斉藤守彦の「特殊映像ラボラトリー」
第4回 私論:平成仮面ライダー・シリーズとの9年間(1)
「クウガ」~「龍騎」
斉藤守彦
「仮面ライダークウガ」から始まった、平成仮面ライダー・シリーズも10周年。1月25日からスタートする「仮面ライダーディケイド」は、その10周年を記念したもので、クウガからキバまでの、歴代ヒーローが登場するという。
そこで思い立った。
この9年間、毎週ビデオのタイマー録画やDVDで見てきた、平成ライダー・シリーズを自分なりに総括というか、今日の視点からインプレッションをまとめてみるのも、また面白いのではないだろうか。9年間という期間を視聴者としての視点で、でも多少のビジネス的な要素も含めて、なんだかんだと語っていこうと決めたのである。あくまで「私論」なので、世間一般の評価とは違うところもあると思うが、それはそれ。そうしたギャップこそを楽しんでいただければ幸いである。
☆完全独走。俺が変えてやる。
「仮面ライダークウガ」
【DATA】
●オンエア期間=2000年1月30日〜2001年1月21日。全49話
●最高視聴率=11.8% 2001年1月21日(EPISODE49「雄介」)
【9years after impression】
●「仮面ライダーBLACK RX」以来11年ぶりとなるTVシリーズ版ライダーは、「もし、現実社会に怪人が出現したら?」を徹底したリアリティで追求。高寺成紀プロデューサーとスタッフが、妥協とご都合主義を避ける姿勢で臨んだことがうかがえる。
●あくびと青空が似合う主人公・五代雄介にはオダギリジョーが扮し、昭和ライダーの“孤独を背負った復讐者”的イメージを一新。とことん明るい性格の、前向きでいいヤツというヒーロー像を確立した。これは「クウガ」以降のシリーズ「アギト」「龍騎」にも踏襲されているが、オダギリの演技と個性が、その基盤を作ったと見て間違いなかろう。もはや「哀しみを乗り越えて、ひとり戦う」ヒーローは、時代に合わなくなってきたのか。それともバブル崩壊後の、どんづまりな世相を打ち破る狙いか。
●驚いたのは、怪人たちが主人公の拠点である喫茶店「ポレポレ」を襲撃しないことだ。またグロンギは、幼稚園を襲撃したり、川に毒を流したりという、かつてのショッカーが積極的に行った、極小規模な(セコい)侵略行為を行わない。雄介の妹・みのりもおやっさんも敵に囚われて人質になったりしないし、それを助けるべくライダーがアジトに乗り込むこともない。それが理由か、ライダー・シリーズに不可欠な、おやっさんの存在が「クウガ」では、単なるギャグメーカー的役割になってしまい、役名も「おやっさん」のまま。本名が明かされるのは最終回であった。これは立花藤兵衛が果たしていた指導者的役割を、一条刑事が果たしているからか。あるいは雄介が、精神的なヘルプを必要とせず、自らの力で困難を乗り切ることが出来る主人公だからそうなのか?いずれにせよ「クウガ」における「おやっさん」は、一種の記号的存在にすぎないのかもしれない。
●ドラマ演出に力を入れた「クウガ」だが、最終回直前というタイミングで、科警研・榎田ひかりが母親として苦悩するエピソートをオンエアしたことには、心底驚いた(EPISODE46「不屈」)。榎田を単なる脇キャラのひとりではなく、“家庭を持って戦っている”人物であることを、改めて強調。怪人とヒーローだけの戦いに終始しがちなシリーズに、ホモ・サピエンスの血を通わせることに成功している。
☆「誰も、人の未来を奪うことは出来ない!!」
「仮面ライダーアギト」
【DATA】
●オンエア期間=2001年1月28日〜2002年1月27日。全51話+「仮面ライダーアギトスペシャル・新たなる変身」
●最高視聴率=13.9% 2001年4月15日(第12話)
●映画=「劇場版 仮面ライダーアギト/PROJECT G4」2001年9月22日公開。興行収入12.5億円
【8years after impression】
●「クウガ」の世界観を踏襲しつつ、「クウガ」には希薄だった科学性を導入し、またアギト、G3、ギルスの3人のライダーを登場させ、それぞれのドラマを展開し、リンクさせることで作品世界の奥行きを広く見せた。
●石ノ森章太郎による“原作版”「仮面ライダー」や諸作品のテイストを取り入れていることも、大きな特徴だ。「仮面ライダー」「サイボーグ009」の主人公たちは悪の組織と戦うものの、そもそもがその「悪」の尖兵として誕生した経緯をたどっており、それが石ノ森作品に時折登場する“肉親との戦い”“親殺し”にも通底する。「仮面ライダーアギト」では、敵サイドの背景として、“光と闇の戦い”の一端としてアンノウンが人類抹殺を企てる、と定義しているあたりは、石ノ森テイストのバリエーションと解釈できよう。アギトたちが戦うアンノウンと呼ばれる未確認生命体を操っていたのが、実は人類の造物主であったという展開には驚愕!!
●その割には、光と闇の戦いの描写が、セーター着たふたりの青年が草っ原で手から光を出し合っているだけというあたりは、苦笑するしかないが…。
●オンエア当時、筆者は「人造人間キカイダー・トリビュート」というムックの取材・執筆をしていたが、ここに「神の涙」と題し、石ノ森作品における“親殺し”の存在と描写について論考を書いたが、その執筆の最中、“造物主との戦い”がまさにアギトで行われていたのには、再び驚愕!!
●ラスト5話(47~51)は、アンノウンを殲滅し、新たな道を進む翔一、涼たちの日常を描いているが、どこか付け足し的なドラマ展開に、オンエア当時は鼻白んだ。ところが今日再見すると、この5話分が重要な役割を果たしていることが分かる。「アンノウンを殲滅したものの、これからの社会を支配するのは、アギト化した人種ではないか?」との危機感を抱いた警察官僚が対策に乗り出すという展開は、実はあらゆるヒーローものが、“最終回後の可能性”として秘めている要素であり、そこに踏み込んだ野心と見識は、高く評価すべきだろう。この5話だけで1クールを割くほどのドラマが展開出来るとは思うが、それはそれで「仮面ライダー」のフォーマットから逸脱してしまう…。
●最高視聴率13.9%は、「キバ」終了時点における、平成ライダー・シリーズの最高記録。
☆「なんでだよ…!!」
「仮面ライダー龍騎」
【DATA】
●オンエア期間=2002年2月3日〜2003年1月19日。全50話+「仮面ライダー龍騎スペシャル・13RIDERS」
●最高視聴率=12.9% 2002年2月17日(第3話)
●映画=「劇場版 仮面ライダー龍騎/EPISODE FINAL」2002年8月17日公開。興行収入14.3億円
【7years after impression】
●その斬新なデザインから、筆者の周囲では「まるで電線マン」と評された新ライダー・龍騎。内容に関しても、13人のライダーが登場しバトルロワイヤルを繰り広げるストーリーと聞き、大いに不安が募った。そこには石ノ森章太郎原作の残像はなく、ヒット・キャラクターの地位を確立した「仮面ライダー」を、独自の戦略によって成功を収めようという、強いビジネス意図がかいま見えたからだ。
●内容面で特筆すべきは、スーツアクターと俳優たちの演技の違和感のなさである。これは「クウガ」「アギト」とシリーズを重ねてきた成果であり、例えば仮面ライダー王蛇に変身する浅倉威のクセを、変身後の王蛇が引き継いでいたり。これはスーツアクターと俳優が一体化して、初めてひとりのキャラクターを形成するという演出意図に基づくものだろう。平成ライダー・シリーズは、本編監督とアクション監督、特撮監督の3人の監督の手で創られるのだが、3人の監督たちの役割分担とコミュニケーションがうまく行っているからこそ可能となる作業であることは言うまでもない。
●しかしながら、ストーリー面では不満が残る。ライダーバトルの舞台となるミラーワールド。その謎を握る神崎士郎と妹・由衣とモンスターたちとの関係など、今ひとつ釈然としないうちに最終回を迎えた印象が強い。世界観の謎を追う形で進んでいても、メインイベントたるライダーバトルが始まるや、思考停止とばかりにストーリーの進行がストップしてしまうのはいただけなかった。
●劇場版において最終回を先行公開するという大胆な戦略は、大いに話題を集めたが、結果的にこの劇場版がシリーズ構成に絡んでくることで、説明を要する箇所が増えるにも関わらず、そうした複雑さが映像的にもストーリー的にも解消されたとは言いがたい。
●「クウガ」以来のイケメン俳優起用も、今回は選り取り見取りの豊富さで、犯罪者やら悪徳弁護士やら会社経営者やら占い師やら、バラエティに富んだキャラクターを、新人・中堅俳優たちが演じて見せた。中でも筆者のお気に入りは、アナザーアギトに続く中年ライダー(?)=オルタナティブ・ゼロの存在だ。その高い知性と、持って回ったもの言いが、若いライダーたちの中で異彩を放っていた。
私論:平成仮面ライダー・シリーズとの9年間(2) 「555(ファイズ)」~「ヒビキ」
私論:平成仮面ライダー・シリーズとの9年間(3) 「カブト」~「キバ」
[筆者の紹介]
斉藤守彦
1961年生れ。静岡県浜松市出身。
映画業界紙記者、編集長の経験の後、映画ジャーナリスト、アナリストとして独立。「INVITATION」誌で「映画経済スタジアム」を連載するほか、多数のメディアで執筆。データを基にした映画業界分析に定評がある。「宇宙船」「スターログ日本版」等の雑誌に寄稿するなど、特撮映画は特に得意な分野としている。
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