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総督もどき

2009年3月25日

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「仕組み」の経済学―25

 ロンドンでさる貴族がビクトリア女王に呼ばれた。「少し暑いところでご苦労だけれど、インドに行っておくれ。何もしなくていいし、数年のことだから」。かくして彼は、インドに総督として赴任した。

 これは、帝国主義華やかなりし頃の英国のある日の情景を想像したものだ。英国の植民地主義は、他の列強との競争や植民地の反乱などで徐々に崩壊に向かったのは周知の通りである。インドは総督の墓場といわれ、瘴癘(しょうれい)の土地に果てた総督もいる。

 ところが競争相手もおらず、住民が従順で温厚、まだまだ収奪拡大の余地があり、総督もどきがあまたいる世界がある。これが我が国の官僚組織である。

 インド総督のカウンターパートはマハラジャと呼ばれるインドの藩王であった。総督は時にマハラジャと協力して、インドの住民から収奪をしていった。さしずめこの国のマハラジャもどきは国家公務員の組合といえよう。

 民を搾取しながら、総督とマハラジャが利権をあさる図式は、我が国の高級官僚と公務員組合のせめぎあいの構図と二重写しに見える。

 この構図は、無許可で労働組合活動に携わる「ヤミ専従」が問題となった社会保険庁や、「ヤミ専従」調査を組合に通告して行い、「ヤミ専従」はなかったと報告した農林水産省とあちこちにある。管理者が組合の利権に手も出ず、労使とも国民の奉仕者の意識は薄い。

 「不都合な真実」は地球温暖化に限らずあまたあるが、この国では官僚機構がその最右翼であろう。帝国主義の終焉(しゅうえん)とともにインド総督がなくなったように、この国の総督もどきもなくなる時が来るのだろうか。(四知)

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