボール部への入部を心からお薦めします。

 

 

50期 平岡 成太(1998年卒業)

「アメリカンフットボールは格闘技だ」といわれるのをよく耳にする。確かに頑強なアスリート達が防具に身を固め、激しくぶつかり合うさまを見れば納得できるし、その通りであろう。パワー対パワー、スピード対スピードの攻防は見るものに強烈なインパクトを与え、興奮させてくれる。ただ、その裏でサイドラインを含めた熾烈な頭脳戦が繰り広げら得ていることも忘れてはならない。

 私は大学時代、部のアナライジズスタッフというパートのチーフとして、対戦相手のプレイ分析を中心に、コーチとともに作戦の立案等にも関わっていた。大学ならばどこも同じだとは思うが、シーズン中ともなればオフの日は無いようなもので、試合が終わった後にクラブハウスに戻り、深夜遅くまでセルフスカウティング等を行い翌日のミーティングに備えた。対戦相手の試合も同様に行うわけだから、家に帰るのは朝方ということも多々あった。対戦相手のデータもコンピュータは使うものの、ビデオを見るものが中心なので4年間でいったいどれほどの試合を見たかは自分でもわからない。おかげで、アメフトを純粋に見て楽しむことがあまりなくなってしまったが、日本一も経験出来たので今となっては良い思い出だ。

 映像というものは正直で、見れば見るほど相手のことがわかってくるし、見落としていたものも何度も繰り返し見ることで、ふと気づくことも多い。ラインのステップにしても癖が見えてくるし、少しのポジショニングの差を見抜いてプレイの傾向がわかることもある。他のスポーツのことは詳しくわからないが、アメフトほどビデオを大事にするスポーツは無いと思う。自らのプレイのチェックから、対面の動きまでビデオを多く見たほうが勝利により近づくことは間違いない。現役のプレーヤー諸君は普段からビデオをしっかりと見る癖を身に付けてほしい。もちろん、ただダラダラ見ていては意味が無いので、ポイントを絞って細かいところまでしっかりと見ることが重要である。「敵を知り己を知れば、百戦危うからず」を実践してほしい。 

 

 

51期 宗像 剛(1999年卒業)【東工大バッファローズ】

 西高OWLSにお世話になりました51期の宗像です。現在は東工大バッファローズでプレーしています。

 我々東工大バッファローズは現在関東大学アメリカンフットボールの2部リーグに所属しています。そこで我々は人数が少ないながらも一部昇格を目指して日々練習に励んでいます。昨年僕は一年生でしたが西高での経験を買ってもらい公式戦7試合の内2試合にスタメン出場しました。去年のチーム成績は2勝5敗と2部残留がぎりぎりでしたが、勝ったときの喜びは格別なものでした。

 アメリカンフットボールというスポーツはとても奥の深いのでこのスポーツを初めて5年経った今でも向上心をもってアメフトに励んでいます。皆さんも常により強く、目標を高くもって日頃の練習と試合に望んでください。2度とない高校生活をすばらしい仲間と実り多い部活をおくられることを祈っています。

 

                                      

52期 椿 俊太郎(2000年卒業)【京都大学ギャングスターズ】

 西高アメリカンフットボール部で体験したことについて話そうと思います。

 私は高校入学時、身長は184cmあったものの体重は65kgしかなく、ひょろひょろのもやしのような体型でした。筋肉も全然なくて、入部当初はベンチプレスも40 kgぐらいしか挙がりませんでした。しかし、3年間の厳しい練習とトレーニングの結果、体重は85 kgになり、ベンチプレスも105 kgを挙げるまでになりました。このことにより、自らの挑戦によって自己をより高められるという自信を得ました。このような例は僕だけのことに限ったことではなく、3年間フットボールを続けた選手は皆心身共に入部当初とは見違えるほど逞しくなります。

 現在、私は京都大学ギャングスターズでプレーしていますが、この「自分を変えられる」という自信は、日々の新たな自己を発見するチャレンジの大きな土台となっています。