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2009年02月25日
0斉藤守彦の特殊映像ラボラトリー ][ 第5回クールアニメ・マーケティング・ヒストリー ]
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斉藤守彦の「特殊映像ラボラトリー」

第5回 クールアニメ・マーケティング・ヒストリー(2)前編
クールアニメの代表作「アキラ」は、“作家を守る”出版社の姿勢を活かして作られた。

斉藤守彦

「皆さん、心地よい疲労感をお感じになっているようで…」。

 今でもはっきりと覚えている。1988年7月。公開直前に行われた「アキラ」の披露試写会。それに続いて帝国ホテルで開催された、完成記念パーティ(バブル時代は、何かにつけてこの種のパーティが行われていた)における、松岡功東宝社長(現・会長)の、これが乾杯の挨拶であった。
 今やクールアニメの代表作と言っても良い「アキラ」だが、そのメイキング・エピソードはほとんど明らかになっていない。そこで「アキラ」に製作担当として参加した講談社の角田研に、映画化に至る経緯などを聞いてみた。
 
【「アキラ」の監督候補には、押井守の名前も挙がっていた】 
 
−そもそも、なぜ講談社が製作委員会を組成して、「アキラ」をアニメ映画化しようとしたんですか?
角田
80年代の半ば、講談社は映像分野への進出を試みていました。「アキラ」の前には「SF新世紀・レンズマン」というアニメ映画や、記録映画「東京裁判」などを製作しています。 

−原作者の大友克洋さんを監督に起用したのは、当初から決まっていたのでしょうか?
角田
いいえ。最初は別の監督をたてる予定で、候補者の中には押井守監督もいました。ただ、どの監督にしても原作者が納得しない。ついには「自分でやるしかないか」と言い出して…。

−こだわりのある原作者ですもんね(笑)。
角田
でも「アキラ」では、それが良いほうに出ました。大友さんご本人はいたって気さくな方なのですが、スタッフは最初「とっても厳しい人らしい」とビビってました。
まあこういうのは、よくある「気の使いすぎ」なんですが、でもそういう緊張感を持っていたので、スタッフがみんな、最初から全力を出してくれたんですよ。

−とにかく「監督に叱られないように」という気持ちで(笑)。
角田
だからクォリティは、最後まで落ちなかったですね。

−当時「アキラ」は連載中でしたが、大友監督としては、映画版はどのようなストーリーにしようと考えたのでしょうか?
角田
大友監督の書かれたプロットだと…あの、「アキラ」って春木屋のシーンからドラマが始まるじゃないですか? 

−そうですね。山形が金田を迎えに来る。
角田
あそこへ行くまでに、大友監督の当初のプロットだと50分かかるんです。

−上映時間が、どれだけになるのか(笑)。
角田
それで、当時「スケバン刑事」などのシナリオを書かれていた、橋本以蔵さんを起用しました。東京ムービー新社の推薦です。
彼にストーリーの中心を、金田VS鉄雄の、いわば“個人対個人”の戦いに絞ってもらい、出来上がったプロットを大友監督が直す…というやりとりを7〜8回しました。

−「アキラ」が従来のアニメ映画と異なる、例えば声優さんたちの声を最初に録音するプレスコ方式や、芸能山城組の起用、CGの使用など、新しい方法論のすべては、大友監督の意向と見て良いのでしょうか?
角田
その通りです。プレスコは、録音の前に画コンテが上がらず、結局4回に分けて行いました。それでもコンテの完成は、録音前夜でしたが(笑)。また芸能山城組の起用にあたって、製作の代表だった、うちの鈴木(鈴木良平プロデューサー)が、山城祥二さんに「予算はいくらでも使って良い」と言ってしまったんです。
その瞬間、山城さんの眼がキラっと光り(笑)、彼は即座にビクターのスタジオを半年間押さえてしまいました(笑)。

−その一言を言ったが最後(笑)…。
角田
そのせいで、サザンオールスターズから苦情が来たそうです(笑)。
 
【東宝のお偉方は、「アキラ」に対して懐疑的だった】 
 「アキラ」に関する角田の話を聞いていると、公開後21年という年月を経た今日でも、未だ上映され続ける傑作を作り上げたという誇りと、その製作に携わったことの喜びが、ひしひしと伝わってくる。ところが公開時の状況は、必ずしも恵まれてはいなかったようだ。「アキラ」の宣伝プロデューサーを務め、現在トムス・エンタテインメントに在籍する芝裕子によれば、「アキラ」について当時の東宝のお偉方は、自信を持っていたようではないらしい。
 「『アキラ』は、私の宣伝プロデューサー・デヴュー作なので、当時のことを色々と覚えています。私が若かったせいもあり、関西支社のエライ人から、まずポスターについてお説教されました。最初に作った、ネオ東京の中心に黒い球体があるポスターは“暗すぎる”、バイクに乗ろうとする金田の後ろ姿を描いたものは“客に背中を向けるとは何事だ”と」。

 たかがポスターと言うなかれ。映画のマーケティング戦略上、ポスターは非常に重要な役割を果たすアイテムなのである。映画を製作する人々、配給に携わる人々、実際に映画館で観客に接する興行の人々。この三者が、どのような映画を作り、どのような映画でビジネスを行うのか。ポスターはそのシンボルであり、フラグシップなのである。
 「宇宙からのメッセージ」を撮影していた深作欣二監督は、広告代理店が作った、宇宙空間に宇宙船が浮かんだポスターを見て「俺たちは、こんな映画を作ってるんじゃない!竹槍でSFやってるんだ!!」と怒ったという。また「アキラ」と同じ年、東宝が配給した「となりのトトロ」と「火垂るの墓」のポスターを見て、東宝の重役が「暗すぎる。こんなポスターでは客は来ない!」と指摘し、徳間書店の鈴木敏夫と口論になり、「観客ってのは、映画を腹で見るんだ」との名(迷?)言を残している。
 ポスターとは、それほどまでに重要な役割を果たすのだ。当時の東宝のベテランたちが、まだ若い芝にそのことを諭したのも分からない話ではない。が、その後に作られた、おそらくは東宝のお歴々の意向も反映したであろう2種類のポスターは、最初のものに対して、あまりに見劣りする絵柄であったが…。

 それでも宣伝プロデューサー一年生の芝には、ある種の確信があったという。
 「当時の東宝宣伝部では、アニメ映画のパブリシティは、宣伝プロデューサーが自分でやっていました(実写映画の場合、パブリシティはパブリシティ室のスタッフが担当する)。なので多くのマスコミの方と接する機会があり、彼らと話していると、“あの『アキラ』が映画になるんだってね!!”といった、熱い反応をよく目にしたんです。ですから社内のお偉方が何と言おうと、私はこの映画の成功を信じていました」

 その芝が、「アキラ」の観客対象としてターゲティングしたのは、中高生から大人という層だった。さて実際にはどのような客層だったのか?芝が当時、上司に報告するために作成した「アキラ・レポート」には、客層や興行概況が詳細に記されており、このレポートの冒頭には、次のようなことが書かれている。
 「アニメ・イコール子供向き、という受け止められ方が公開まで、映画会社である東宝にも上映劇場にもあった。蓋を開けてみて、初めて観客の年齢層の高さに仰天したという。」

 「心地よい疲労感」とやらを感じつつ、今ひとつ懐疑的な東宝のお偉方を尻目に、「アキラ」は絶好調のスタートを切ったのだ。芝の目論見は当たった。いや、実際は彼女が想定した以上に、大人の観客が多かった。都内上映館である渋谷パレス座(現・渋谷シネパレス)では、一般券の売り上げ枚数が全体の51%を占め、高校・大学は29%、中学は7%という比率であった。
 芝はレポートで「一般客のほとんどが、大学を卒業したてのヤングサラリーマンで、原作『アキラ』の連載中からのファン(連載は昭和57〜61年だから、当時16〜18歳の人達)も多い。したがって、ロードショー期間中は最終回が混雑する。
 またオールナイトは、渋谷パレス座においてアニメ新記録を作った」と述べ、「劇場は『子供向きのアニメばかりではない。大人のアニメもある。』と、アニメへの認識を改めたということだが、一方では一般の観客の多さを『嬉しい誤算』だった、とも言う。しかし、宣伝的には“誤算”ではなくて、想像以上に良く来た、と見るべきだろう」と結んでいる。

クールアニメ・マーケティング・ヒストリー(2)後編
クールアニメ・マーケティング・ヒストリー(1)前編
クールアニメ・マーケティング・ヒストリー(1)後編

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posted by animeanime at 2009.02.25
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