村井仁知事の側近だった県参事の右近謙一氏(59)が24日、長野市内で自殺した事件は、県庁や関係者らの間に波紋を広げた。東京地検特捜部から参考人として複数回にわたり聴取されていたことも判明、村井仁知事は「何が起きたのか分からない」と困惑。20年以上支えた「側近中の側近」(県幹部)の“醜聞”は、今後の県政運営などに影を落とす可能性もある。
関係者によると、右近氏は、準大手ゼネコン「西松建設」を巡る捜査で、事情を聴かれていたとみられる。
知事は登庁した25日朝、報道陣に「金曜日に会ったのが最後。何が何だか分からない。言葉を失っている。片腕をなくしたような思いだ」と憔悴(しょうすい)した表情で語った。その後、県議会代表質問初日の答弁を淡々とこなした。
午後になって、東京地検特捜部による聴取の事実が伝えられると、知事は「知らない」と明言。同時に、政治資金管理団体の取り扱いについても「私の事務所は厳密だ。秘書が自由にできる分はない」と述べた。
右近氏は86年、航空自衛隊を経て、知事の衆院議員時代の公設秘書に転身。知事に転出後の06年12月、県参事として11年3月までの期限付きで採用された。危機管理や国との連絡などを担当、最近も佐久総合病院移転再構築問題などにかかわったという。
右近氏の県職員採用時、知事は県議会から「側近政治」などと強い反発を受けた。自民党県連の石田治一郎幹事長は「採用時は反対したが、(就任後)2年余り、よくやっていた。知事もショックだろう」と気遣った。一方、民主党県連の倉田竜彦幹事長は「何かに追い込まれていたのか。知事の懐刀としての役割を果たしていた」と自殺をいぶかった。
ある県庁幹部も「明るい人。高圧的なところはなかった」と語った。【竹内良和、神崎修一、大平明日香】
毎日新聞 2009年2月26日 地方版