斉藤守彦の「特殊映像ラボラトリー」
第6回 クールアニメ・マーケティング・ヒストリー(3)中編
誰もがこの映画の幸福を願い、ベストをつくした「時をかける少女」。
斉藤守彦
【夏の映画にこだわりましょう」という決定のバックグラウンド】
「この映画は夏に公開しよう。夏の映画ということにこだわりましょう、ということを、細田監督とプロデューサーが合意した」という有名なエピソードが、「時をかける少女」には存在する。作品が完成して、わずか1週間後の公開。なぜそこまで、慌ただしく事を運ぶのか。それは、「時をかける少女」という作品がそうさせたと言える。息を切らして全力で走るヒロイン・真琴の姿は、落ち葉が舞い散る秋口ではなく、太陽が照りつける夏こそが相応しい。つまり、作品の持つ「季節感」を重視すれば、この決定は絶対に譲れないものだったのだ。
数種類刊行されている「時をかける少女」の関連書籍に掲載された、細田監督やプロデューサーのコメントを読むと、その決定は彼らだけではなく製作委員会そのものの合意として貫かれたという。では作品を実際に映画館にセールスし、ブッキングする立場である配給会社はどうであったのか?
「夏休みに、テアトル新宿を中心にした、小規模公開から徐々にブッキングを広げていく。それは、そういう方法論しかとれなかった、という事情もあるんだよ」。
そう語るのは、当時角川ヘラルド映画で映画営業を統括していた、荻野和仁(現・角川映画常務取締役営業統括)だ。
「『時をかける少女』の製作費は2億7000万円。しかしP&Aは5000万円しかなかったんです。製作委員会の意向としては、全国50ブックでの上映だったけど、夏休みシーズンに、このP&Aでは難しい。それでああいうやり方を提案したわけです」
P&Aとは、プリント・アンド・アドバタイジングのことを指す。一般的には、完成した映画は自動的に映画館で上映されると思われているようだが、それは違う。まずマスター・フィルムから上映用のプリントを焼かなければならない。
現像所に発注して、2時間の映画のプリントを1本焼いた場合、その費用は30万円ほどだという。そのプリント代に加えて、アドバタイジング、つまり広告出稿のための費用も必要になる。映画の宣伝手法は、アドバタイジング、パブリシティ、プロモーションの3つに大別されるが、このうち中心になるのがアドバタイジングによる作品の公開告知であり、新聞・雑誌への広告出稿やTVスポット放映などを行わずに商業映画を公開することは、通常あり得ない。
「5000万円のP&Aならば、20〜30スクリーン程度のマーケットが適正規模」とは、他の配給関係者の弁。だがそれも、映画館のスケジュールが空いていれば、という前提の上でだ。夏休みのように、各社の目玉作品がシネコンにズラリと並んでいる状況では、その中に割り込むことは困難だ。2006年の夏休み興行はといえば、まさに群雄割拠。「パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト」「M:i:iii」、ピクサーのアニメ映画「カーズ」、日本映画では「ゲド戦記」「ブレイブストーリー」「劇場版ポケットモンスター」、そして「日本沈没」といった、そうそうたる大作・話題作が揃っていた。
外国映画ならば10億円前後の宣伝費をかけ、日本映画では製作委員会のメンバーたるテレビ局の手によって、連日電波を私物化したスポット攻勢や出演者たちの番組出演によって大規模なパブリシティが行われるのが常である。テレビ局が出資しているわけでも、旬の俳優が出演しているわけでもない(アニメだから当然だが)、「時をかける少女」の旗色は明らかに悪かった。
結果的に「時をかける少女」は、都内はテアトル新宿のみ(これはテアトル側から、当面都内はテアトル新宿の独占上映という形をとることを提示された事情もある)、9大都市では名古屋・ゴールド劇場のみ。ローカルではシネプレックス平塚、京成ローザ10、シネプレックス幕張、シネプレックスわかばの計4スクリーンで、7月15日からの上映が決定した。このうちシネプレックスは、角川グループのシネコン会社である角川マルチプレックス・シアターズの経営だ。
7月15日の初日を目指して、全国6スクリーンという規模とはいえ、入れ物は揃った。あとは肝心の中身がどうなるか…。
【七夕の夜の、感動と衝撃】
筆者は「時をかける少女」を、2006年7月7日夜、なかのZEROホールで行われた、完成披露試写会で見ている。作品を鑑賞した後の、心地よい、されど重量級の衝撃と感動は、未だ忘れることが出来ない。小学生時代、NHKの少年ドラマ「タイムトラベラー」と出会い、その原作とノベライズ小説も読破し、もちろん大林宣彦監督版の実写版「時をかける少女」もリアルタイムで鑑賞している。そうした“歴代「時かけ」”の、どれにも似ていない、まったくオリジナルな内容。しかしその根底に流れる少女の思いは、まさしく筒井康隆のジュブナイル小説「時をかける少女」だった。
この披露試写会の、内外での反響は、それは凄まじかったようである。しかしメディアがこぞって「時をかける少女」の話題を取り上げ、月刊誌や週刊誌に好意的な記事が掲載された時、すでに映画は上映中であった。
一方角川ヘラルド映画では、7月15日から、テアトル新宿など6スクリーンでスタートという決定に対して、当時社長だった黒井和男が異論を唱えていた。
「社内では有名なことだけど、公開時期をめぐって、僕と黒井との間で意見が分かれ、怒鳴り合いのケンカにまでなっちゃったんだ」と、荻野。7月15日公開で手はずを整えた荻野に対して、黒井社長の意見は「秋になってから、もっと多くのスクリーン数で上映したほうが良い」というものだった。劇場公開時の興行収入の最大化を目的とする、配給会社の立場からすれば、これはもう圧倒的に黒井の主張のほうが正しい。2億7000万円の製作費を投じた作品を、都内単館ロードショーから展開する方法では、原価回収さえもおぼつかないことが予測できるからだ。少しでも投下資本を早く回収し、リクープの確率を高める意味でも、公開時期をズラし、より大きな市場に出すべしという理論は、ビジネスとしては、すこぶる真っ当だ。
しかし、「時をかける少女」の場合は違った。製作委員会の「夏にこだわる映画」との主張は強く、最初はこの映画の存在そのものに疑問を抱いていた荻野が、今度は委員会の意向を代弁する形で、夏公開の正当性を黒井に説明。結果的に、黒井が主張を曲げることとなった。
第6回 クールアニメ・マーケティング・ヒストリー(3)後編
第6回 クールアニメ・マーケティング・ヒストリー(3)前編
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