2008年11月12日 (水)視点・論点 「貧困大国の未来」

ジャーナリスト 堤 未果

こんばんは。先日アメリカで初の黒人大統領が誕生しました。草の根民主主義の象徴と言われた若いオバマ大統領に人々がたくしたのは「チェンジ」、アメリカという国の「方向転換」でした。
オバマ氏の描いた「全ての人種のためのアメリカ」という夢は、政治離れした若者を投票所に向かわせ、過去三十年で最も高い投票率を達成、そして又公民権運動からたった半世紀しか経っていないあの国で、人種の壁を乗り越えた彼の勝利は世界中に希望を与えました。
「どうにかして変わりたい」と国民がそこまで切実に願ったその背景には一体何があったのでしょうか?
泥沼化したイラク戦争と金融危機、拡大する貧困層、医療難民、失業者、ホームレスなど、先進国でいながらあたりまえの暮らしができない国民が急増し、社会の土台が崩壊しつつあるアメリカ。一体この国は何故、こんな風になってしまったのでしょうか?
よく格差はグローバル化や技術革新といった、経済における自然現象のように言われますが、9・11以降のアメリカを見るとこの格差というものが実は政策によって作り出されたものである事がよくわかります。
9・11直後、メディアが流す「テロとの戦い」という言葉に恐怖をあおられた国民が戦争に向かって走り出し、アメリカの軍事費は一気にはねあがり、国が恐怖で支配されていく中急激に進められた3つの政策がありました。社会保障費の削減、個人情報の一元化、そして民営化です。
社会保障費の削減政策では「自己責任」の言葉のもとで、失業保険やホームレス支援、公的医療保障や教育予算が削られ、セイフティネットが消滅していきました。そしてまた、国民のいのちをあずかる災害対策機関や軍、公立の学校など、今まで国が責任を持っていた部分に、コスト削減と効率の名目で民営化がすすめられました。
こうして「市場原理」が国の隅々にまで導入された結果、一体何が起こったのか?例えば労働市場では、激しい競争の中で生き残るため企業が人件費を削減、その結果低学歴層だけでなく、大卒の社員もリストラされ貧困層に転落するようになりました。
社会保障の削減によって失業保険や就労支援サービスが減らされ、一度放り出されると再び労働市場に戻るのは非常に厳しくなり、今アメリカでは年間100万人出る失業者の44%がホワイトカラーという状況になっています。
アメリカは日本と違い医療が民営化されていて医療費も保険料も非常に高い、そのため高額な従業員向け医療保険もコスト削減で廃止する企業が増え始め、今医療保険を提供する企業は全体のわずか63%です。会社員でありながら民間の医療保険に入らなければならない人々は収入の中から高い医療保険を払わなければならず、一度病気をすれば高額な医療費が原因で借金を抱えたり破産するケースも珍しくありません。
医療現場では競争に放り込まれた病院が非営利から株式会社経営に切りかえることを余儀なくされます。その結果、効率と利益拡大を目的とする医療保険業界の要求を受けて人件費削減や診療時間短縮などが行われ、過剰労働で心と体を病んでしまう医師や、医療訴訟保険料が払いきれずに廃業する医師が増えています。その結果医療難民の数は増え続け、全く保険を持たない国民は4700万人を超えました。
教育現場では「落ちこぼれゼロ法」という教育改革のもとで競争が導入され、「全国一斉学力テスト」が義務化されました。テストの結果によって予算に格差がつけられるというこのシステムの下で追いつめられた教師はやはり過労や鬱になり、そのしわ寄せを受けた生徒達は又、教育予算削減で縮小された奨学金枠や、値上がりした授業料による借金に苦しめられ、教育格差が広がっています。
こうして国が責任を持つべき部分の民営化とセイフティネット削減の結果生み出された貧困層の人たちの情報が、三大政策のうちの二つ目、個人情報一元化によって派遣会社や軍に流れます。
ワーキングプアには派遣会社からの勧誘が、貧困層の子供達には軍のリクルーターからそれぞれ勧誘がくるのですが、どちらも条件は素晴らしく、派遣社員には普通では稼げない高給を、貧困層の若者には大学費用や医療保険の提供を条件に次々に勧誘がされ、それらの人々はイラクに送りこまれ戦争を支える駒になっています。
アメリカは1973年に徴兵制が廃止され志願制になりましたが、このように実質的には「経済的徴兵制」になっています。「経済的徴兵制」とは、かつてのように戦争が国を貧しくするのではなく、政府が政策によって自国の中に貧困層を作り出し、人々が生きのびる選択肢の一つとして戦争を選ばざるをえないシステムのことです。過度な新自由主義をすすめ、いのちや教育、くらしなど、国が責任をもつべき個所まで市場原理にさらし、戦争までも民営化してしまった国の姿、それが今のアメリカです。
人々が政治に不信感を持った時、民営化という言葉はサービスの質をあげ、効率よく無駄をなくし、誰もに機会の平等を与える夢のような言葉に聞こえます。でも今のアメリカを見ていると、絶対に民営化してはいけない場所があることがよくわかります。
例えば国民のいのちに関わる医療、子供達の未来に関わる教育、人々のくらしに関わる労働現場、つまり日本でいう憲法25条の生存権、ここはどんなことがあっても国が守らなければいけない、民間に委ねて責任の所在をわからなくしてはいけない場所なのです。
誰もが健やかに生きられ、子供達が未来に夢を持ちながらのびのびと学べ、労働者が誇りを持って働ける、そんな誰もが望む社会を次世代に手渡すために国民は税金を払い政府に国の将来をたくすのです。
私が取材した多くのアメリカ人は、ここまで拡大した格差は、それに気づかず民営化を称賛した自分たちの無知が生み出したものだと言っていました。
2009年度のアメリカの軍事予算は6000億ドル、金融危機救済の公的資金の7000億ドルも来年新たに破たんする100万件のサブプライムローンによって更に増額が予想されています。「ウォール街救済」と「テロとの戦い」を優先事項に掲げるオバマ大統領が、貧困大国アメリカを救うには、今の「戦争経済路線」を転換し、国民の生存権に関わる場所を民間ではなく国が責任を持って支える社会保障体制」これを構築できるかどうかにかかっています。
貧困大国アメリカの未来。そのカギを握るのは大統領の肌の色ではなく「国とは何か」という問いに対し有権者が選ぶ答えではないでしょうか。
どんな社会を望むのか、そのために国はどこまで市場にゆだね、どこまで責任をもって国民を守るのか?そしてそれは私たちにとっても決して他人事ではなく、今のアメリカの姿は、私達がそれを合わせ鏡にして「人間にとって本当に幸せなのは一体どんな社会なのか?」「私達は一体どちらの道を選ぶのか」それを考える大きなチャンス、ターニングポイントであるように思います。

投稿者:管理人 | 投稿時間:23:34

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