元ニートの私が、なぜセミナーを
主催できるまでになったのか?
私は東京、千葉を中心に仕事に役立つセミナーを主催している田口勝也と申します。
正直いってあまり過去のことはお話したくないのですが、私がなぜ仕事に興味を持ち、セミナーを主催するまでに至ったかを知っていただきたいので、全てお話します。
私の父母は私が7歳になるまで、自営業で八百屋を営んでおりましたが、大手スーパーが地域に進出してきて、生計が立てられなくなったため、父は会社勤務、母は保育士となりました。
八百屋をしていた時から、特にこれといった不自由はなかったのですが、他の友達の家庭より少しお金が無いのかなーというのは、子ども心にも分かっていたように思います。
私には9つ上と1つ上の兄がおり、この兄2人が私立高校へ行ったため、学費はばかにならず、わたくしは是が非でも公立高校へ行かなければならなくなりました。
成績があまり良かったほうとは言えなかったものの、何とか地元の公立高校へ入学することができ、小学5年生より続けていたサッカーも続けていました。
この当時の高校3年間は、学校へ勉強しにいくというよりも、サッカーをしにいくというくらい、サッカーに打ち込み、本気で全国大会を目指した3年間でした。(念願叶わず、全国大会出場はなりませんでしたが、大阪予選でベスト16という成績を残すことができました)
高校3年間、ほとんど勉強をしなかった私は、大学に受かるわけもなく受験した3校はあえなく不合格。就職をすすめる先生の話も右から左に聞き流す状態でしたので、なんと行き先が決まらないまま、高校を卒業したのです。
卒業後は自宅の実家で昼まで寝て、それからはゲーム、たまに友達と夜の街を出歩くような日々を送っていると、当然、両親から「どうするんだ?」と迫られます。
仕事することに興味の無かった私は、大学受験すると言い、卒業後1ヶ月たってから、予備校へ通うことになりました。
しかし、高校の3年間でろくに勉強もしておらず、特に勉強に興味があるわけでもなかった私は、なんとたったの3日で予備校を辞めてしまいました。
この時はさすがに母親は激怒しましたが、なんと父は「好きなようにしろ」と言い、それ以来、私に対して特に何も言うことはなくなりました。決して、見捨てたというわけではなく、信じてくれているという感じだったのを覚えています。
そんな予備校3日事件があったにも関わらず、その後も就職活動するわけではなく、積極的にアルバイトをするわけでもなく、また昼まで寝てはゲームをする毎日を続けてしまっていました。いまの言葉で言えば、まさしくニート、引きこもりという状態です。
1年半ほど、このような引きこもり生活の中で、働いたのはたったの3ヶ月ほど。しかも、働きに行った理由は、遊ぶお金が欲しかったからです。
お中元・お歳暮などを仕分けする工場はそのシーズンしかアルバイトを募集しておらず、働く期間はたったの1ヶ月間。しかし、残業時間が長く、当時はアルバイトには税金がかからなかったため、まるまる収入となりましたので、35万円ほど手取りでもらっていました。
この35万円は遊び、洋服、ゲームなどなどで散財しているという体たらくぶり。今の私が見たら鉄拳制裁もののグウタラ息子です。
そんな私をさすがに見かねた母親が、叔父の取引先の商社を紹介してくれ、そこへ面接に行くことになったのです。
しかし、もともと叔父は人当たりの良い一つ上の兄を、この会社へ入れたいらしく、いわば私は招かれざる者であったのです。そんな状況で仕方なく面接を受けた私は、とりあえず叔父や母の顔を潰さないよう入社し、半年か1年ほどで辞めるつもりで入社を決めました。今思えば、採用も決定していない時から、辞める時期を決めていたという少し傲慢な考えを持っていました。
最初に配属されたのは、商品知識をつけるという意味で倉庫課へ配属されましたが、やることはほとんどなく、たまに配達についていったり、荷受の手伝いをする程度。あとはイスに座ってぼーと1日を過ごすか、掃除をしているという毎日でした。
完全にやる気の無かった私は、自分で決めた「半年で辞める」を実際に行動にうつそうと、辞表を出す決意をしたとき、突然、営業部への配属が決定したのです。
一度は辞表を出す決意をしたものの、異動命令があった直後に辞めるのも流石に気が引け、営業で半年ほど適当にやって、辞めようと思っていました。
営業部へ異動となった私でしたが、相変わらずこれといってやる事もなく、顧客リストや商品リストを眺め、それを覚えていくという日々。しかもこれまで電話など取ったことも無かった為、電話が鳴っても恐くて取れない。まさに役立たず。給料どろぼう。
営業部へ配属され、半年が経過したころ、さすがに辞めようと思った時に中途採用社員と新人の女性が入社するというウワサを耳にし、好奇心だけは旺盛な私は、どんな人が入ってくるのだろう?と興味津々となり、またまた辞めることを止めました・・笑
入社してきた中途採用の男性は、私の9つ上の兄と同い年の方、この方との出会いが後々の私の人生を変えていくきっかけとなります。
そして、一緒に入社してきた短大卒の新人女性社員は私と同い年。この女性とは、実は私の妻となる女性なのです!
あの時、辞表を出して辞めてしまっていたら、出会うことも無かったであろう、人生を左右した2人に同時に出会ったこの時期、まさに奇跡の年であったと思います。
ただ、特にやることも無い日々はその後も1年間ほど続き、また辞めようと思っていた頃、またまた中途採用の男性が入社することになったのです。
この男性S・Kさんは、仕事はもちろん夜の遊びも豪快で、当時の私からすれば、こんな人もいるのか、と衝撃を受けたものです。
S・Kさんは毎日ヒマそうにしている私を見て、図面の書き方や特許調査の仕方、そしてパソコン操作まで教えてくれました。時には罵声を浴びることもありましたが、当時の私にとっては新鮮で、腹が立つどころか、素直に受け入れどんどんとスキルアップしていったことを覚えています。
S・Kさんから毎日出される課題にこたえていくうちに、段々と仕事をしているという実感が湧き、少しずつですが、仕事が楽しくなり、いつしか「辞める」という気持ちが無くなっていきました。
仕事が楽しくなってきたものだから、とにかく他の社員より多くのスキルを実に付け、顧客開拓に奔走する毎日。夜には毎晩のように居酒屋などへ飲みに行き、充実しているかのようでした。
しかし、充実している日々というには程遠い状態であったと今では言えます。というのも、居酒屋では他の社員の悪口や会社に対する愚痴を言い合い、お客様にはクレームが発生しても本当の原因を伝えず、その場しのぎの報告をする。そんなようなサラリーマンだったのです。その報いがあったのでしょうか、その当時のお客様とは今では取引はほとんど無くなってしまいました。
それでも毎晩のように居酒屋で愚痴を言い合い、同僚や先輩社員と言い争う日々が続いたある日、「愚痴を言っても何もならない。おいしい酒が飲めない」ということに気付き始めました。愚痴を言い合ってお酒を飲んだ次の日は、きまって気分が悪く、遅刻をしてしまうこともしばしばあり、本当の意味で仕事を楽しんでいないことに気付いていきました。
それでも結果を残していた私は、会社で当時としては異例の27歳で営業主任へ昇進し、29歳になった直後に営業課長へ昇進していました。
そして、大阪での仕事も一段落したある日、先に東京支店へ転勤となっていたS・Kさんから、「東京支店へ来い」とのお誘いを頂いたのです。
これも何か意味がある。そして、これを逃すと一生自分はこのまま居酒屋で愚痴を言い合う人生で終わってしまうのではないか?と直感的に思い、ほぼ即断で東京転勤を決めました。
当時30歳の誕生日を1ヵ月後にひかえ、既に結婚し、娘と息子を授かっていた私たち夫婦でしたが、妻も東京転勤に合意してくれ、2005年2月から東京支店勤務となりました。
東京へ転勤し、半年ほどは相変わらず会社や上司の愚痴を言い合う日々でしたが、東京支店のF先輩の友人に出会ったことで、本当の意味で仕事へのめり込んでいったのです。
そのF先輩の友人であるIさんは、生命保険の外交員で、年収1500万円。当時の私からすれば、まさに成功者でした。
このIさんとF先輩が食事に行くところへ、ずうずうしくもご一緒させてもらい、Iさんから色々な話を聞きました。これまで、会社の上司や同僚からは聞いたこともない、成功者の習慣という話です。
それには、愚痴を言わない、挨拶をする、感謝する、ありがとうを必ず言うなどなど。
そして、最後に一冊のビジネス本を紹介してくれ、その本を読んだことで、今までマンガしか読んだことの無い私が、ビジネス書に没頭していきました。
(その時に読んだ本は青木仁司氏の「ビジネスセラピー」)
今まで、成功法則が書かれたような本は読んだことも無かった私にとっては、読む本は全て新鮮で、実践可能なことは出来る限り実践するようにしていきました。
更に、今までは行ったこともない成功法則のセミナーや講演会へ出向くようになり、成功者の色んな話を聞いていくうちに、「自分にも何か実現できる」と思い立ったわけです。
そんな中、どうにかして成功者に近付きたい、仲良くなりたいと思っていた時、セミナーへ行くと、必ず司会の方やスタッフがいて、そのスタッフは仲良さそうに講演をする成功者の方と話しているのを見て、セミナーに参加する側ではなく、自分でセミナーを主催すればいいんだ!と思ったわけです。今思えば至極単純で、恐いもの知らずでした。
ただ、私がセミナーで成功者の話を聞いていて思ったことは、あまりにも偉大な存在すぎて、自分にとって遠い存在であると感じてしまい、かえってやる気を失ってしまう人もいるのではないか?ということを感じましたので、階段を一段一段登るように、まずは自分にとって身近に感じられる成功者の話を聞ける機会を作ろうと思いました。
有名人を呼んでのセミナーは集客力もあり、その講演内容もたいへん勉強になるのですが、先述した理由の通り、自分との距離が遠すぎるため、成功するまでに諦めてしまうことがあると思います。ですから、自分でも手の届きそうな所にいる成功者の方をお招きして、定期的に仕事に役立つセミナーを開催することにしました。
このセミナー講演者の方々は、今はまだ全国的に有名な方ではなく、どちらかというと無名ですが、これから必ず有名になる方々だと確信しています。無名な時代から、仲良く付き合っていたと言えば、少し自慢にもなると思います。
(とはいえ、セミナーを主催していると色々な出会いがあり、ビジネス書でベストセラーを出されているトップビジネスマンの方のセミナーも主催することが出来ました。)
これからも仕事に役立つセミナーを開催していきますので、是非一度ご参加下さい。
皆様にお会いできることを楽しみにしております。
ファルマウェーブ株式会社
代表 田口 勝也
「お待ちしております♪」