Hatena::Diary

過ぎ去ろうとしない過去 このページをアンテナに追加 RSSフィード

声優サッカー本ダウンロード
北守のおすすめ

2009-03-24

「ホロコースト」は使ってはならないか?あるいは日曜歴史家

 「ホロコースト」と無冠詞でいえばふつうナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺のことを指し、シンティ・ロマの人々や障害者の虐殺については一般的にはこれを含めない*1。「ホロコースト/Holocaust」という言葉はそもそも、「完全に焼く」という意味のギリシア語「holokaustos」から来ており、旧約聖書に出てくる5つの犠牲の内のひとつ、つまり獣を丸焼きにして神に捧げるという宗教的な意味を持っている言葉である。ナチスジェノサイドによって犠牲になったユダヤ人たちは収容所の焼却炉で最終的に焼かれたことから連想された言葉だが、それが一気に広まったのは1978年に放映されたアメリカのドラマ「ホロコースト」である。

 このドラマは、多くの実証的な研究を下敷きにしつつも、あるドイツ人ユダヤ人二つの家族ナチズムの時代にどのような運命をたどったかという、より物語性を重視したフィクションである。とはいえ「ふつうの人々」だったはずのドイツ人青年が惨い虐殺を簡単に行えるように変質してしまう描写などは、実際の経験に即したものであり興味深い。いずれにせよ、このドラマにおいては単にユダヤ人の虐殺をして「ホロコースト」といっているようでおり、ドラマ自体がとくに宗教的というわけではない。

 ところで、「ホロコースト」という言葉を使うべきではないという議論が存在する。その理由のひとつは、「ホロコースト」という、ユダヤ教的な、したがってユダヤ人のみの虐殺をさす言葉は、同時におこなわれたシンティ・ロマ、共産主義者、あるいは障害者の虐殺を等閑視するものだからだというものである。確かに、ユダヤ人の虐殺だけがクローズアップされることで、他の虐殺が無視されるようなことがあってはないらない。しかし、研究動向を見ればわかるが、現在、ロマなどユダヤ人以外の少数派の虐殺について、少なくとも研究者が無視しているということはない。たとえば2006年の移動展示「ロマとスィンティに対するホロコーストと現代ヨーロッパにおける人種主義」*2はその成果であろう(ここでは、「ホロコースト」という言葉が拡大使用されている)。さらに、ベルリンには2008年ユダヤ人犠牲者の碑とならんで、ロマ、そして同性愛者の犠牲者の碑も建てられたのである。

 もちろん、ナチズムによる犠牲者はこうして区別して扱うのではなく、みな同等に、ひとつの犠牲者集団として扱うべきであるとする声も存在する。記念碑などにおいては、確かにそうすべき理由はあるかもしれない。つまり全てのマイノリティ分節化して記念碑をつくるわけにはいかないからだ。しかし他方で、ユダヤ人の虐殺がナチスにとって特別なものであったという事実も無視してはいけないのである。虐殺は無差別に行われはしなかった。ナチズムの思想において、虐殺すべき対象ドイツ人以外なら誰でもよかったわけではない。あの、主にガス室という手段を用いることで600万人以上の死者を出した、ユダヤ人に対するジェノサイドは、まさにユダヤ人人種戦争における敵対者という位置づけなくしては行われなかったのである。この意味において、「ホロコースト」は障害者同性愛者の「人種改良」のための虐殺、あるいはロマの人々の虐殺とは、その性質が異なるのである*3。これらの問題などから、「ホロコースト」をユダヤ人限定的なものとして使うか、あるいは拡大したものとして使うかは研究者によっても分かれるが、この問題については、どちらが正しいかというよりもむしろ重要なのはその依拠している議論であろう。

 一番やってはいけないのは、この区別の原因は、ユダヤ人が「ホロコースト利権」のためにそうすることを望んでいるのだという陰謀論的な解釈に飛びつくことである。「ホロコースト利権」については、1990年代に、ノーマン・フィンケルシュタインというアメリカの政治学者が出版した『ホロコースト・インダストリー』という著作においてセンセーショナルに議論された。多くの研究者は、この本は資料の恣意的な引用が目立つなどの理由で、相手にすべき価値はないとみなしたのだが、多くの一般大衆は、本当に「ホロコースト利権」があるのではないかという錯覚を持つことになった。特にドイツにおいては、連邦政府が毎年ユダヤ人団体に払う補償金について、いつまでこれを続けるのかという思いが、「ホロコースト利権」への疑いと走らせたのである。これは、「ホロコースト」を「道徳的棍棒」であると主張した作家マルティン・ヴァルザーへの支持とも重なって、ドイツにおいて反ユダヤ運動を拡大させた。

 結論からいえば、「ホロコースト利権」への関心は、日本で言えば、植民地支配に対して「謝罪と賠償」を要求し、その罪悪感につけこんで日本から金をむさぼりとろうとする「在日利権」があるのだと主張する右翼のそれとかわりはない。たとえば、日本政府がチベットなどの人権問題に関して中国を批判しないことを非難することは可能である。しかし、その理由を過去の戦争責任の問題に関連づけ、日本は戦争にたいする過剰な罪悪感を押し付けられているがゆえに中国政府を非難できないのだ、という主張にたいしては、皆ネトウヨの被害妄想と一笑に付すに違いない。同様に、ドイツ政府が政治的にいって、過去の経験において、はやくからイスラエルを承認し、イスラエルとの良好な関係を築こうとしているのは事実であり、パレスチナ問題を考えればそれは非難することが可能である。だが、その政治政策は、「ホロコースト」の記憶化・ナチ犯罪追及の永続化になるべく反対してきたアデナウアー政権から一貫して行われてきた外交政策であって、ホロコーストの過剰な記憶化が―あるいは、歴史修正主義にたいする抑圧が―ドイツ政府に対してそうさせているのだ、と主張するのは、事実において何ら根拠をもたないし、イスラエル政策を転換するためにドイツ―あるいは世界―「ホロコースト」の記憶化の動きに対して抵抗すべきだ、と主張するならば、それは「歴史家論争」においてクルト・ゾントハイマーが「メーキャプ師たちが新たなアイデンティティーに化粧を施す」と批判したような、誤ったやり方であろう。それは、ベルサイユ体制打破のために、ユダヤ人らの陰謀によってドイツに押し付けられている第一次世界大戦の贖罪意識からの解放を主張したヒトラーのそれとどこが違うというのだろうか。イスラエル憎しにとって、それは安易な道である。が、ほんとうの解決策はそこには無い。われわれは構造の中にいて、その責任から逃れることはできない。「壁」は批判すべきだ。しかし、われわれのまわりにこそ「壁」がある。村上春樹の演説は結果としてまったく評価できないが、誠実なものであった、とぼくが評価するのはこの意味においてである。そして、「ホロコースト」に寄り添いながら−「ホロコースト」の記憶化におけるユダヤ人の正当性を認めながら−イスラエルを批判していくのは、村上春樹エルサレム賞における「詰み」状態から脱却することよりもずっと容易なはずである。もし、ほんとうにパレスチナのことを思っているのならば、逆に、それ自体として固有の虐殺事件はいくら記憶してもしすぎることがない。その立場においてのみ、はじめて、自分達がジェノサイドを行っていることを認めないイスラエルを批判できるのである*4

 たとえば、スピルバーグ映画シンドラーのリスト」が、「ホロコースト」とシオニズム必然としてむすびつけるような演出をしていることを批判することはできる、しかし、その理由は「シンドラーのリスト」がプロパガンダだからではなく、「ホロコースト」による死が何か運命的な、必然としてとらえることは、真に「ホロコースト」を理解することを妨げるからなのだ。「ホロコースト」に寄り添うからこそ、「シンドラーのリスト」を批判できるのである。

 そもそも、被害者たちがその被害の記憶化を求めることは、きわめて当たり前のことである。それに対して、「ホロコースト」のような、ある特定のジェノサイドを表したものとして、広く認知されている言葉を今になって使うべきではないと表明する”真の意味”は何かを考えなければならない。「ホロコースト」という言葉が今、どのような機能を持っていて、それが使われなくなることがどのような意味を持つか、という問題である。ここで想起されるべきは、「従軍慰安婦」という言葉を使うべきではないという言説である。「従軍慰安婦」という言葉は当時使われていなかったから現在も使うべきではないというあの無意味な言説は、いったい何を意図しているのだろうか?「従軍慰安婦」という名称において重要なことは、「従軍慰安婦」という名において戦争中に酷い性暴力にさらされた被害者たちが主体化されているということである。ある対象名前をつけるという行為は、その対象を特定の枠に嵌める・位置づけるという点でそれ自体暴力的なものである。しかし、一方で名前をつけられた側は、まさにサルトルが「黒いオルフェ」で論じたように、その名のもとに主体化されることで(主体を獲得することで)名付けた側、つまり彼らをまなざしていた側をまなざし返すのである。それは、まなざされる側にとっては恐怖を呼び起こす。「従軍慰安婦」という言葉に異議を唱えることは、その名によって形成された主体によるまなざしを恐れる者たちが、彼女たちから主体を剥奪しようとする行為に他ならない。

 「ホロコースト」という言葉を使うべきではない、とする主張も、その多くはこれに似たものである。「ホロコースト」はそれ自体、宗教的な意味を含んだことばとして、祭り上げられている。そして、ユダヤ人以外の虐殺が軽視されている*5。ケシカラン!しかし、たいてい、彼らは「ホロコースト」という特権化された(ようにみえる)被害者の勲章を、ユダヤ人が負うことが気に入らないだけのだ。これに関連して、例の「ホロコースト利権」の問題が関わってくる。「ホロコースト」の称号をほどこすことで、ユダヤ人は悲惨なジェノサイド事件を不当に奪っているのである。ゆえに、われわれはそれを取り戻さねばならない!彼らは純粋学問的興味からそう主張しているだけというかもしれない。しかし、現実の学問においては、「ホロコースト」という言葉はそれぞれの論者によって若干の定義の差異はありつつも利用されているのである。「ホロコースト」(という言葉使用する)研究者は全てあのジェノサイドにたいする認識を欠いているとでも主張するつもりだろうか?そして、誓って言うが、そうした人間にかぎって、ほとんどが「ホロコースト」についての書物に取り組んだことが無い「素人」である。それ相応の知識と根拠なしに、「ホロコースト」という言葉が問題であると主張することは、学問的にはなんら説得性をもたない。たんに、反ユダヤ主義的な心性からそういっているのだと結論付けるに十分なのだ。

 ただし、「ホロコースト」を使うべきではないとする全ての議論がこうしたものであるわけではない。岡真理さんは、『記憶/物語』のなかで、ブルーノ・ベッテルハイムの議論を紹介している。

ベッテルハイムが「ホロコースト」という名でこの出来事を呼ぶことに異議を唱えるのは、絶滅収容所で虐殺されたユダヤ人は、ただユダヤ人であるというだけで理不尽にも殺されたのであり―なかには世俗化し、ユダヤ教とは無縁な生活をしていた同化ユダヤ人も多数いた―彼らの死には何の宗教的な意味あいもない、それを「ホロコースト」という、元来、宗教的な含意のある言葉でもって呼ぶことは、これらユダヤ人の死に偽りの宗教的神聖さを与え、そうすることで彼らから、彼らが無意味な死を死んだという<真実>に直面する最後の尊厳さえも奪ってしまうからである、と。

不条理な死、人間が理解可能な意味世界のなかに位置づけることができない<出来事>の暴力に直面することこそが、そのような不条理な死を死なねばならなかった者たちに残された、最後の、人間としての尊厳であるとベッテルハイムは言う。

(・・・)

自分が生き残ったのは、収容所で殺された者たちに代わって、自分自身がより良く残された命を生きる使命を負っているからだと考えるようにしている。

(・・・)

自分が生きのびてしまったという出来事の暴力を、そのように自分に言い聞かせることでかろうじて生を支えることも、ベッテルハイムにとっては、自己欺瞞として斥けなければいけないものとしてある。その倫理的命令の厳しさに、わたしはたじろがずにはおれない。

 出来事の暴力を生きのびるために、そのような方便でもって自分を納得させざるを得ない者に向かって<真実>に直面せよと語ることの、もうひとつの暴力性にわたしは打たれる。しかし、また、想像の絶する大量虐殺という<出来事>を可能にした瞞着、欺瞞の犯罪性を私たちが批判しなければならないとしたら、自らに対しても欺瞞的命令にさらされているとも思う。

ベッテルハイムは、「ホロコースト」の使用が、<真実>に直面するのを妨げていると批判することで、「ホロコースト」の政治利用を憂うわれらが日曜歴史家*6たちと同じことを言っているようにみえる。しかし、どこかが違う。「ホロコースト」という言葉そのもの使用あるいは強調がイスラエルのプロパガンダである、と主張する人々は、イスラエルを批判するための免罪符を求めている。「ホロコースト犠牲者という、こちらをまなざす主体を剥ぎ取ってしまえば、もうまなざされることは無い。つやつやとした顔でイスラエルを批判できるのだ。これは、東アジアにおける従軍慰安婦や南京の問題でももちろん同様である。ユダヤ人の虐殺は、南京の虐殺は、確かに規模は大きかったかもしれないが、それはけして比類なき出来事ではなかった*7と、出来事の相対化を求めてくるのだ。

 それにたいして、ベッテルハイムが言っていることは、けして自らをまなざす主体として特権化しない。相手のまなざす主体をはぎとったと思ったら、その奥にあった何かがもっと強く自分達をまなざしてくるのである。そのまなざしは「自らに対しても欺瞞的命令にさらされている」ことを浮き彫りにするものなのだ。ベッテルハイムもまた強制収容所の一員であった。「もうひとつの暴力性」は、当然、自分自身にも向けられたものなのである。われらが日曜歴史家たちが、これに比類するような倫理的表明を一度でも見せたことがあったであろうか?少なくともぼくはここ数年の経験からいって、一度も無い。かわりに、こうした弁明の声が聞こえるのである。「歴史に禁じられた問いは無い!」もちろんそうだろうとも!誰がその問いを禁じたであろうか?われわれがいっているのはただ、食事を取る前には手を洗うべきだという当たり前のルールについてである。その食事は、かれひとりのものでないのならばなおさら。もちろん、まったくきれいな手になれる人間はいない。であるがゆえに、われわれはその手触りに気をつけなければいけないのではなかったか。こと歴史的事象に関するならば、ユルゲン・コッカの警句は自戒としても持っておかねばならないだろう。

http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20041007/p1

 このような問いは要するに、ショッキングな個人史や口承の歴史を経由しては解明されえない。これらの問いに答えるためには、複雑な概念と幅広い読書、さまざまな理論と粘り強い根気が必要である。すなわち、大学の自由な空間と道具を用い、手間ひまかけた専門教育過程の蓄積を生かし、分業の利点を利用することができる専門的な歴史学こそがまず第一に提供しうるもの、が必要なのだ。経済、社会、文化、政治の長期にわたる連関を認識するための、直接的で迅速な非専門的方法といったものは、残念ながら存在しないのである。

ホロコースト」という言葉使用を疑う者。その区別に意義を唱える者。あるいは、「ホロコースト」の存在そのものをうたがう者。最近みられた、こうした人々が、この警句とはほぼ真逆であること、つまり、一冊の専門書にも目を通すことなしにこうした問いをたてる人ばかりであったことは、残念でたまらない。

*1:「シンティ・ロマのホロコースト」などという場合もある。

*2http://www.imadr.org/japan/minority/roma/post/

*3:もちろん、虐殺という罪の軽重ではない。ユダヤ人の虐殺のほうが、その他の虐殺に比べて罪が重いという意味ではない。

*4:こちらの議論も参照。もう4年も前だよ・・・。http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20060228/p1

*5:そんな事実は無い。ほとんどの場合、ただ彼らがそうした研究を知らないだけなのだ。すべての出来事を同じ分量で扱えという主張のほうが無理なのであるし。

*6:もちろん、mojimojiさんの「日曜サヨク」に対応している。http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20080326/p1

*7:そういえば南京大虐殺の「差分」を示せというしょうもない議論が昔あった。

tari-Gtari-G 2009/03/24 15:45 hokushyさん、あっちを放り出しておいて申し訳ない。まぁなんかのらなくて。

*

さて、ブコメを前提にしますが、「楽をしたい」人々を攻撃してもしょうがないと思うよ。

まぁ私も長年さんざんいろんな人と議論してきたから気持ちは分かるけど、賽の河原を思うなぁ。シーシュポスでもいいけど。

日本はそもそも知識集約社会への移行に失敗してしまっていて、社会問題をきちんと調べて自分で考えることができるすべを身につけているのは、社会のほんのごく一部の人だけ。大学ですら全く役に立っていない。

そういう人以外は、そもそも専門書など読んでもさ、分からないんだよ。基礎的な素養を身につけていないんだから、文章の前提、言葉の意味とか全然わからないことも多い。

だから、(実はhokushyさんもあっちでそうであったように)、大抵の人は適当なテンプレだよりで、丁寧にみることなんぞしない。誰でも楽に走りたいんだよね。

学ぶ楽しさ、知る楽しさを知らないで育ってしまったんだから、ある意味しょうがないと思う。

いきなり活字で埋まった本を読めと言われても、マンガ解説じゃないと無理な人が多い現状では、実効性は薄いよね。

だから、「日曜歴史家」に、「自らの足元を見よ。さもなくば黙れ」といくら言ったって、「単に黙れという命令にしか受け取ってもらえ」ないのは当然だよね。事実上彼等にはそれしか選択肢がないのだから。

結果、彼等は「サヨク」への憎悪を増し、歴史修正主義への親和性を増してお帰り頂いていることになる。

なんと生産的なことか!(笑)

*

そういう人達のために必要なのは、まともな専門家を中心としたネット上での体系的に整理された情報・資料の充実しかないと思う。お手軽なテンプレでも、罵声でもなくね。

でも日本じゃ、学術資源のネットインフラは決定的に不足していて、本当にどうしようもない。

ネットで活動する専門家達もいるけど、どれも非常に周辺的だし個別的で断片的。

ハテサのようなブログも、量はさておいても、やはり断片的でとても体系的ではなく、検索性も極めて低い。専門性の問題もあるし、対話性の問題もある。

結局、やっぱりまともな専門家をまじえた体系的プロジェクトとして、そういう場をつくることしかないと思うな。とても個人でできる仕事じゃないから。

*

と、方策は分かっているんだけどねぇ・・・・。

でもまずもって著作権の問題だけで頓挫だよなぁ。

誰か偉大なコーディネーター、どこかにいないかねぇ・・・

morimori_68morimori_68 2009/03/24 18:57 >tari-Gさん

南京事件FAQというのがあるでしょう。
あのwikiはよくできているでしょう?

あれは、掲示板があって機運が盛り上がって今があるんじゃなかったかな。

歴史修正批判なりパレスチナなりの問題でも、あのように持っていくことはじゅうぶん可能でしょう。

意志についてはオプティミストたれってことで。

noharranoharra 2009/03/24 20:57 >>ところで、「ホロコースト」という言葉を使うべきではないという議論が存在する。
そのうち一人が私です。
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20090323#p1
hokusyuさんがリンクしてくださらないので、セルクマならぬセルフ宣伝。

mujigemujige 2009/03/24 21:09 id:tari-G さん

ブクマでの「従軍慰安婦」呼称のご指摘、確かに単純な話ではないですね。ただ、いちがいに「議論自体は許容する」のではなく、責任の所在を明確にしようとするのか、曖昧にしようとするのか、という方向性の問題ははっきりさせた方がいいかと思います(もちろん、当事者たちがその事象をどういう名で呼ぼうとするのかも重要ですが)。

例えば「従軍慰安婦」を「日本軍性奴隷」と呼ぼうとする動きは、より日本の責任をより明確化としようとする動きであり、埼玉県平和資料館で「従軍慰安婦」を「慰安婦」に書き換えたのは、後者の例で、朝鮮人従軍慰安婦の存在を相対化し、日本の責任を覆い隠そうとする動きでしょう。

「ホロコースト」名称見直しの動きは、ドイツの責任を相対化しようとする、後者の例だと思います。

tari-Gtari-G 2009/03/24 21:31 id:morimori_68さん、コメントありがとうございます。

仰るとおり、あれらはとてもいいものですし、ずいぶんお世話になっています。でも、もっと本格的な論文や体系的な整理や資料の徹底した充実が欲しいのですね。欲張りすぎなのかも知れませんが。

『意志についてはオプティミストたれってことで。』

ははは。確かにそうですね。ありがとうございます。


id:mujigeさん、言うまでもなく勿論全くその通りです。私の言う「議論」の中には、上田の馬鹿及びその眷属達の行為への徹底した批判・糾弾も含んでいるつもりです。

私の懸念は、名称について考えることを一切封じるようなことは良くないというものです。ここではその傾向を強く感じましたから。

なまえなまえ 2009/03/24 22:58 tari-Gさんの意見に全面的に賛成。
少しずれているかもしれないけどhokusyu氏はネトウヨというものをテンプレ的に捕らえすぎていると感じています。
それではまともな対策にはならずネトウヨを強くするだけ。

hokusyuhokusyu 2009/03/24 22:59 tari-Gさん
http://d.hatena.ne.jp/CloseToTheWall/20080413/p1
を読んでください。←結論
というか、まず前提として、物理的にいって馬鹿を議論から排除することはできません。はてな界隈だけでも、馬鹿はだいたい4ヶ月にいっぺんくらいのペースであらわれるので、そのたびに同じ話をしているわけです。
だからといって、馬鹿に配慮すべきだとは思いません。そもそも、馬鹿は配慮をしていないから馬鹿なわけです。歴史修正主義も正しいかも?と否定弁証法がいうことで、それは全てのホロコースト犠牲者を傷つけていることになります。
たとえば「関が原の戦いで西軍が勝ったかもしれない」と思うことが現在、どれだけの人々を傷つけるかといえば微妙ですが、ホロコーストあるいは従軍慰安婦といった戦争責任の問題は、今生きている歴史的な主体がいる問題です。
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20081218/p1
余力があるならこちらもどうぞ。
で、学問的手続きを無視しないというのは、その歴史主体にわれわれが向き合っていく上で、もっとも簡単で、かつ必要な配慮であると思うんですけど。否定弁証法先生の無神経な議論に配慮してホロコースト被害者を傷つけるくらいなら、否定弁証法先生を意固地にしてでもそうした議論を退けるほうがましじゃないですか。それで否定弁証法先生が否定論にどっぷりつかって一生馬鹿のまま死んでいっても仕方ないでしょう。パレスチナの運動からは出てけとは思いますが。

ApemanApeman 2009/03/24 23:49 >ホロコースト被害者を傷つけるくらいなら、否定弁証法先生を意固地にしてでもそうした議論を退けるほうがましじゃないですか。

これに尽きますね。私が長々とエントリ書くまでもなかった。

le-matinle-matin 2009/03/24 23:56 「ショアー」という用語もありますね。ややこしいですが。

hizzzhizzz 2009/03/25 04:30 フィンケルシュタインの本は、ホロコースト自体は否定しておらず、彼の目的は擁護しているチョムスキーと同じスタンスで、アメリカ批判にあります。ただ、そこに書かれている事例があまりにもセンセーショナルなので、かねてよりユダヤ偏見にありユダヤ資本攻撃をしたい者にとってはどんぴしゃな事例であり、そこだけとりだして悪用されやすい危険性に満ちてました。
さてワタクシは、国民国家と領土という観点から、ホロコーストをユダヤだけのものとする説には、同意いたしかねます。で書いてますが、ユダヤとロマの共通項は「領土をもたない異民族」ということがあります。現在でも、迫害されているロマについては、それではあまりにも周縁化しすぎです。
http://d.hatena.ne.jp/hizzz/20090204#p4
http://d.hatena.ne.jp/hizzz/20090309

tikani_nemuru_Mtikani_nemuru_M 2009/03/25 10:45 以前、
http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20080813/1218590505
という記事でフィンケルシュタインを肯定的に紹介してしまいましたにゃ。
この問題に関してのhokusyuの知識・見識は信用に足ると考えるので、たぶん僕が軽率だったのだろうけれど、できればフィンケルシュタインを批判した言説を具体的に教えていただけるとうれしい。

あらゆる事件について、固有性と普遍性の両方の視点をとらなければならにゃーだろうし、力点のおきかたに違いはあっても、固有性を否定することも普遍性を否定することも、どちらもたぶん「敵」を利することになるとは思いますにゃ。

hokusyuhokusyu 2009/03/25 13:01 >地下猫さん
具体的に、ホロコーストを悪用して(嘘をついて)利益を得ている人がいるという指摘はいいのですが、補償金分配システムの部分においては、資料の恣意的な引用・読み替えが多いといわれています。
あと、ユダヤ人のホロコーストが唯一無二なものであることや、シンティ・ロマや障害者の虐殺とは違う側面を持っていたことは歴史家にとっては常識的な考えかたであって、その部分でエリ・ヴィーゼルを批判し、しかもそれでお金をもうけてるんだろうというのは悪意がありすぎますね。
ドイツではある批評家から「ホロコースト」で金をもうけるのが悪いっていうなら、それを言うならお前だって「ホロコースト・インダストリー」批判でもうけたんだから同じじゃん!と突っ込まれていました。
これは、「従軍慰安婦」は日本から金をむしりとろうとしている!みたいな右翼の妄言にたいする批判にも通じるところがありますが。

hokusyuhokusyu 2009/03/25 13:20 >hizzさん
フィンケルシュタインそのものよりも、それを利用しようとする反ユダヤ主義的な人々がより問題であるとはいえるかもしれません。
ユダヤ人とシンティ・ロマの虐殺を一緒にまとめることは同意できません。もちろん虐殺の悲劇性に優劣はありませんが、やはり同じではないです。ナチスの人種改良政策において、シンティ・ロマや障害者が劣等遺伝子保持者として淘汰されるものであったのに対して、ユダヤ人は劣等であるのみならず、ドイツ民族の血に巣くう病原菌として、民族を攻撃するものとみなされていました。
さらに、ユダヤ人はそもそも「民族」でも「人種」でもなく、ドイツにいたユダヤ人は「ユダヤ教を信じているドイツ人」であったわけです。それをナチズムの人種思想は「ユダヤ人種」というものをつくりだし、大量虐殺へとすすんでいきました。
このような視点は、ホロコーストを考える上で見過ごすわけにはいきません。

tikani_nemuru_Mtikani_nemuru_M 2009/03/25 14:00 ありがとう。勉強になりましたにゃ。

件の過去エントリの追記に、hokusyuのこのコメントを引用させていただいてよろしいですかにゃ?

それはそうと
被害者に対してカネを出せば済むという話ではにゃーけれど、カネを出すこと自体は謝罪においては必須だよにゃ。現代社会において、貨幣にはそういう役割があるのだから当然のことですにゃ。
ところが、利権だとか騒ぐ連中は、ここで貨幣が介在する意味合いを意図的に読み替えるのだよにゃ。
せっかくだからこの辺をちょっと考えてみる。

とにかくさんきゅーね

hokusyuhokusyu 2009/03/25 14:12 >引用
どうぞ。

ホロコーストも日本の戦争犯罪もそうですけど、あれだけの被害のあとで、すべての人に納得のいく補償のいきわたりというのは現実に難しいわけで、それでいいとは思わないけど、そこの摩擦を悪意をもって読み解く風潮はなんとかしてもらいたいですね。

tari-Gtari-G 2009/03/25 14:56 hokusyuさん

『歴史修正主義も正しいかも?と否定弁証法がいうことで、それは全てのホロコースト犠牲者を傷つけていることになります。』

『否定弁証法先生の無神経な議論に配慮してホロコースト被害者を傷つけるくらいなら、否定弁証法先生を意固地にしてでもそうした議論を退けるほうがましじゃないですか。それで否定弁証法先生が否定論にどっぷりつかって一生馬鹿のまま死んでいっても仕方ないでしょう。』

いやいやいや、そのやり方、ホントいい迷惑ですね。

勝手に被害者を表象しないでほしいし、勝手に有罪評決を出さないでほしい。

異端審問官気取りも大概にしてほしい。

アルカイダを増殖させたブッシュのメンタリティと一緒ですよ。

正義の味方の警官気取りは楽しいのかも知れませんが、実際は大震災の時「朝鮮人だ!」と多くの人々を虐殺した自警団の狂った正義の意識と根は一緒です。

ここにあるのは、目的のためには手段を選ばず、異論は許さない粗雑な全体主義精神そのものです。

*

『無知を武器にバンザイアタックする人たち
http://d.hatena.ne.jp/CloseToTheWall/20080413/p1
を読んでください。←結論』

こんな素朴で幼稚な実感論を堂々と「結論」とだされてもねぇ。

確かにこれって自分がある程度知っている分野について、そうでない人を相手にした場合、誰でも一度は感じることだとは思いますが、正直幼稚です。

近寄ってくるもの、動くものはなんでも撃つ、どこかの軍人あたりには、丁度良いのかも知れないですが。

*

結局、同じ事を繰り返すしかありませんが、

『皆最初は素人で、調べ方も、調べた情報をどうすればいいのかも分からないものなのは当然だと思います。ですが、一部の人はなぜかそこから一足飛びで自分の知らない分野について断定をかましたりする。(CloseToTheWallさん)』

というけれど、少なくとも当初のnegativeさんは、別に断定なんかしてない。

「なにが正しいか分からないから勉強する」

これだけです。

『彼に向けられた批判はすべて、彼が「無知」を盾にとって「無知」では正当化されない発言をしてしまったことに向けられています。(Apemanさん)』

というけれど、「無知で正当化されない発言」なるものを、当初の彼の発言に見いだせない。

そうである以上、彼への攻撃は全く不当なものでしかありません。

断罪するなら動かしがたい証拠を示す以外ありませんが、そんなものはどこにもない。

虐殺の被害者を傷つけるなというけれど、現にここにいるhokushyさん等による不当な被害者を傷つけることを容認する訳にもいきません。そういう見境のない暴力を肯定する訳にもいきません。

ま、当たり前のことですけどね。

****

しかし、hokushyさんは、これに限らず、本当に割と簡単になんでも序列化をするよね。

『ユダヤ人とシンティ・ロマの虐殺を一緒にまとめることは同意できません。もちろん虐殺の悲劇性に優劣はありませんが、やはり同じではないです。ナチスの人種改良政策において、シンティ・ロマや障害者が劣等遺伝子保持者として淘汰されるものであったのに対して、ユダヤ人は劣等であるのみならず、ドイツ民族の血に巣くう病原菌として、民族を攻撃するものとみなされていました。
さらに、ユダヤ人はそもそも「民族」でも「人種」でもなく、ドイツにいたユダヤ人は「ユダヤ教を信じているドイツ人」であったわけです。それをナチズムの人種思想は「ユダヤ人種」というものをつくりだし、大量虐殺へとすすんでいきました。
このような視点は、ホロコーストを考える上で見過ごすわけにはいきません』

私には、これは死の序列化にみえる。しかし、

『あるいは、小田実の「殺すな!」はなぜ普遍的な理念たりえたかというと、そのスローガンは彼のベトナム戦争反対運動に対する徹底的なコミットと日本国憲法のラディカルな読解による「政治的」産物に他ならないからであって、たとえば、文脈背景は分からないがとにかく殺し合いをやめよというような*2空虚な「殺すな!」ではない。』

「殺すな!」にまで上下を持ち込んだのにはさすがに驚いたよ。
目の前の殺人を、背景を調べるまで放置しましょうってんだからすごいわ。

それに例え一生ベットから起きられない人の主張でも、一度も運動にコミットしたことがない人の主張でも、それが空虚だとはならないでしょ。

今回の事に限らず、こうやってあまりに選別を気軽にやるのには、反吐が出るね。

hokusyuhokusyu 2009/03/25 16:06 「 例えば、「南京事件(あるいは南京大虐殺)」や「沖縄では、日本軍による自決命令があったか否か」や「ナチスドイツによるユダヤ人のホロコースト」などの歴史問題が、このようなアレルギー反応を引き起こすことは、みなさん御承知のとおりです。」
 かかるアレルギーの抗体保持者は、歴史問題を純然たる学問的な事実を確定する問題として語ることが許せないのです。歴史問題は、政治問題化してしまうのです。ホロコーストの歴史的実態について再検討する必要がある、と口にしただけで、反ユダヤ主義者のレッテルを貼られてしまいます。南京での中国人の被害者の数も、中国共産党政府の主張する30万人とか40万人とかいう数字をそのまま受け入れなければ、大日本帝国の軍国主義復活を目論む右翼分子とレッテルを貼られそうな勢いです。冷静に、歴史的に、事実を確定しようという学問的姿勢や努力は、政治的に圧殺されてしまいます。」
「 「ホロコースト」に関しても、問題は同じです。たしかにナチスドイツはユダヤ人を迫害しました。しかし、その被害者数や、「虐殺」の様態などについては、ドイツの極悪非道さをいやがうえにも印象的なものにしようとする連合国側の思惑による嵩上げがなされてはいないでしょうか。
「ニュルンベルク裁判や東京裁判の内容についても、このような観点から歴史的に再検討する余地が十分にあるでしょう。」
「前回のエントリ歴史問題と政治問題の憂鬱な関係、あるいは、歴史的修正主義についてに寄せられた反応をみて、やはりこの問題は「人類史上最大のタブー」なのか、との思いを深めました。とんだ虎の尾を踏んじゃった(笑)、と言いますか。」
断定しまくってます。いいかげん、否定弁証法を甘やかすのはやめなさい。

hokusyuhokusyu 2009/03/25 16:14 というか、あなたは否定弁証法が修正主義は検討に値するものだと言い張り、何の根拠もなしにホロコースト「正史(正史という言い方そのものが歴史修正主義へのコミットなのは自明)」に対する疑念を示すことは、ホロコースト被害者らにたいする侮辱であるとは本当に考えないの?
根拠もなしに「ホロコーストはなかったかもしれない」という疑いこそ偏見であり、関東大震災の虐殺を誘発したことそのものでしょ。
あなたが否定弁証法大好きなのは十分わかります。自分と同じ意見を言っている人が攻撃されたから、自分が攻撃された気になっちゃったんですよね。でも、ほんとうに彼のことが大切ならば、彼にもっと厳しくあたってください。

それに、「もちろん虐殺の悲劇性に優劣はありません」って書いてるのが読めないんですか。死の序列化なんてしてません。ホロコースト研究の本を多少なりとも読んだことがあるものならば、この視点が重要なものであることは明白です。ちゃんと調べてからモノを言っていただきたい。

apesnotmonkeysapesnotmonkeys 2009/03/25 16:48 >目の前の殺人を、背景を調べるまで放置しましょうってんだからすごいわ。

またしても不当な要約。
それだけでなく、「無知なので勉強します、それまではホロコースト否定論も通説と等価に扱います」という態度を擁護する者がこのような発言でもって誰かを非難しうるというのが信じられない。

tari-Gtari-G 2009/03/25 16:49 A)「 例えば、「南京事件(あるいは南京大虐殺)」や「沖縄では、日本軍による自決命令があったか否か」や「ナチスドイツによるユダヤ人のホロコースト」などの歴史問題が、このようなアレルギー反応を引き起こすことは、みなさん御承知のとおりです。…かかるアレルギーの抗体保持者は、歴史問題を純然たる学問的な事実を確定する問題として語ることが許せないのです。歴史問題は、政治問題化してしまうのです。ホロコーストの歴史的実態について再検討する必要がある、と口にしただけで、反ユダヤ主義者のレッテルを貼られてしまいます。南京での中国人の被害者の数も、中国共産党政府の主張する30万人とか40万人とかいう数字をそのまま受け入れなければ、大日本帝国の軍国主義復活を目論む右翼分子とレッテルを貼られそうな勢いです。冷静に、歴史的に、事実を確定しようという学問的姿勢や努力は、政治的に圧殺されてしまいます。」

いや、これはhokushyさんのような圧殺的行動への批判であって、具体的な修正主義的主張とは全く意味が違うのは明白です。

B)「 「ホロコースト」に関しても、問題は同じです。たしかにナチスドイツはユダヤ人を迫害しました。しかし、その被害者数や、「虐殺」の様態などについては、ドイツの極悪非道さをいやがうえにも印象的なものにしようとする連合国側の思惑による嵩上げがなされてはいないでしょうか。ニュルンベルク裁判や東京裁判の内容についても、このような観点から歴史的に再検討する余地が十分にあるでしょう。」

「大量虐殺と戦争裁判との関係で、ホロコーストの細部について政治的思惑による操作があったかどうか」というテーマ設定以上のものではないじゃないですか。どこに断定があるというのだ。

C)「前回のエントリ歴史問題と政治問題の憂鬱な関係、あるいは、歴史的修正主義についてに寄せられた反応をみて、やはりこの問題は「人類史上最大のタブー」なのか、との思いを深めました。とんだ虎の尾を踏んじゃった(笑)、と言いますか。」

これも、hokushyさん達の全体主義的行動への批判です。

*

『断定しまくってます。いいかげん、否定弁証法を甘やかすのはやめなさい。』

断定などどこにもないじゃないですか。はっきり言って、中学生並みの読解力です。

中学生並みの読解力の人に、まともな文献紹介ができる筈もないことを思うと、この件は非常に深刻だと思います。

****

『というか、あなたは否定弁証法が修正主義は検討に値するものだと言い張り、何の根拠もなしにホロコースト「正史(正史という言い方そのものが歴史修正主義へのコミットなのは自明)」に対する疑念を示すことは、ホロコースト被害者らにたいする侮辱であるとは本当に考えないの?』

だから、「検討に値するもの」ではなく、「分からないから勉強する」というものじゃないですか。「検討に値するか」は、勉強してみなきゃわからないというのは、動かしがたい真実です。

「根拠のない疑念」というのは、この場合にも当てはまらないけど、そもそも「根拠のない疑念」自体を単にそれだけで圧殺することは、知的に問題がありすぎです。

私も犠牲者の尊厳は強く主張しますが、それでもhokusyuさん達の犠牲者への侮辱の濫用にはうんざりです。勝手に代位しないように。

なにより、一般論として、真性の修正主義者と素朴な無知とはきちんと分けなければいけません。hokusyuさん達は簡単に刑事裁判に例えるけれど、刑事でも民事でも、故意とそうでないものは明白に分けるのが、近代社会のあり方です。

hokusyuさん達は、不用意に近寄ってくる者を全て撃ち殺すイラクの米兵と全く一緒なのです。これは、私のような反修正主義者からすると、本当に大迷惑なのです。反修正主義への無用な反発を増やすだけなのは明白ですから。

hokusyuさんは、ネガティブさんだけを攻撃していれば気持ちが良いのだろうけど、その背後に多数の読者がいるのです。素朴な人達が、hokusyuさん達の全体主義的党派的振る舞いから、反修正主義に傾くことはまずないでしょう。

本当に迷惑なんですよ。

*

『でも、ほんとうに彼のことが大切ならば、彼にもっと厳しくあたってください。』

勘弁して欲しいなぁ。勿論、以前彼の示した知性は、貴重なものだったと思っていますよ。ただ、一方であまりにナイーブな面もあると思っています。

でも、ここで展開しているのは、ネガティブ擁護ではなくhokusyu批判です。そんな明々白々なことも読み取れずに、どうするんですか?

なんかホントにがっかりだなぁ。

*

『それに、「もちろん虐殺の悲劇性に優劣はありません」って書いてるのが読めないんですか。死の序列化なんてしてません。ホロコースト研究の本を多少なりとも読んだことがあるものならば、この視点が重要なものであることは明白です。ちゃんと調べてからモノを言っていただきたい。』

そうだろうか。私には、明らかに主役と脇役を設けているように見える。よって、

『現在でも、迫害されているロマについては、それではあまりにも周縁化しすぎです。』

という指摘が妥当だと思う。

hokusyuhokusyu 2009/03/25 17:09 A)
だーかーらー、否定弁証法は無知なはずなのに、Aのような事実をどうして知ってるの?ということですよ。じっさい、Aはデマだしね。Aのような事実は存在しない。にもかかわらず、そのデマがあたかも存在するかのように断定しているわけです。
B)
あのな、テーマ設定ってのは知識なしにできないんだよ。いろいろな本を読んで、知識を深めて、その知識と知識の間に矛盾や疑問が生じてきたとき、はじめてそれがテーマになるの。知識もないのに、そこに疑念をさしはさむのはただの言いがかり。当事者あるいはそうしたことを研究している人を侮辱しているのと同じ。
C)
「人類史上最大のタブー」は妄想。歴史修正主義は間違っていますよと教えてあげたんだから、無知な彼はそのまま信じればいい。それを、「人類史上最大のタブー」というんだから、それは無知を装った歴史修正主義へのコミット。陰謀論者は反証されればされるほど陰謀の存在を強くするのと同じ。歴史修正主義へのコミットが前提にあるからこそ「人類史上最大のタブー」という言い方がうまれる。
 
ていうか、これ以外の読みはないでしょ。
あのね「歴史修正主義者」「侮辱している」っていうのはこれでも彼に敬意を払っているわけです。もし、「根拠の無い疑念」というだけで、それをいくらでも垂れ流してよいのだと彼が思っているとしたら、それは幼児がだれかれかまわず「バカ」とか「アホ」とか、そういう悪口みたいのを言うことを躊躇しないように、幼児なみの無神経をもったバカということになるのですから。
幼児ならばそういった行為も許されます。幼児だから。しかし、いいオトナが、自分がいった、あるいは書いたことがどのような影響を及ぼすかということに思い至らず書いたことについて、いや、人間ですからそうした間違いはあるでしょうが、それに対して帰ってきた反応にたいして、無知に居直り、無知な自分は配慮されて同然だと主張するならば、それは甘えでしかありません。
 
>そうだろうか。私には、明らかに主役と脇役を設けているように見える。
だから、調べてからモノをいえやバカ。

hokusyuhokusyu 2009/03/25 17:11 あと、これ100回読みな。
http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20080326/p1

tari-Gtari-G 2009/03/25 17:13 うわ、切れてるよ(笑)


やれやれ・・・

tari-Gtari-G 2009/03/25 17:20 『歴史修正主義へのコミットが前提にあるからこそ「人類史上最大のタブー」という言い方がうまれる。』

ないない。

本来の主張が正しくても、ちょっと狂った自警団がいれば、当然そこにはタブーが生まれる。

『歴史修正主義は間違っていますよと教えてあげたんだから、無知な彼はそのまま信じればいい。』

ごめん、ここまでキているとは・・・・

反知性教の教祖?

あ、反知性狂か。

ゲスト


おとなり日記