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「おやじの会」解散 いじめから学校立て直した23年

2009年3月21日

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 東京都中野区の区立中野富士見中学校で、86年に起きたいじめ自殺事件がきっかけで生まれた「おやじの会」が22日、活動を終える。少子化で学校が統廃合されるのを機に、解散を決めたためだ。事件から23年。学校を立て直そうと、取り組んできた地域の父親たちの活動は、全国に広がっている。

 「このままじゃ『生きジゴク』になっちゃうよ」

 遺書を残し、同中2年の鹿川裕史君が命を絶ったのは86年2月のことだった。生前に級友が「葬式ごっこ」をし、その際使った追悼の色紙に担任ら4教諭が署名していたことも分かった。

 学校に「廃校にしろ」などという抗議、批判が殺到した。学校の中はもちろん、保護者も疲れ切った。当時、PTA会長だったのは矢口正行さん(67)。「学校は地域の核。学校を守りたい」と、矢口さんが、周囲の父親たちに「おやじの会」の立ち上げを呼びかけた。事件の翌月には会ができた。

 もちろん会の目的は、生徒との交流だ。そのために、多くの行事を主催した。

 最初に始めたのは、夏休みに都内を一晩中歩き続けるナイトウオーク。親、先生公認の「夜間はいかい」だった。ツッパリがいた。途中で、たばこを吸う生徒もいたが、遠慮なく、おやじたちがしかりつけた。

 そのほか、年明けのもちつき大会や、新入生を歓迎するグリーンウオーク。商店街の祭りには、先生と一緒に夜店を出した。次第に、子どもたちの顔と名前が一致するようになった。わざわざ見回りをしなくても、夜遅くに姿を見かければ、「もう帰れ」と注意できる。おやじ、先生、子どもたちが顔見知りになるとともに、荒れていた学校が落ち着いていった。

 学校との距離にも気を使った。「学校に土足で踏み込まない」が会の大原則。学校の方針に口は出さず、支える姿勢を貫く。牧井直文校長は「学校を見守ってくれているので教職員も信頼感をもっている。会のおかげで、今の時代に忘れられているような地域のふれあいが根づいている」と話した。

 同中のいじめ自殺事件の後も、全国でたびたび、いじめ事件が起きた。その中の一つ、91年に大阪府豊中市の中学校で起きたいじめ死亡事件。直後に矢口さんは、この中学校に「私たちも大変だったが、おやじの会ができて、学校もよくなりつつある」と手紙を書いた。

 この学校も、中野富士見中事件の後と同じように、批判の嵐の中にあった。すぐに教頭とPTA会長が、矢口さんのもとを訪れた。数少ない励ましの声に勇気づけられたからだ。同校にも「お父ちゃんの会」ができ、今では豊中市のほとんどの中学校に会がつくられた。

 そして今、800団体以上が登録する全国連絡会ができるほど、おやじの会は各地に広がった。

 現在の中野富士見中おやじの会の会員は35人ほど。ただ、現役中学生の父親は少なくなり、解散するきっかけの一つにもなった。矢口さんは「新しい中学校で会を作るなら、若い人たちが中心になってほしい。バックアップはする」と話す。

 22日の「感謝の集い」で、在校生や卒業生に特製の豚汁とポップコーンを振る舞うのが、最後の活動になる。(葉山梢)

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