■アイヌ人という学術的発見?
まぁ、就職差別だなんだという伏線でしょうが
アイヌ修学資金、返還者は1人
http://www.stv.ne.jp/news/item/20090324185912/index.html
(STV)
道がアイヌの学生を対象に修学資金として貸し付けた24億円余りのうち、返還されたのは、わずか159万円だったことが明らかになりました。
道の説明によりますと、1982年から去年までアイヌの学生989人に対し、大学の修学資金として24億円を貸し付けましたが、このうち返還したのはわずか1人で159万円に留まっているということです。
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最初から、”踏倒せ”というDNAの混入を感じます。
お金に執着する”一団”の皆さんの混入がなければ
本当に困っておられるまじめな”道内貧困層”は救われるはずなんですが・・・・
↓
北海道アイヌ子弟大学等修学資金等貸付条例
http://www.ishikari.pref.hokkaido.lg.jp/ts/kks/kansei/ainu/ainu-jyourei
(石狩支庁)
(貸付の対象)
第2条 修学資金は、次の条件を備えている者に対し貸付する。
(1) 道内に居住するアイヌの子弟であること。
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最初から破綻しています。
何が言いたいのかと言うと
戦後に生まれた
「アイヌと言う民族的カテゴリーらしきもの」
を修学資金貸付の対象条件にした時点で終わっているかと。
私は、
「アイヌを含む蝦夷文化を整理し守れ」
という立場ですが
「アイヌ”民族”を守れ」
という私の小さな脳ミソでは到底理解できないスローガンには
ついて行けないのであります^^
wikiなので、あらぬ方向で誤解はありますが
↓
蝦夷
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9D%A6%E5%A4%B7
蝦夷の性格については、後のアイヌとの関係を中心に、江戸時代から学説が分かれている。蝦夷をアイヌ人とする蝦夷アイヌ説と、蝦夷を日本人の一部とする蝦夷辺民説である。現在では、考古学からする文化圏の検討と、北東北に分布するアイヌ語地名から、7世紀以降の蝦夷についてアイヌとの連続性を認める説が有力である。この場合、北海道から北東北にかけての広がりを持った擦文文化を担った人々こそが蝦夷であったとみなし、北海道の蝦夷はアイヌ人に継承され、東北地方の蝦夷と国内に移配された俘囚は日本人に合流したとされる。また、蝦夷がツングース系の北方民族と考える説がないわけではない。
しかし、文献史学の情報、考古学による発掘の進展などは擦文文化の広がりや実態、続縄文文化から擦文文化への、又擦文文化からアイヌ文化への移行過程がかなり複雑な様相を呈しており、前述の説ほど単純に割り切れるものではない事を浮かび上がらせつつあるため、単純にそのままの形では定説とみなされてはいない。従って『書紀』が語る東日本全域の蝦夷や、遡って縄文人・弥生人等との関係についての議論では、未だ確定的な説はない。
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あぁ・・・
何か混乱しているようですが
「アイヌ民族」というパズルを無理やりはめ込もうとするが為に
蝦夷概念を二分割したり、二重構造性の罠に嵌っている。
思いっきり端折って言いますと
気候障壁が人的交流の量を制限すると
文化変化の進行度合いが変わるだけの話です。
沖縄の人を”琉球民族”とカテゴライズしちゃう人より
性質が悪いかもしれません。
で、今の、
アイヌ云々も
同和問題のテンプレートも
在日デマゴギーも
戦後にソビエトと走狗北鮮が用意した
対日内部錯乱扇動戦略と言いますか
情報戦略の一種なのです。
ソ連というのは、終戦間際に条約無視の侵攻を我が国にしかけますが
戦後しばらくまで北海道を割譲せしめんが為
あの手この手を労しておったのは事実であります。
なぜ欲しがったのかは
大洋への自由な出入り口の確保と
安全保障上の縦深を得んがためです。
昭和20年8月16日には
スターリンからトルーマンに
「北海道北部占領」
を容認するよう書簡を発しております。
参戦条件にまったくなかった条項ですが
「北海道くれ」
というわけです。
もちろんトルーマンは拒絶するんですが
その拒絶に対する返信をスターリンは数日間とぼけて放置するわけです。
”真剣に北海道を手に入れよう”
としていたのであります。
でソ連は、
傀儡北鮮政府樹立、朝鮮戦争へ向かう中、
我が国が、米国主導で独立再生する工程を歩み始めたため
諜報情報戦略を精鋭化させます。
これが、在日扇動、同和扇動、アイヌ(列島北東部反体制派醸成)扇動
なわけです。
同和コミュニティのエリアと朝鮮部落コミュニティのエリアが妙に重なっていたり
同和団体の幹部が何故か在日であったりという
摩訶不思議な現象はそのためで
これらの本質的な出元は
雛形がKGBだったりします^^
アイヌを被差別組織化して
列島北東部の内部分裂を企図したとかいうと
辛辣なコメントを食らいそうですが
昨今の行儀の悪さが露呈した反日組織からすれば
”アイヌ”というリベラルなニュアンスのあるスローガンは
実に使い勝手が良い訳です。
「我が国は単一民族であり・・・」
と一言発するだけで
「この差別主義者が!」
と恫喝できるのは
”アイヌ”という
一見、リベラルな既成概念のおかげであります。
私から見れば
アイヌと言うのは
大和朝廷が統一してからも
気候条件その他で、化外ではないにせよ
緩やかに中央文化、様式が浸透していく中に於いて
差異が発生しただけなのだと思います。
それが蝦夷なのですが
蝦夷の一般的な(アイヌの言語を含めた)生活様式の影響から
アイヌという民族が存在したかのような錯覚を醸し出す。
戦後、コミンテルンが雛形を作った”アイヌ”とは
蝦夷に対する中央の持つイメージに合致した
一部のコタンをプロパガンダの全面に持ってきただけなのです。
マタギのイメージに重複するのもそうなんですが。
で
「アイヌ民族」というプロパガンダ造語を
KGBが、北鮮とタッグでチョイスしたというのに
本家はちゃんとカテゴライズしてたりして・・・・
↓
「Язык или языковая группа」
http://demoscope.ru/weekly/ssp/rus_lan_97.php?reg=o
どのみち、正確に表現しようとすれば
”母語・言語をアイヌ語とするグループ”
にするしかないわけです。
博多弁を使用する人を
「博多民族」
なんていうことはしないわけで。
結局、冒頭のニュースというのは
出自を同じくする方面の”似たようなDNA”の発露であります^^
↓
霧島市議人権発言に市民団体抗議
http://sakura4987.exblog.jp/6423721/
(日本再生ネットワーク)
より、南日本新聞の報道
「同和とアイヌ 人権でない」
霧島市議会の環境福祉委員会で今年3月、同委員会副委員長の徳田拡志議員(55)が「同和とアイヌは人権(問題)じゃない」などと発言し、市民団体などが抗議していたことが分かった。
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発言を知った姶良地区人権を守る会(加來宗暁会長)、部落解放同盟鹿児島県連合会(山口武文執行委員長)は「社会に残る差別的土壌を行政、市民の代表である議員にも真剣に考えてほしい」として8月20、21の両日、市と市議会それぞれに見解をただす文書を提出した。
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どちらにしろ
アイヌを含めた蝦夷文化は守る必要は大いに感じますが
アイヌという民族はなんじゃらほいというわけで・・・
我が国に、変な人権意識をもたらした
コミンテルンってぇのに
改めて文句を言いたい気分です^^