右太もも裏肉離れでWBC日本代表から外れた横浜の村田修一内野手(28)が21日夕、成田空港着の日航機で帰国した。22日にも横浜市内の病院で精密検査を受ける予定だが、開幕戦(4月3日、中日戦=ナゴヤドーム)への出場は絶望的で、チームへの戦列復帰は5月になる見込み。
[フォト]自力で歩けず、コーチらに支えられ退場する村田
車いす姿で空港の到着ロビーで会見した村田は「(代表)チームに残って、機会を見て出場できればよかったけど、症状が思ったよりよくなかった。動けないのであれば、残って周りの人にいろいろ考えさせるより、治療に専念しようと思った。途中で帰ってきたのは残念だけど、やり切ったとの思いはある。悔いはない」と気丈に話した。
村田が負傷したのは、日本時間20日に行われた2次ラウンド1組1位決定戦の韓国戦の四回。右中間へ安打を放った後の走塁中だった。「二塁に行けると思って一塁ベースの手前で(足の)ギアを入れ替えたらブチッときた。それまで動けていたし、どこにもおかしなところはなかったのだけど…」。必死の走塁で許容量を超える負荷が右足にかかった。一塁をオーバーラン後、しばらく帰塁できないほどの痛みに襲われた。
肉離れは自身初めて。機中でアイシングや電気治療を行い、「痛みは少し和らいだ」というものの、歩くことすらままならない。負傷した試合の最中に診察を受けた医師からは、筋肉が完全に断裂している、と告げられたという。
今季から横浜の選手会長に就任した。長期離脱が確実な状況に心の痛みは大きい。「けがをしてしまって、出場を認めてくれた球団には申し訳ない。検査してみないとわからないけど、開幕は無理でしょう。チームに戻れるのは5月になるかもしれない。その間に若い選手が伸びてくれればいい。(2軍の)シーレックスのユニホームを着て、その姿を見守りたい。だれが(1軍で)サードを守るのか。期待しています」
北京五輪では体調不良から大ブレーキとなったが、今回のWBCは打率3割2分で、チーム最多の2本塁打、7打点をマークして中心打者の役割を果たした。「最後はこうなって成功とは言い切れない。ただ、ホームランも出たし、結果としてはよかった。全力を出し切ったし、悔いは残っていない」。北京で受けた屈辱は清算した。
韓国戦の途中に球場を後にしたため、帰国を伝えた選手は少ない。「まだ、(横浜で同僚の)内川が残っているし、みんな調子がいい。若い選手たちが、次の大会にも出たいと思うような結果で帰ってきてほしい。みんなで頂点を目指して頑張ってほしい」。無念の思いを押し殺し、米国との準決勝を控える日本代表にエールを送って迎えの車に乗り込んだ。(佐藤正弘)
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