斉藤守彦の「特殊映像ラボラトリー」
第5回 クールアニメ・マーケティング・ヒストリー(1)後編
斉藤守彦
【豪華2本立て番組は、その後のシリーズでも継承された】
製作サイドでも、この2本立てが「ルパンVS複製人間」の観客層の拡大に貢献したことを認めており、「ローカルの映画館では、午後2時までが『ルパン…』の観客で、夕方以降は『ナイル…』目当てのカップルが来館。
結果的に『ナイル…』を見に来たカップルにも、『ルパン…』を見てもらうことが出来、映画館としては昼間から客席が埋まった、と千葉の劇場から感謝されました」(熊井の証言)。
配給を手がけた東宝と東宝東和が、この2本立てとその興行成果を高く評価したことは、「ルパンVS複製人間」に続いて製作された「カリオストロの城」が「Mr.Boo!/ギャンブル大将」、「バビロンの黄金伝説」が「ランボー・怒りの脱出」と、いずれも東宝東和配給の外国映画とのカップリングで公開されたことが証明している。
では、もし仮に「ルパンVS複製人間」が現在のように、全国1本立てで公開された場合、9.15億円という配給収入(今日の興行収入に換算して、約18.3億円)をあげることが出来ただろうか?
正直なところ、それには疑問が残る。「ルパンVS複製人間」の東京地区の興行収入は2.53億円で、これは80年における洋画系上映作品では第19位にあたる。18位の「ディア・ハンター」が都内興収2.79億円、配給収入4.4億円だったことから、「ルパンVS複製人間」はかなりローカルでの上映で“得をした”ことになる。また90年代に公開された「ルパン三世」シリーズの劇場用映画「くたばれ!ノストラダムス」「DEAD OR ALIVE」が、それぞれ全国1本立てで上映され、配収5億円以下しかあげられなかったことを考えると、ローカル地区における「ルパン…」「ナイル…」の2本立ての強さを、改めて思い知らされるというものだ。
【1983年にリバイバル公開された「ルパンVS複製人間」】
「ルパンVS複製人間」に続いて1979年12月に公開された、シリーズ第2作「カリオストロの城」は、当初の想定を下回る興行成績に終始した。この時代、都内ではロードショー劇場、邦画封切館の他、二番館や名画座といった映画館が点在した。下番線と呼ばれるそうした映画館では、「ルパンVS複製人間」と「カリオストロの城」の2本立てが、当時頻繁に上映されたことを、筆者は記憶している。
私自身が「ルパンVSクローン」と「カリオストロの城」の2本立てを鑑賞したのが、記録によると1981年7月24日。池袋の名画座・文芸地下であり、夏の暑さをさらに倍加させるほどの混雑ぶりを、はっきりと覚えている。
こうした「ロードショー公開時には話題にならなかったが、下番線で人気を集める」、いわゆる“名画座ヒット作”が、当時は存在した。ジョージ・ルーカスの「アメリカン・グラフィティ」しかり、タイムトラベルSFの名作「ある日どこかで」しかり。「カリオストロの城」の場合、その後押しをしたのは、アニメ雑誌での記事や、宮崎駿監督の特集でその面白さを、遅ればせながら知った観客たちの存在であることは間違いない。
この傾向は大都市の下番線だけのものと思いきや、それが全国に拡大したのには驚いた。時に1984年秋。同年8月に東宝が公開した「零戦燃ゆ」が、予想以下の成績となったことで、急遽「ルパンVS複製人間」「カリオストロの城」のリバイバル公開が、東宝邦画系の映画館で行われたのだ。9月15日から3週間、「アニメージュ」のアニメ・グランプリベスト1受賞記念、という名目での上映で、ルパン2作品と「うる星やつら2/ビューティフル・ドリーマー」(地域によっては「超時空要塞マクロス」)がセットされた、アニメ・ファン狂喜、まさに夢のような番組であった。
当時の新聞広告を見ると、東宝邦画系のメイン館である千代田劇場こそ「零戦燃ゆ」を続映したものの、渋谷、上野、新宿といった都内をはじめ、川崎、小田原、横須賀、甲府、静岡、浜松あたりまでこの番組の公開が告知されていることから、全国的に上映されたと判断して間違いないだろう。
こうした下番線上映、大規模なリバイバルまで行われた「ルパンVS複製人間」の、今日までの配給収入は、初公開時の9.15億円を上回り、現在では10億円に達していることは、想像に難くない。
【映画のマーケティングとは、作り手の「意思」を拡大していく作業】
いかなる映画においても、その源泉は「意思」である。「作品」を創るという作業は、その「意思」に形を与えることに他ならない。「ルパンVS複製人間」の製作にあたり、故・藤岡豊は、当初から目論んでいた「大人向けのアニメ」を目指し、ティーンから支持されていた、セカンド・シリーズとは明確な差別化を行った。
そうした「意思」の中で、吉川監督は「クローン」というSF的な要素を「ルパン三世」というフォーマットに込めた。「作品」を「配給」「興行」といった手段で、「商品」として流通していくことは、つまり、形を持った「意思」の拡大作業に他ならない。
「ルパンVS複製人間」は、配給・興行各社のマーケティング戦略によって、商業的には成功を収めることが出来た。しかし、その成功は、果たして藤岡の「意思」を充分に反映したものであっただろうか?
「『ナイル殺人事件』との2本立てがティーン層を集めて成功したことが、『カリオストロの城』では観客の対象年齢を下げることにつながった」との指摘も無視することはできまい。
原作者モンキー・パンチから、映像化にあたっては全権を委託されている、東京ムービー新社の経営者としての藤岡の「意思」は、成功を収めたが、クリエイターとしての思いはどうであったのだろうか?
もしもそれが全う出来なかったとするならば、その「意思」を実現して成功に導くことは、今日でも新作を作り続けている「ルパン三世」シリーズに関わる者たちの責務ではないかと思うのだが、いかがだろうか。
クールアニメ・マーケティング・ヒストリー(2)前編
クールアニメ・マーケティング・ヒストリー(2)後編
クールアニメ・マーケティング・ヒストリー(1)前編
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